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manaのスピリチュアルな気持ち [全183件]もう直ぐ父の誕生日。 父の誕生日を祝おうとすると 父は決まって恥ずかしそうに言う。 「イィよ~、誕生日祝いなんて。 もう年な~んだから 祝うことなんて無いんだから。」 でも、アメリカに移民してから なるべく毎年父の誕生日には 何か贈り物をするようにしている私。。 遠く離れている父。。 たまに、ふとした時に どうしようもなく懐かしくなる。。 大好きなお父さん。 里帰りする度に 段々と年をとっているのを 感じるのです。 成田空港で私が出口から出る時 いつもデジカメを構えて 待っていてくれるお父さん。。 「おぉ~。」とはにかんだ笑顔を見せてくれながら 出てきた私をカメラに収めるお父さん。 私は一応ハグするのだけれど 照れ屋で日本の親父なお父さんは 恥ずかしそうに肩をポンポン、と 叩いてくれる。 元気そうだな、って意味の挨拶なんだよね。。 その時に嬉しさ一杯で笑いながらも お父さんの髪の毛が 毎回どんどん白くなっているを 私は心の中で気がついている。。 年々、やっぱり年を取っていっているんだなぁ。。と きゅぅん。。とした気持ちになる。 ごめんね、お父さん。 アメリカに移民してしまって。 こんなに遠くに離れてしまって。。 私はこっちで旦那と支えあって 頑張っているけれど 娘が遠い外国にいたら 寂しいよね。。 この間姉と国際電話していた時に 姉の次の赤ちゃんは 私達の初めての赤ちゃんを予定している時期と 同じだと意気投合! 「文通させたいね~。」と姉が言った。 「そうだね~!交換ホームステイとかもいいね。。!」 と、盛り上がっていた。 そこで、姉がポロリと言った。 母親の気持ちなんだろうな。。 「でも、あんまりアメリカに触れさせて 子供がmanaみたいに外国に行っちゃったら 寂しいな~~~。。」 そうだよね。。 手塩にかけて育てた子が 遠く遠くにいっちゃうのは 寂しいよね。。 父は私が里帰りを終えて アメリカに帰る時 寂しそうには絶対しないけど 背中は寂しそうだもんな。。 男は背中で語りますよね。。 そんな父は まだ私が生まれるずっと前、 会社に入社したばかりの時に その頃絶世期だったハワイアンバンドを組んでいた。 そして、それから30年経ったついこの間。 当時の仲間達で 何とそのハワイアンバンドを再結成したという。。。! 「わぁ~~~!いいね。。!」って言うと 何せバンドのメンバーさんは 30年振りなので 奮闘して練習なさっているとか。。 「今度の里帰りに コンサート聴けたらいいな!」 なんて私は言ったけれど 「多分無理だね」だって。。^^; そうか~、マイペースに楽しんでね! お父さん! ハワイアンバンド再結成って事で やっぱり贈り物は アロハシャツにすれば良かったかな。。と、ちょっと後悔。 再結成の事を聞く前に 実はアロハシャツを贈り物として探していたものの うちのお父様はサイズがビッグでございますので~ 探しても無かったんでございます。。 というのも 楽天グランプリで頂いた一万ポイントを使おう!と ネット上で探していたので LLや3Lは無く。。。 結局他のものを選んで送ったのだけれど、 その事を父に言うと 「その賞品のポイントでお父さんにプレゼントしくれるとは嬉しいね。 いい記念になります。 ありがとう。」って。。 良かった。。 皆さんから頂いた賞が 父への贈り物へと姿を変えて 一生の思い出深い贈り物になりそうです。。 有難うございます。。!(ペコリ) そんなお父さん、 外国にいる私を 包むように応援してくれる。。 フリーライターの件とは別に 他の契約ライターの仕事で 前向きなお話を頂き、 私の引越し後に人事部の方が 会って下さる事になったのを告げると。。 「manaならいい記事が書けると思うよ。頑張って!」 このお父さんの一言がとっても心にしみて。。 有難う。。お父さん。 そこで、ライターの機会を期に これからの引越し先でのキャリアの事もあり 仕事兼(?まだ未定ですが)のサイトへと ステップアップする事になりました。 ブラックカルチャーやアメリカ社会を 洞察する専門サイト。 メルマガも発行致します。 今まで応援して下さっていた皆様。。 黒人文化や国際結婚、 アメリカ社会とは縁が無かった方々も ウェブ上の交流を通して 様々な事を読んで下さり、 色々一緒に考えて下さり、 本当に本当に有難うございました。 