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昨年の5月9日で更新がとまってしまっていたブログを再開させて頂こうと思います。 正直この1年間は色々な事があったように思います。 はじめての皆さんはじめまして!よろしくお願いします。 以前からリンクして頂いていた皆様、ご無礼してしまい申し訳ございません。 また場所を移し再開させて頂きます。よろしくお願いします。 実は昨年のゴールデンウィーク明けから仕事の内容が変わりました。 2007年の年頭にある企業の創業者の方より再三に亘りお誘いを頂き、そこでお世話になる事になりました。本業は健康食品、サプリメントを販売している会社で業界ではまずまずの知名度があり大手の流通などにも商品が陳列されています。 そこの企業が新たに事業を起こすという事で営業を任されることになりました。 業種はズバリ農業です! 長年「食」に携わって参りましたが一番ベーシックな農の世界に行くとは夢にも思いませんでした。 立ち上げてから今日までビジネスモデルが二転三転して参りました。 最初は高品質なトマトを作りブランド化し販売する 青竹の粉を原料とした農業資材(肥料のようなもの)を製造販売する 農場経営する 市民農園を運営する等々 経営的にブレまくっているのではと感じていたところ今度は本業である親会社の内紛に 巻き込まれ、結局M&Aで他社の子会社化 私達のビジネスはよちよち歩きどころか、まだ立ち上がりきれていない段階で 潤沢な資金があると思われていた親会社と切り離されてすぐに歩く事を求められだした 寄らば大樹の陰ではないが大きな庇護が失われた時、人は不安になるものである。 でも縁があり最高のスタッフが集まっている。人財とはよくいったものだ 私より2ヶ月早く、このプロジェクトに参加していたKさんは私のひとつ下だが社会に出て しばらくして農業に興味を持ち、農業大学の社会人科に進みなおし日本でも有数の ハーブ園が経営する農場で核となり業務をしていた。 Iさんは僕より年上で人生経験抱負で最近までアミノ酸やミスト栽培や水耕 栽培で日本でもトップクラスの研究をしてきて過去に5年間スイスで酪農をしてきてた 人で田舎が好きで移り住んできた人です。今でもジャージー牛を2頭飼っていて 自家製の乳製品を作る工房を自宅に作りはじめている。奥様も非常勤で入って頂いている。 もう一方女性で長年地域のコミュニティ紙の記者をしていて人脈が抱負で広報活動の 経験や隣にある日本でも広い面積を有する市の市長から事あるごとに携帯電話が入る 人物です。 私はというと出来が悪いですが18年間食品会社に勤務しその後2年間、飲食店支援を 生業としてきました。 そして農家の皆さん プロの農家が視察に訪れるプロ中のプロで常に有機農法を研究している実践派農家のKさん とMさんとK君 いい時にいい、ご縁を頂く事ができた。 ビジネスモデルが二転三転するなか、私達が扱う「竹粉」の農業資材は、前出の農家の 皆さんが使い、これを使うと野菜の食味がよくなる、糖度があがる、収量が上がる などのすぐれものですが、これを限られた人数で1からホームセンターや販売店を開拓し 販売するのは商品の性格上、大変時間が掛かると感じた私は手を上げて野菜の行商をしたい と手を上げました。 この青竹をまるごと特殊な機会で削って微粉にしたものを使って栽培された農作物は トマトでもアスパラでもメロンでも素晴らしい出来でほんとうにおいしい野菜が育ち 煮物などするときは野菜自体が甘いので砂糖の量を気をつけなくてはいけない位。 こんな素晴らしい農作物を日々情熱と愛情を注いで作っても、既存の流通にのせてしまうと Kg当たりいくらと農薬や化学肥料を使って栽培されたものと同じ評価しかされていない 事に大きな疑問を感じそれならこの農作物を自分の手で売っていきたい。そう感じたの でした。