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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
< 神の性格 > 川上という言葉は、川の上の方という言葉だが、日本人の神もこういうようなもの。 神=上、そう、垂直的に上ではなく水平的な上。本源とでもいうべきか。 また神は「クマ」とも訓まれる、クマは隠れるという意味の動詞で クムから派生したものである、となると、神は語義のうえからすると 「本源をなす隠れた存在」と捉えられるだろう。 本居宣長の「古事記伝」では、日本人の神観念は、自然上なんでもありで 異常な力を持ち、畏敬されているものと捉えている。 となると神を目に見えない存在として空中を浮遊しているが、自然現象として あらわれたり人に憑依したりして、異常な力を発揮する本源的な存在として 畏敬されているものと(おおざっぱではあるが)まとめられる。 神の属性については松平斉光によると、基本的には人間の感性に知覚されない 空気のようなもので、自然や人間動植物に宿って示現して力を発揮する。 善悪、荒和の二面を持ち、まつられぬと祟り、祀られると人々を守護し利益を与える。 また、様々な欲を持ち、芸術を愛し、人間との約束を守るが、人間の自然や 社会の秩序を乱す行為や、不潔・血・死などの穢れを嫌悪するという性格も持つ。 それゆえ、人間が清浄なところで、米や酒、山海の幸を供えて神を祀り 舞踏や音楽の奉納、神田や宝物の献上、願掛けなどをすると喜んで利益を 与えてくれるとされている。 *「語義-神の語源を中心に」阪倉篤義、「日本語の語彙1語彙原論」佐藤喜代治 「祭-その本質と諸相」松平斉光 参考 ~~~~~~~~~~~~ コ ラ ム ~~~~~~~~~~~~ 祝日というものがある、それぞれ意味があって祝日になっているのだから 本来は、その日の意義を認識して心から祝福して休むべき日である(はず)。 だが、最近の祝日の改正は、単に3連休を増やしたりしたいがために まったく意味の違う日に移したりして、どうにも納得できない。 物事には常に意味があって、残ってきたり廃れてきたものがあるのだ だから、その意味を無視して残すことは、もはや意味を成さないもの。 ちなみに戦後、日本には祭日は無い、すべて祝日で統一された。 そして昭和二十三年、七月二十日に施行された「国民の祝日に関する法律」 第一条には、次のように書いてある。 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会 より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し 又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。 ↑ ↑ 愛する日本、ホホーッと思えましたら、クリックをお願いします。 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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