専門サイトを勧めて下さっていた方々も 本当に有難うございます。 やっと一歩前進することになりました。 皆さんとの交流は ずっと忘れません。。! それ程、深い何かが、 このサイトを通して 得られたと実感しています。 黒人文化専門サイトを今まで あえて立ち上げなかったのは 黒人文化以前に 交流を様々な方々と深める事によって 結果的に人種問題やアメリカ社会の裏側、 差別問題だけでなく 黒人文化のポジティブな面なども読んで頂けていたこと、 そして、若い方から 海外在住者、 日本在住者、 様々な国際結婚の方々 そしてご年配の方々まで 本当に様々な対象の読者の方々がいらっしゃる事に 価値を見出していたからでした。 けれど、この先ライターだけでなく 本来のオペラのキャリアの事もあるので 皆様のサイトにお邪魔する時間が 今までの様には取れそうにありません。。 本っ当に残念なのですが。。!!! 今は自分の生活の為、 家族の生活の為に 力を注ごうと思います。 こちらのサイトは 今のところは永久休止という形になりますが (最近折角日記リンクして下さった方々、申し訳ありません。。) 今後完全に新サイトに 移行するかもしれません。 新サイトは着々と製作中。 完成しましたら改めてご報告しますね。。! 父の誕生日、 今年は本当に特別なものになりそうです。 私の体験していることは 父にとっても喜びであって。。 父が嬉しそうだと やっぱり娘としては 頑張っていて良かったな。。って思います。。 遠く離れて親孝行出来る機会が 中々無いからなのかも。。 今、色々な生活の動きが良い方向に向かっていて 父に良い結果報告が出来るといいな。 人生山あり谷ありだけれど 健全な良い方向に力を注ぎ 努力し続けていれば 必ず道は開かれる。 そうしてこれからも 前に進んで行こうと思います。 以前の様に訪れる事が出来なくなってしまうと思うのですが 皆様もお元気で。。!! 沢山の幸せが 皆様に訪れますように。。! 愛を込めて (楽天内だけでも176件というリンク数の状況なので お一人お一人へのご挨拶周りが とても時間がかかってしまうと思います。(TへT) 気長にお待ち頂けると嬉しいです。) *************************** マイケル・ムーア監督の「華氏911」を観て来ました。 一言では決して表現出来ないようなドキュメンタリー。 非常に情報量が豊富。 そして、構成の仕方も注目でした。 共和党員などからの 「あの映画はプロパガンダだ! 見せたいことを都合のいい様に 繋げて上手く見せているだけだ」 との声も有る様です。 本日、映画館の場所を聞かせて貰った 元ヒッピーらしい白人のおじさんは 「何であんな映画が観たいんだ? 嘘だらけじゃないか。」とも。 民主党かと思いきやバリバリの保守的共和党でした。 マイケル・ムーア監督の公式サイトによると 様々な州で大盛況の上演状況だった模様。 私が今、仮に住んでいる州は 公式サイトに掲載された州の中に含まれてなく、 客の入りは本当に寂しいものでした。 何しろ裕福な共和党員の多い地域。 この州の都市のど真ん中では 上演されておらず、 新聞を見ては郊外で上演している映画館を探し回って やっと無事に観る事が出来たくらいでした。 客の入りは本当に寂しいものとは言え、 実際に映画館にいた観客は 私達を除いてはみんな白人。 中年から年配の層の方が多かったと思います。 そして、映画が終った時には 皆さん拍手していらっしゃいました。 ブッシュ嫌いな方々だった様です。 映画の出来に、とても満足なご様子でした。 映画の内容はここには書き切れないほど 色々な事を取り入れて構成されていた映画。 どの事実も非常に興味深く 頷く場面も何度となくあり。。 ブッシュを皮肉りながらも 両サイドを取り上げていた構成も 鋭かったと思います。 しかし、マイケル・ムーア監督。 彼は非常に爆弾発言の連続で 鋭い以上の切り口なのですが いやはや。。 いつか暗殺されるんじゃないかな。。なんて思うけれど とても落ち着いた、 インタビューの上手な方なんですね。 この映画を製作するに当たって 物凄い圧力があったとか。 制作後も上演を阻止する動きなども。 けれど、監督の粘り強さ。 集団による嫌がらせや圧力がかかっても 堂々とされた落ち着き。 「この映画の公開を妨害しようと、劇場オーナーに圧力をかけたり、テレビCMが選挙法違反だなどと連邦選挙委員会にCM放送中止を訴えたり、テレビでこの映画を批判しまくったりと、いろいろやってくれた全ての右翼団体に感謝したい。