まず農業というものを知れば知るほど他の業態と比べいろんな矛盾がある 業態でした。ここでやるには川上から川下全部やらないといけないと感じました。 僕がいまやっている川上から川下は本当に小さい小川のような流れかもしれないけど この流れを大河にし日本の農を変える事に少しでも影響を与えたいと志を持ち創めました。 日々の記録としてまたブログをはじめたいと思います。 よろしくお願いします。 新ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/ghanamai/
また久々の更新となってしまいました。 GWは別にたいした黄金ではなくただ長い休日を愛犬と過ごしました。 テレビでは例年通り、各方面の高速道路の渋滞状況を報じる一方で、通常この時期は閑散とするはずの都心のオフィス街に人が集まってきていると報じておりました。 六本木の東京ミッドタウンと新丸ビル 一応おさえておこうと、東京ミッドタウンには行ってきたのですが そこで感じた事は、レストランは調理している模様を通路から見えるようにしたりしてシズル感が伝わるような店舗デザインになっているように感じました。 色んな飲食店オーナーの方と話す中で 従業員がお客様を案内するときにカウンターでいいですか?と断る 人それぞれだと思いますが、僕自身はカウンターほど贅沢な席はないと思うんですね 目の前で料理しているもようを見ることができて、料理人さんとコミュニケーションがとれたり、一人で行ってもカウンターに座ると退屈しなかったり、 話しているオーナーもそう感じているらしく、なんでカウンターがいけないかのごとく カウンターでいいですかと断るんだとの事 大人の遊びなれた、お客様であればあるほどカウンターを好むとオーナーは言う いつもこのブログにご登場頂いている、僕の尊敬する同い年の経営者、ドリーマーズの中村社長さんもカウンターを愛する経営者で、経営するホルモン焼き業態の辛獅子屋の店舗を改装して全てカウンターにしてしまった。 前に今をときめくゼットンの稲本社長さんの講演会で聞いた話で ご自身が元々バーテンダー出身でカウンターをはさんで色んなお客様の話を聞いてきた プライベートの事、楽しい話、悩み、色々聞いてきた カウンターで仕切られたところで相対するだけで、お客さんはこんなに心を開く カウンターの力の凄さを感じてきた。 工場にあれば単なる木材の工業製品に過ぎないものが 店に取り付けられるとカウンターとして絶大なる力を発揮すると 最近の繁盛店を見ていると確かにそう感じるし、スタンティングバーの流行もカウンターだからこそと思います。 最近の飲食店のデザインや色んな方とのお話の中で、そんな事を感じました。
先週末は都内へ行った ファベックスという主に中食や惣菜にスポットをあてた見本市 正直あまり収穫はなかったが、自分のアンテナや皮膚感覚を確認するには いい機会だと思います。 その後、お世話になっている食器販売会社に伺い、専務さんと情報交換 先日NYに行かれたそうですが、日本食の人気はすごくて、NOBUやMORIMOTO そして今井屋総本店のMEGUなど日本人の手による日本食は人気で専務曰く イチロー、松井、松坂だけではなく 食の世界でも日本人が活躍しているとの事 受け売りで恐縮ですがソーホーとかのエリアよりもかって肉の処理場があった ミートパッカー地区が熱いそうです。 専務さんのNYレポはよろしかったらこちらから いいお話を色々頂いてから昨年オープンしたばかりブログを全然更新していない(笑) くるみ屋Diningへ 開店まで色々お手伝いさせて頂きましたが 詳しくはこちらをどうぞ カウンターで食事をしながら色々お話をお聞きしました。 飲食店オーナーとしては、まだまだ一歩を踏み出したにすぎないオーナーは 日々考え行動、試行錯誤の連続のようですが やはり行動を起こす事、なんでもいいからアクションを起こす事 失敗や先を案じすぎてしまう僕はそういうひたむきさを教わった気がします。 