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「合理的な愚か者」―――
一見矛盾しているかのようにも聞こえるこの言葉を、私は非常に気に入っています。 言葉の出典元は、1998年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者アマルティア・センの論文「合理的な愚か者」からです。ちなみに、英語では「rational fool(ラショナル・フール)」と言います。この英語の言い回しも非常に気に入っています。 経済学者に対する痛烈な批判ということはさることながら、投資の世界においてもこの言葉をささげたいと思う御仁が山ほどいるからです。前編は「経済学者へのメッセージ」、後編は「投資家へのメッセージ」ということでこれを考えたいと思います。 *アマルティア・センの紹介、および、業績 1933年インド・ベンガル地方に生まれる。59年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで経済学博士号取得。ケンブリッジ、デリー、LSE、オックスフォード、ハーバード各大学教授を経て、98年よりケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学寮長をつとめる。98年ノーベル経済学賞を受賞。 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/sen.htm アマルティア・センは、既存の新古典派経済学に対して非常に批判的な立場をとっており、自らの論文「合理的な愚か者」を「既存の経済学の存続基盤を危ぶませるかもしれない論文」と評しています。 その論文は、アマルティア・センの他のいくつかの代表的な論文と共に「合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究」というタイトルで日本語訳の本にもなっています。 *「合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究」:勁草書房 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4326152176.html 私もこの本を買って読んでみたのですが、その内容は非常に専門的であり完全に理解するのは難しいので、他のウエブサイトにあった要約などを掻い摘んで簡単に説明してみたいと思います。 そのために、私自身が誤解している部分もあるかもしれませんが、アマルティア・センが主張しているおおよその趣旨は理解できるかと思います。 ************************ 近代経済学が想定するエージェント(人間像)はいわゆるホモ・エコノミクス(合理的経済人)というものです。これは、自分の将来の経済的利益を合理的に計算し、それを基に行動するというエージェントのことです。 新古典派経済学や数理ファイナンスもこの価値観に依存しており、それは「神聖にして犯すべからず」の仮定となっています。 「定義→定理→証明」という、演繹的な論理体系の中で閉じられた世界での議論であれば、学問として興味深いかもしれないが、問題は現実がその仮定とはかけ離れているということにあります。 このホモ・エコノミクスの仮定を現実の世界に持ち込むと、「自分の経済的利益のためならば、他人を陥れてでもそれを行うといった、倫理的に問題がある行為でも平気で犯す人間」という、放置できない別の問題が生じます。 また、以下のような行為を説明できません。 *寄付・募金・チップ・ご祝儀・お土産という、経済的な見返りを求めない支出をすること *経済的見返りを求めないまま、身近で困っている人を助けること *生活保護や自己破産を申請する権利があるにも関わらず、敢えてそれを申請しないこと *ボランティアをすること ホモ・エコノミクスでは説明できないこれらの行為は、「社会生活やコミュニティーを円滑に図るため」とか「見栄や使命感からあえて経済的不利益を選択するため」という、常識人であれば用意できている回答です。 理解できない(理解しようとしない)のは経済学者だけであるという皮肉がここには込められています。 このホモ・エコノミクスは、現実に起こっている経済の諸問題を近代経済学で説明/解決することを困難にしているばかりか、それによって新たな国際問題(不平等や貧困の問題など)を生み出すだろうとも主張しています。 実際のところ、ホモ・エコノミクスの仮定は制約が強すぎるゆえにその仮定を満たす人間などいないでしょうから、「それらの概念は経済学者の勝手な空想である」と言えばそれまでかもしれません。 結局のところ、経済学(および経済学者)は、「金銭的合理性の判断に関しては非常に優秀だが、社会的適合性に関しては非常に問題のあるエージェントを想定しているのだ」と言えます。 *************************** *合理的な人間であればこのように行動するはずだ――― 経済学者がこの発想から抜け出せない限り、現実の問題は依然として解決できないままで終わるのではないかと思います。 今日の言葉: 「新古典派経済学者は人間の行動規範を勝手に決め付けている『合理的な愚か者』である。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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