みなさんのおかげで、ますます大勢の人が、この映画を観たいと思うようになってくれた」 (CNNより) 堂々とされた落ち着きと言えば 周りのライターやジャーナリスト達を見ていても 何か共通するものを感じますね。。 尊敬する本多勝一氏も 誹謗中傷にあいながらも アメリカ社会の隠されて来た部分を 日本に伝えて来られました。 本多勝一氏著の「アメリカ合州国」は 今から30年以上前のアメリカを捉えたものであるとは言え 現在のアメリカもその当時の名残を 確実に引いています。 それから32年後には 「アメリカ合州国は変わったか~32年目の旅~」が 週間金曜日にて連載されました。 読者からの声です。 「確かに、氏の報告は貧困にあえぐ黒人・先住民側の視点に完全に立ったものであった。それは当然一面的であろう。しかし、従来は、逆に中流層や富裕層のアメリカ人(白人が中心となる)や、政財界の視点に立った報告ばかりが、大量になされてきたのである。それこそ「一面的」で「偏向している」のではないか。そのような現状に本多氏は一石を投じたのだ。私たちが出来る限り客観的・複眼的に、アメリカの実情を知ろうとするとき、弱者の視点に立った稀有な例である本多氏の報告は、きわめて貴重な参考資料となりうる。」 (アマゾンの読者感想より) 本多氏の後に続くように これから仕事が出来たら、と 改めて喝が入る今日この頃です。 マイケル・ムーア監督の公式サイトはこちら http://www.michaelmoorejapan.com *********************************************** 昨日書き忘れてしまったのですが、 温かいメールを下さった方々、 本当に本当に有難うございました。 お返事順番にさせて頂いています。 最終更新日時 2004年7月2日 14時26分27秒
ー幸運な引越し先変更ー 思った通り。。 やっぱり変わりました、引越し先。 家どうするべ~、って思っていたものの その心配は無くなりました。^^ 幸運な事に新引越し先では 会社から住まいが提供されるので 新しい家を買う必要も無く。。 この間買った家は 貸し出して収入に。。^^ うん、一石二鳥! 新引越し先も都市部なので 色々な機会もあるし 楽しみです^^ そして、何より幸運なのは ハワイ時代からの友達が偶然にも 住んでいること。。^^ いえ~~~ィ! 行く先に既に友達がいるのは とっても心強いです! ー我が家にワンちゃんが来た日ー 今の仮引越し前に ある日、引越しの荷造りをしていたら 旦那が背後から 突然毛むくじゃらの何かを 私の目の前に差し出した。 茶色くて毛むくじゃらの その「何か」が突然目の前に現れたものだから 「???」と一瞬、顔をしかめた私。。 その茶色の毛むくじゃら君には 真っ黒なつぶらな瞳があった。 でも動かないの。全然。 「何だろう?ぬいぐるみ?」 って思うほど ジッと旦那の手の中で ぶら~んと持たれていて。 私を見つめるそのつぶらな瞳が ちょっと動いた時に 「わぁぁあぁ~~~!^^ 可愛い~~~~~!!!」と 子犬であった事に気が付いた私。 両手で持ち上げていると いつまでもジッとしているんだけど その目がもう可愛いったら。。。!!! 床に下ろしてあげると シッポをフリフリして すっごい喜んでる!! 可愛い~~~~~~!!!!! 満面の笑みな私を見つめて 旦那がつぶやいた。 「こんな風にいつも笑っていて欲しい。 。。このワンちゃんはね。。manaのだよ。」 だって。 「え~~~~~~~!!!!! 嘘でしょう~~~!! 嬉しいけど、嘘に決まってるよね!?」 と何気に期待しながら でもどうせ嘘だろう、と思っていると。。 やっぱり嘘だったよ。。。 お隣さんトコに新しく来た ワンちゃんなんだそうですわ。。 チキショー。 あ~~~、本当だったら良かったのに。。 引越し先ではワンちゃん飼いたいなぁ。。 柴犬。 新引越し先にいるかなぁ。。 ーまたロス警察が黒人を。。ー ロサンゼルス警察が また、Unarmedの(武装していない)黒人を 何度も何度も殴りつけた事件がありました。 この様子がヘリコプターからのカメラで 捉えられています。 詳しくはこちら。 http://www.ledger-enquirer.com/mld/ledgerenquirer/news/nation/8996554.htm 先日6月23日水曜日、 黒人男性Stanley Miller、36歳は 車の窃盗罪の為に ロス警察によって追跡されていました。 