そして先日はいつも私達、日頃飲食店にお世話になっている出入り業者で組織されて いる「ご盛業サポートクラブCHIBA」の打ち合わせがありました。 10月に毎年開催している「ごHanjo道場」開催の打ち合わせです。 一昨年はてっぺん、居酒屋甲子園理事長の大嶋氏の講演 昨年は大統領をサービスした男、元グローバルダイニングでHUGEの新川氏 年々規模が大きくなり昨年は650名程のご来場がありました。 飲食店を盛り上げていこうという皆さんとの打ち合わせは有意義です。 夜八時半、かって大変お世話になり、今は千葉の地方都市で飲食店を経営する 企業のNO2の方とお食事をさせて頂きながら、色々お話しました。 今の会社の社長はビジョンが素晴らしく、数年前から不正やうそをついたり 不誠実な会社は生き残れないと語っていたそうです。 今は1日にお客様に対してどれだけの親切をしたか提出するそうです。 先日ワタミの渡邉美樹社長の講演内容のCDを頂きました。 その中で、しっかりとした経営の仕組みを作れば、あとは売上をあげろ 利益をあげろではなく、いかにありがとうと言って頂けるか、ありがとうを 集められるかで、自ずと売上はあがるというものでした。 私は最近思うんですが、外食産業と呼ばれ店舗数や店の規模、出店場所の良さ などがその店の力や順位だったのは遥か遠い過去のことで 店の規模は別にお客さんの利益と関係ないし、あくまでも結果であって いかにお客様に喜んでもらえるか、満足をして頂けるかを追求している 飲食店やそれを運営している企業が急成長しているように思いますし 色んなオーナーとお会いして成功している方の共通点はここだと 自信をもって感じています。 ここ数年でフランチャイズ支援の会社を使って店舗数を増やし時代の寵児のように マスコミでとりあげられてきた企業の業績が必ずしも良くない事からも 感じ取る事が出来ます。 色々なオーナーの話を聞いて僕の尊敬する渡邉美樹さんの講演の中で おっしゃっていた言葉に尽きるとおもう 会社とは株式を売った、買ったで手に入れるものではない 会社というのは人間そのもの、人の想いそのもの、心そのもの いつも社員に話しているが全店舗600店が地震で壊れてなくなっても怖くない あの3000人の社員がいれば怖いものは一切ない 心ひとつにした家族がいればなんでも出来る 会社とはなんぞや、人そのもの とおっしゃっていた 鳥肌がたちました。 僕の好きな経営者、身近で成功している経営者、共通の理念のような気がします。
昨日ガイアの夜明け「新たな”食”を発掘せよ!~狙いはアジアの本物~」 を録画し夜中に見た。 ほんの2,3年前、時代の寵児のようにマスコミに登場していたタスコシステムとレインズ が今正念場を迎えている、迷走する外食の世界において次の一手はアジアにあるとの切り口 で水産会社の外食直営会社社長とこの世界では著名なコンサルの先生がアジア各国にとんで 日本でヒットする業態を日本で展開させるという内容でした。 2005年7月にも同じガイアの夜明けで外食を取り上げた内容を見たときの 自分のブログを読み返してみると 2006年7月1日のブログ この時、タスコシステムさんが取り組んでいた「ブランドパック」という手法に すごく違和感を感じていたが、やはりというか今度はブランドを絞り込んで 資源を集中させると今回の番組では2005年にやったいた事と、真逆の事をすすめて いかれるようです。 ブランドパックで日本全国津々浦々からこれからブレイクしそうなコンセプトを 青田買いしている規模が、ただ単にアジアに広がっただけではと感じてしまいました。 しかし外食産業の歴史は当時ペガサスクラブとか商業界とかが主催するアメリカ研修 とか勉強会でアメリカのファミリーレストランやファーストフードを日本で展開することで 大きな産業と発達しましたが、97年をピークに減少傾向にある外食産業でまた同じ手法で 今度はアジアから業態を輸入しても時代が違うし難しいのではないかと感じました。 東京オリンピックや大阪万博の頃とバブルを経験した今とでは消費者ニーズが 全く違うのではないか、提携とかM&Aとかが盛んな外食産業ですが 僕の尊敬する渡邊美樹さんは本来会社とは売り買いするものではないとおっしゃって ますが、上手く日本に落としこめても理念まで持って来ることは難しいのではと改めて 感じました。
