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先日「陰謀論の危うさ」について書かれた新聞記事を読んでちょっと気になることがあった。簡単にまとめるとこう。
●衆議院選で惨敗した第三極某党の支持者が根拠なく選管の不正に敗因を求めて騒ぐ ●だが開票作業は各政党の人員がチェックするなか公正に行われたのは明らか ●不都合な現実を受け入れるには陰謀論を持ち出して自己正当化せずにいられない つまり人は受け入れ難い状況に直面すると、自分の意に沿うような「裏側の真実」の存在を願い「無理を通して道理を引っ込ませたい」とする心理がはたらく、ということだろう。 そして記事はこう続く。 ●韓流ブームに対する陰謀論やステマ疑惑も同じである ●新大久保も韓国食も人気があるのに認めない者たちが集まって嫌韓を煽る ●人は自分に都合の良い情報しか信じず、近い考えの人間で群れる ●皆がそう言うからといってそれが真実とは限らない まあだいたいこのような感じの内容だったが、話の展開に違和感あり。 前半の「選挙管理委員会に対する某党支持者の疑念」は開票作業が公開の場で行われたという確実な事実があり、また得票率が全国的にほぼ偏りなく低調だったことも挙げて不正が行われた可能性が極めて低いことを指摘している。 これらは必要とあらば後からでも具体的なデータで検証可能であろう。 しかし後半部分の「韓流ブーム人気」への言及では一転して個人的な事実認定で話が進んでいく。陰謀論を具体的な数字を検証していくという内容の記事ではないにしろ、前半の論理に則った語り口とはいささか温度差があるように思う。 韓流人気の実態がどうであれ反韓流デモが起きるほど消費者が韓流ゴリ押しを感じたのもまた事実であり、降って湧いた韓流ブームへの疑念を口にして干された芸能人やコメンテーターも1人や2人ではない。 衆院選陰謀論の検証結果を引き合いに出しながら、ネット上に蓄積された韓流ゴリ押しの状況証拠は検証せず一方的に妄想だと結論づける姿勢はフェアじゃない。 つまり「証拠はないけど人気はある!」「検証はしないけど韓流ゴリ押しは妄想!」と発信しているのがマスコミである。これでは自ら陰謀論を育てているようなものだ。 この記事の上手いところは「まず実際の事例に基づいて陰謀論の危うさを指摘」し「このように陰謀論は妄想である」、「だから韓流ブーム捏造も妄想」というように強引に話を繋げつつ、最後にまた別の正論を持ってくることである。 ●人は自分に都合の良い情報しか信じず、近い考えの人間で群れる これを否定できる人間は滅多にいないだろう。 当然のことながら「陰謀論A」が妄想だったからといって別件の「陰謀論B」まで妄想とは限らない。しかし最後に一度「なるほど確かに」と思わせることで中盤も含めた記事全体の印象まで読者が納得いったと錯覚させる意図のある書き方だ。 ついでに言えば「報道しない自由」を駆使しながら群れて都合の良い情報を発信している当のマスコミ自身が陰謀論を感情的に否定したところでもはや説得力に乏しい。 むしろまるで自然発生的なブームや言論があってはならないと認識しているかのような行動だ。 実際にこれまで情報を管理する影響力で広告収入を得てきたとあればネット世論が発信力を持つのは何としても潰したいところだろう。 しかしマスコミが自浄能力を示さず情報の独占管理に依存する古いビジネススタイルにしがみついたために信頼性を失墜させ、結果的にネット世論の真実性が増したことは皮肉な話だ。
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最終更新日
2013年04月13日 14時09分24秒
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