追跡の末、降参したものの 警察官の持っていた金属製の懐中電灯で 11回に渡って強く殴られました。 重症ではなかったのですが この黒人容疑者は 後に頭や鼻等の激しい痛みを訴えていました。 ロス警察では金属製の懐中電灯を 犯人が反抗する際に使う事は許されていますが 必要以上の使用を許している訳では無いとのこと。。 けれど降参しても尚、 Stanley Millerを地面に押さえつけ 彼の上半身を懐中電灯で 叩いていました。 最も攻撃的だった3人の警察官は 白人であり、 新米は誰もいなかった、との事です。 この事件に関してコミュニティーの活動家達は 行き過ぎた行為だ、と憤慨し ジャスティスを要求。 公民権運動家のNajee Aliは 1991年に起こった ロドニー・キング事件(後の警察官の無罪で ロス暴動を引き起こした)と比べながら こう言いました。 「またか。。 ロドニー・キング事件の様な事が また繰り返されたのか。。」 この事件について、 驚かない人々も多いと思うものの、 私が思うには。。 難しいですね。。 本当に複雑。 降伏している黒人容疑者を 無差別に殴る白人警察にも もちろん問題が大有りだけれど、 相手は車を窃盗した犯罪者。 けれど黒人容疑者を 必要以上に殴りつける白人警官の話は やはりまたか。。という感じですね。。 最終更新日時 2004年6月25日 8時26分50秒
く、苦しい。。 ここのところ中毒に陥っている私です。。;; あれが無いと生きていけない。。 そろそろ限界だ。。 くそ~~~。 くれ~~~。 「アレ」が欲しいんだぁああ。 喉から手が出るほど 「アレ」が欲しいのよ~~~~! だめだ。。中毒。 ここらには「アレ」を手に出来る場所がないので 本引越しまで辛いのです。 「アレ。」 そう。 私の中毒症。 それは。。。 らーめん!!!! らーめんが無いとホント、駄目。 食べたくって食べたくってしょうがないんですよ。。 これって立派な中毒ですよね。。^^; アメリカでも、らーめんを出す日本食レストランもあるんですけど 味がまぁまぁの所もあるけれど、 やっぱり日本国内のらーめんと比べると。。 食べた後の満足感度は断然違います。。(TへT) ニッポンの葱味噌らーめんが食べたい!!! お父さんが連れて行ってくれた 珍来の!(笑) あ~、次の里帰りはいつだろう。。? 引越し先も何だか変わりそうな兆しだし。。 そう! 引越し先が変わるかもしれないんですよ~(;。; ま~た~か~。 家買ったのにどうするよ。。? って事で、バタバタしている我が家の近況でした。 引越し先、日本にならないかなぁ^^ そうしたららーめん食べれるし!(爆) 最終更新日時 2004年6月22日 3時17分8秒
前学期の論文において 「自由の国アメリカ」に疑問を抱いた点を挙げた中で レーガン元大統領政策の傷跡を追っている際に 興味深い事に気が付いた。 先日6月5日に 存命中のアメリカ元大統領の内では 最も高齢(93歳)であったロナルド・レーガンが亡くなった事は 記憶に新しい。 実は黒人指導者マーチン・ルーサー・キングJr.を称える祝日は レーガン大統領の任期中に作られた。 これは確かに注目すべきである。 何故ならばレーガンがキング牧師の祝日を制定した日まで 何と207年間もの間 アフリカ先祖に名誉を授ける祝日は 作られた例が無かったのだ。 しかしながら、この祝日が設定されるまでは 困難の連続でもあった。 1968年から1983年の間 黒人議員会議は マーチン・ルーサー・キングJr.を称える祝日を作るように 法律制定に提出した。 だが、毎議会セッションごとに その提案は無効にされてしまった。 1980年、 ロナルド・レーガンの第一回大統領選の5日前、 10万人以上もの人々が ワシントンにて行進。 マーチン・ルーサー・キングJr.を称える祝日を 作るように呼びかけるものだった。 そして遂に1983年の11月2日、 レーガン大統領によって 連邦休日を作る法案がサインされた。 毎年一月の第三月曜日。 公民権運動に貢献した 犠牲者(キング牧師)を称える日である。 彼の第一任期中、 レーガンはキング牧師の祝日に関して 敵意を持たない者がいなければ 全く関心が無い様に見えた。 祝日は制定したが 制定したのみである、と。 そして1986年1月の休日祝賀の間 多くの者はこう思った。 