今は主に千葉市内にいます。 千葉駅周辺がテリトリーになっています。 今回千葉ウォーカーで特集されているのは千葉駅周辺 旧知のオーナーの店や新進気鋭のオーナーの店などが紹介されています。 最近感じる事なのですが これまでは地元の飲食店としてがんばっていて 新規店出す時は都内の繁盛店へ視察に行って、色んなエッセンスを吸収したり インスパイヤーされたりして 業態を決めて、出店する為にどこか2番煎じ的な店が多かったのも事実だと思います。 前にも書きましたが 東京がくしゃみをすると千葉が風邪をひくみたいな どうしても東京の飲食店に比べると遅れをとってしまっているように感じていました。 でも最近では逆に千葉発信で都内へ切り込んでいく飲食店も増えてきて すごくいい事だと思います。 都内の繁盛店も名古屋発信企業が元気だとか 九州からきているチェーンや関西系のチェーン 地方発信ブランドのほうが元気がいいような気がします。 時代の寵児のようにもてはやされ、消えていた店や吸収合併されてしまった企業なども ありますが・・・・・ 最近の千葉で元気のいい若手経営者の飲食店は やはり勢いもあるし センスもいいし 店作りもしっかりしている 先日ご紹介させて頂いた ドリーマーズ株式会社の串屋横丁も都内進出を果たしたり まる 一家ダイニングプロジェクト とかはここ数年で一気に成長している企業です。 地元を愛する僕にはすごく嬉しく感じます。
今週は月、火、水曜日と串屋横丁を展開しているドリーマーズ株式会社の中村社長とご一緒させて頂きました。 火曜日は都内へ入り、秋葉原でかっての会社の先輩とお会いして その後、今話題の東京ミッドタウンへ行きました。 夕方ここでも何回も登場して頂いている串屋横丁が都内へ初進出しました。 浅草橋駅ガード下の串屋横丁 ![]() 以前、一緒に飲んだ席で今回はこういうファサードにしょうと思うんですよと 手書きで書いてくれました。 ![]() 2005年3月23日にこのブログに初登場して頂いてから 丁度まる2年、着々と店舗数を増やし今回日本の首都東京にそのくさびを打ち付けました。 なんかドリーマーズ株式会社の発展を見ていると、僕が2年前に感じた事やお聞きした事が現実になってきていて、サポーターの一人としてすごく嬉しく感じます。 この会社は感動、元気、やすらぎを合言葉に理念を共有する一大ファミリーなんですね ここで独立されているFCオーナーの皆様もその理念を共有しながら2店舗、3店舗と次の出店をなさるという方が増えてきました。 2005年3月当時は僕のブログでも読んでいただいて大袈裟にと感じた方も少なくないかもしれませんが、これからも年内出店計画が一杯です。 僕の尊敬する渡邊美樹社長の実録経済小説青年社長は大好きで何回も読みましたが 今リアルに同じように会社を大きくしているのをすごく近い距離で見させて頂くのってすごくわくわくするんですね。 中村社長ももちろんなんですが、他のFCオーナーさんや社員の皆様や店舗のスタッフの皆さんとお会いするとすごく元気になって幸せな気分になるんですね。 今話題の居酒屋甲子園理事長、てっぺんの大嶋社長と初めてお会いした時もお話に感動したんですが、千葉の茂原というところに串屋横丁という店がありここも素晴らしい経営です。いずれ全国区になるので覚えておいてください。とお話しました。 