大統領は亡くなった指導者を侮辱した、と。 当時のColor-blind である社会への キング牧師の希望であったQuotasに対して 彼が個人的に軽蔑の念がある事を言及したからである。 1980年代、 幾つかの州や都市において 白人達が通りを練り歩いては抗議し、 キング牧師を称える祝日を祝う事を拒否した。 アリゾナ州が休日を称える事を拒否した時には ナショナル・フットボール・リーグが 1993年1月に予定されていたスーパーボウルを フェニックスにおいて開催する事を拒否した。 これにより1992年、 スーパーボウルのツーリスト達のボイコットにより アリゾナの投票者達は最終的に 祝日に賛成したのだった。 レーガン大統領によって制定された キング牧師の祝日一つ取ってみても 実に様々なドラマがあった。 レーガンによってアメリカ初の アフリカ先祖を称える祝日が作られた事は 注目すべき事ではある。。 しかし、レーガンによって ネガティブな名残がある事も否めない。 「レーガン政権は特に黒人達にとって とても厳しいものだった」 黒人からのこういった声がある。 1981年にレーガンが就任してから 彼は政府の公民権運動組織を攻撃し始めた。 アファーマティブアクションやソーシャルプログラムを激しく非難し、 白人差別主義者リーダーや 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)に喜んで応じ、 黒人達のカリビアン国家に戦争を遂行した。 ソーシャルプログラムをカットされた黒人達への影響は 大きいものであった。 訓練と雇用、 エネルギーアシスタンス、 コミュニティーヘルスセンターや ホームレスへのケアを含めた ヘルスサービス、 リーガル・サービス、 補償教育、 高齢者へのハウジングアシスタンス、 貧困を防ぐ機関への資金。 以上の事から更に貧困へ追いやられた黒人達は 数知れないだろう。。 いつか主人と ロスアンジェルスの「リトル東京」という所に行った事がある。 そのエリアの裏はファッションディストリックといって Wholesale(卸売り)の店が立ち並ぶのだが 物凄い数の黒人達のホームレスが そこに暮らしている。 主人はそのエリアを一回り 車で回って私に見せた。 「どうしてこんな事になるのだろう。。 どうしてこんな数の黒人達が。。」 言葉に詰まった。 彼らの堕落だけでは決して説明の付かない結果が そこにはあった。 世代世代でゼロ以下からのスタートの生活 貧困からの生活の上に 更にソーシャルサービスをカットされた者達の姿。。 彼らはリトル東京内に出てくる事も良くある。 そして、主人と私が歩いていると 毎回必ず物乞いをする。 「1ドルでいいからくれないか?」と。 そして主人は丁寧に断る。 日本人観光客がリトル東京に寄った際は このような目先の黒人のホームレスの姿だけを見て こう思う者も多いだろう。 「黒人はホームレス。汚い。怠け者。」と。 上記の様な結果があるにも関わらず 「レーガン政策は特に黒人達にとって 厳しいものだった」という意見は Myth(根拠の無い説)だとしている反対意見もある。 ロナルド・レーガンのオフィシャルサイトによると 表付きで説明されているのだが 貧困層人口の割合は1983年から1989年までに 15,2%から12,8%に下がった。 レーガン就任前の1978年から1982年には 黒人の貧困層は2百万人以上に登ったが レーガン就任後の1982年から1989年には 40万人下がったという。 David Ridenourによると 1982年から1989年の間に 黒人の失業率は20,4%から11,4%と 9%下がり、 ヒスパニックは7,3%、 白人はたった4%下がったという事だ。 更に人口調査局によると レーガン就任中の1982年から1987年の間に 黒人によって経営されている商売は 30万8千から42万4千と 38%の上昇をを見せた。 こちらは何せレーガンのオフィシャルサイトなので Mythだ、とするのは 自然の成り行きなのだろうが 統計で出ている結果も興味深い。。 レーガン元大統領のオフィシャルサイトはこちら。 http://www.ronaldreagan.com/nr_10.html しかしながら、レーガンは十分に活動したのであろうか。 ここで着目したのがクリントン政権。 彼を好いている黒人達も多い。 黒人達にとって力になったからだ。 貧困率を下げ、所得を上げた。 レーガン政権時代では黒人の貧困層は2,4%下がったが クリントン政権時代では11,1%も下がった。 黒人家庭の所得。 これはレーガン政権時代と 大差をつけている。 レーガン政権時代を超えて クリントン政権時代は 黒人家庭の所得は 年3655ドル上乗せされている。 詳しくはこちらのサイトで知れます。 http://members.tripod.com/~zzpat/graphs.htm 様々な見方のあるレーガン政権だが ワシントンD.C.での彼の葬儀には 黒人の姿は少なかったという。 ワシントンD.C.は黒人の人口が非常に多く 続いてヒスパニック、 多くの白人もいるが 彼らはバージニアやメリーランド、 又は他の州から移ってきた者も多い。 しかしながら葬儀の参列者は 98%が白人だったそうだ。 黒人の姿は少なかった。 これには何か背景があるのだろう。 これが、彼の残した結果なのだろう。。 写真提供:free-stock-photos.com **************************************************** 追記: ご心配のメールを下さった方々、 温かい言葉をかけて下さった方々、 一緒に悩んで下さった方々、 本当にどうも有難う。。! 私は大丈夫^^ 元気にやっています。 実は主人と遠距離恋愛時代に 初めて彼のところを訪れた時、 紹介してくれた彼の上司が 私達を訪れています。 これから主人と主人の昔の上司と ビアホールです!^^ 最終更新日時 2004年7月10日 8時28分3秒
「最近のmanaさんは 白人を擁護している気がします。 前は黒人側を擁護している様に受け取れたのですが 何が変わったのですか?」という 興味深いメールを頂いたので 今日はこの話題を書いてみようと思う。 アメリカの人種問題といえば まず白人・黒人間という図式が 頭をよぎる人は多いと思う。 現在のアメリカ社会の中で いわゆる「白人優位主義者」は 残念ながら確実にいる。 「自分はそんな事が無い」と思っている白人でも もしくはリベラルを表で装っていても 中身を開いたらやはり。。というタイプが居る事も否めない。 けれども、公民権運動に貢献し 黒人達の為に戦った白人が居た事も事実だ。 William L. Moore。 彼は数少ない白人運動家として 犠牲者の一人であった。 メリーランド州はボルチモアで 郵便局員をしていた。 1963年度の分の休暇を 彼はこの様に費やした。 彼が書いた特別な手紙を ミシシッピーにマーチをし、 運ぶ為に。。 Racial Tolerance(人種に対する寛容さ)の嘆願である。 ミシシッピーの知事である Ross Barnettに宛てて 彼の手紙はこう記されていた。 「Be gracious」(慈悲深く、という様な意味) その手紙の中にはこうも記されていた。 「アメリカ白人は解放される事は無い。 全てのアメリカ人が平等権を得るまでは。」 Mooreがマーチをした時に 彼はこんなサインを掲げていた。 「Equal Rights for All」(平等の権利を全ての人に) 「Eat at Joe’s, Both Black and White」(黒人も白人も共にJoe’s で食べよう) マーチの間に Mooreは待ち伏せ・奇襲され 至近距離から2発撃たれた。 彼は,亡くなった。。 35歳の彼の遺体は アラバマ州、ガズデンに近い 人里離れた高速で 大の字になっているところを発見されたのだった。。 何と胸を打つ話だろうか。。 こういった白人が居た事は貴重であり また、忘れてはいけない事だと思う。 こういった人こそが架け橋になるのだから。 架け橋といえば 主人が大学時代の時に つるんでいた白人の友人がいる。 黒人大学に入学したブルース。 彼は最初、 周りの黒人達に受け入れて貰えなかったそうだ。 しかし彼は特殊な奴だった。 黒人達がバスケをやっていると 自分から率先して仲間に入り むしろ彼らよりも断然の上手さ。 黒人達が固まっている所に 当然の様に進んで入り混む白人は 当時中々いなかったらしいのだが 彼は自ら黒人とつるむのを好んだ。 そうしているうちに 周りの黒人学生達は思った。 「何なんだ、こいつ。クールじゃねぇか。」 彼がバスケに参加する度に 彼らは思った。 「何だこいつ、上手いじゃないか。」 彼が黒人達の話題に参加する度に 彼らは思った。 「何だ、お前。話分かるじゃねぇか。」 こうしていつの間にか ブルースは当然の様に 黒人学生に受け入れられる様になる。 実は彼は 幼少の頃から黒人街で育っていた。 黒人街の中で育つ白人の中には こうして「心がブラック」な人達がいる。 ブラックよりもブラックなヤツら。 主人は眼を細めて嬉しそうに言う。 「He was really cool.」(彼は本当にクールなヤツだった) 黒人と白人間の間で 議論される人種問題だが この様に架け橋になる人達もいる。 それが、大切なのだと思う。 それが、今の社会にも もっと必要なのだろうと思う。。 最終更新日時 2004年6月17日 4時49分17秒
日本を離れて海外に暮らしていると より「日本的なもの」「和」を感じさせるものに 懐かしさや良さを感じたりします。 生まれ育った国から離れているからこそ 海外という地で 日本的なものの良さに 改めて気が付かされるのでしょうか。。 そこで、 今回の引越しを期に 今度こそ!!!和室を作る事にしました。 今までは引越しても 現地の生活が即フル回転だったので 結局家を売る時に 「家を売る為に綺麗にデコレーションする」に至り、 「自分達の為に家を快適にデコレーションする」という事を やった試しが無いのです。。 だから今度こそ!!! 旦那に宣言しました。 「次の家では和室を作るわ!」 3ベッドルームの家に 和室が一つ。 1つは私達のベッドルーム。 もう一つは書斎になるので 自動的に残りの一つは私の物に勝手にしている。 ゲストルームだけにしたら勿体無いからね。。 いいのか?! 知らね~~。 滅多に甘えない私が 目をウルウルして甘えてみようかしら。 我が家はいつも彼の要望が優先させられるので 今回はちょっと強く出てみよう。 「リビングとベッドルームは 二人のテイストを融合して愉しもうよ。 でも、日本も恋しいから 和室は和室で愉しみたいたいな。。」って。 甘え下手なので、 良い方法があったら教えて下さい。 私はとことん甘えない可愛くない女なんです。 どうしてだろう? 前の彼にはとっても上手に甘えられたんだけどな。。 今の旦那さんは、ついつい彼を優先しちゃう。 今度の部屋には畳を置きたいのです。 ただ、畳は買うと高い。。 一畳で$80くらいかな。。? こんなんじゃぁ、部屋に敷き詰められないじゃん! という事で、安上がり計画。 お友達も勧めてくれたやり方、 ござを板か何かに打ち付けて 畳を作る。 どうでしょう。。 「なんちゃって畳」でも 無いよりはいいの、これで。。 しくしく。 今回の引越しの際に 「和室を作る!」と心に決めた私は 家にある「和もの」を全てかき集めて 全部一つの箱に詰めて貰うようにしました。 引越し先で即 和室に持っていけれる様に。 用意周到だわ、私。。 結婚式の時に着た白無垢。 元がアンティークで少々汚れもあるので この際クリーニングに出してから 和室に飾ろう。 習字と墨絵を復活して 額に入れて部屋を和風に。 和の小物を上手くアレンジして。。 「手作りで作る和」の本も参考にして 「和」を愉しもう。 やる気出てきました! かしこまった和室じゃなく、 「まぁまぁ、酒でも一杯」ってな感じで 居心地の良い、癒される庶民的な空間にしたいな。 皆さんは和室の工夫、何かありますか? 良かったら教えて下さい。 最終更新日時 2004年6月14日 13時22分44秒
彼は同じ黒人に顔を撃たれて殺された。 何故だ。 そうだ、彼は昔、ギャングに入っていた。 そいつらとつるんでいたんだ。 けれどある日、 彼は完全にギャングから足を洗った。 小さなビジネスも始めて ギャングの奴らとは手を切っていたんだ。 奴らによる嫌がらせが始まった。 彼は無視をし続けたんだ。 それが奴らを余計に怒らせてしまった。 ギャングな黒人達の世界から 堅気な世界へと足を洗った彼に 嫉妬をした奴ら。 同じ黒人であっても様々なのさ。。 同胞の成功を妬み 羨む奴らもいるのさ。。 彼がある日いつもの様に 自分の店に居た時だった。 顔を撃たれたんだ。 かつては仲間だった ギャングの奴が撃ったんだ。 彼は、亡くなった。。 この「彼」は旦那の親戚。 ワシントンD.C.で小さな商売をしていた。 旦那の血縁関係を見ると 黒人でも実に様々な人生を送っている。 教養を受けて賢者な者が大多数な中、 麻薬に溺れて職も無い者、 結婚せずに子供がある者、 仏教徒になった者、 離婚経歴のある者、等。 私が出会う機会の多い黒人達。 それは旦那の家族にも多い 教養のある、 いわゆる黒人の良いRole model(模範)な人々。 ゲトーな黒人像は 既に社会に十分広まっている。 まるでそれが黒人社会そのものであるかのように。 よって、そういった黒人社会にとって 良いロールモデルな人々の姿・魂を世の中に発信し 又、ステレオタイプ化した黒人像を Role model的イメージと共に 改善したいという想いがあるが、 同時に黒人社会を荒廃させる黒人達がいる事も否めない。 旦那の親戚を銃で撃って殺した奴。 旦那のママのこめかみに銃を当てて 「パースを渡さないと殺す」と脅迫した奴も黒人だ。 友人の兄弟は結婚もしておらず 予定外の子供が出来ても 自分の母親に任せっきり。 父親の責任を完全に放棄している。 妻に暴力を振るい 蛇口から水が出る様な出血を 鼻からさせた黒人夫。 元々マイナスのところから人生が始まる黒人達。 人生の道がそれる要素を大量に抱えて 生きていくことを強いられる彼ら。 だけれども、こういった黒人による 黒人社会の崩壊は胸が痛いものだ。 主人も想像を絶するほど 大変な生い立ちの中で育っている。 9歳で両親の離婚を経験し その傷をずっと抱えながら 黒人シングルマザーの元、 貧乏な暮らしをしてきた。 一週間豆のスープだった時もある。 クリスマスや特別な日の時には 母親の泣き声だけが 彼女のベットルームから家に響いた。 子供達に贈り物をしてやるお金が 母親には無かったのだ。 シングルマザーのストレスや寂しさも 全部請け負った主人。 学校でも職場でも差別され続けた主人。 最年少で、とある大学院に たった一人黒人の生徒として入った時にも 嫉妬心から嫌がらせを受けた孤独感。 それでも彼は負けなかった。 道をそれずに強くやってきた。 その力を養うという事は 並大抵のことではない。 普通でない人生を送っているのだから 普通でない性格をしてる面があるが 同時に彼は本当に強い、どこまでも心の深い、 温かい、熱い人でもある。。 幼少から苦労が多くても 彼の様にPositiveな方へ エネルギーを変える事が出来る黒人もいるのだ。 私が黒人達の追ってきている道に 理解と思いやりを恐らく過度に抱く中 彼の視点は厳しい。 「彼らの辿って来た道や全体像を考慮すると 今の荒廃も、彼らの心理も 責められない気もする。。」という私に 主人は言う。 「確かに俺たちが辿って来た道は険しく 落ちぶれる要素は山とある。 けれどだからといって 落ちぶれていいって事にはならない。 同胞の足を引っ張る奴ら、 白人優位主義者の思う壺になる奴らは 俺は嫌いだ。 落ちぶれていたって ちっとも自分の為にならないし ましてや黒人社会の崩壊に繋がるんだ。」 私の友人はゲトーエリアで警察官だ。 彼は黒人。 そして、同じ黒人達を捕まえる。 麻薬の売人。 クレジットカードの偽造。 偽造金。 ナイキの靴欲しさの殺人。 ただの気分的な殺人。 飲酒。 銀行強盗。 ひったくり。 良く働く、 賢者な黒人達と交流の機会が多かった私としても この手の同胞の足を引っ張る黒人達には 「シッカリしろよ!」との想いがある。 黒人社会が同じ黒人達によって荒廃する事は苦痛だ。 白人が黒人を逮捕する気持ちとは相違して 同じ黒人が黒人の犯罪者達を捕まえなくてはいけない心境。 彼を見ていても彼なりに 色々思うところがあるのだろう。。 黒人社会の崩壊に貢献している黒人達、 同胞の足を引っ張っている黒人達。 現代の黒人社会の裏には こうした問題も潜んでいるのだ。 ソウルの大御所、 レイ・チャールズが永眠されましたね。。 彼は1930年、9月23日 ジョージア州、アルバニーに生まれ 6歳という若さで緑内障のため失明。 その後、盲目のハンデと戦いながらも 歌手として活躍されました。 15歳の時に母親を亡くしてから その後本格的に音楽の道を志し、 ゴスペルとブルースを融合させ ソウルミュージックを作り出しました。 日本の人気グループ、 サザンオールスターズの 「愛しのエリー」もカバーし 日本人にも親しみのある方ですね。 そんな彼にも闇の一部があり ヘロイン中毒に悩んだ20年間、 そして1965年には ヘロインの不法所持で逮捕された経歴もあります。 肝臓疾患による合併症の為 カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で 家族に見守られながら 静かに息を引き取りました。 73歳でした。 最終更新日時 2004年6月13日 15時55分2秒 |一覧| |
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