そんな私だから今回の都内進出はすごく嬉しくて、そして今回の出店の経緯もすごいもので だから一昨日お邪魔した時は嬉しくて はじめての1,2階店舗です。 2階に案内されると、なんとなく疎外感というか感じるんですが 1階のカウンター内の上部を吹き抜けにして下の声、居酒屋ならではのBGMが2階に伝わるように出来ています。 ![]() 2階席カウンター串焼の写真の下は吹き抜けです。 これまで千葉じゃ行きたくてもなと感じていて皆さん 機会がありましたら、僕が大推薦する串屋横丁に行って感じてみてください。 浅草橋駅ガード下の串屋横丁 03-3862-8188 JR浅草橋駅2階改札口のすぐ真裏です。 すいません全然関係ないんですがどなたか楽天ブログ詳しい方 これまでの写真が一杯でもうアップロードできないんですが こういうのは古い写真を削るしかないんですかね 詳しい方、教えてください。
なんか春って、これからはじまるぞって感じでいいですよね。 もう二十年前になるけど入社式は鮮明に覚えてます。 今じゃあんま言わないかもしれないけど三つ揃いのベストも付いた紺のスーツで 学生時代はズボンの太さを競っていてモモワタリ五十センチ、裾幅四十センチなんてズボンを中学生から好んではいていた僕には、スーツのズボンの細さは、物凄い違和感で・・・ なんだろうスパッツやタイツのように感じた。あの時の違和感はすごく衝撃的でした。 社会人としてスタートしてまずは先輩のトラックに同乗して仕事覚えてルートセールスで、お得意先から本当にいろんな事教わって 今でも春になると、そんな期待と不安が入り交じってた、あの頃を思い出します。 かってお世話になった会社のトラックの助手席に新入社員とおぼしき、僕の事など知らない後輩に対して当時の自分を重ね合わせエールを送らずにはいられません。 なんかそんな気持ちで自分自身を振りかえる事のできるこの時期、花粉症だけど結構好きです。
千葉市に幕張という土地がある 結構全国的にも有名だと思います。 幕張メッセ、千葉マリンスタジアム、高層ホテル群 高層オフィスビル群 幕張と聞いて、思い浮かべるのは列記したように「海浜幕張」 しかし本当の幕張とは海浜幕張から内陸へ行ったJR幕張駅付近が幕張と言われている 土地です。 古くは江戸時代、八代将軍吉宗に命ぜられた青木昆陽さんが幕張の地でさつまいもの栽培を成功させ、その後の飢饉で沢山の人々を救ったという事でJR幕張駅と隣接している京成幕張駅の近くには青木昆陽さんが祭られている、昆陽神社がある。 昔は国道14号線から先は海だったそうである。 稲毛の14号線近くにある定食屋は大広間みたくなっていて食事が終わったらそこで寝てもいいようなシステムになっているかっては海の家だったそうである。海岸が埋め立てられ海の家が海岸から3km位離れた場所に取り残されている。 海浜幕張の新都心も出来たのもここ15年位の話で昔は本当に何もなくて、開通したばかりの橋でナンパするかゼロヨンするか位の場所でした。 ここ10年は海浜幕張に遅れをとっていた古くからの幕張町 しかし最近は昭和の建物をリノベーションし若い感性で商売をはじめる若者が多くなってきた。 私の10年来の友人が昨年スペインバルをオープンさせた 大工さんと二人で手作りで10坪程の小さい店をオープンさせた。 そうすると、瞬く間にそこでがんばっている飲食店オーナーコミュニティが出来た。 古くからの幕張町を盛り上げていこうと言う事で町内会ではないが仲間内で話が盛り上がり、各店舗共通のアイテムを作った。 アド街っく天国の薬丸印で紹介されそうだが ![]() 幕張町ライター 参加した店舗が書かれています。 ![]() 都市部の飲食店は同じテナントビルでもだれがオーナーかわからなかったり、階下では看板の場所を巡って店同士が喧嘩したりもめてる話を聞きますが、ここではみんなが街を良くしょう、盛り上げようという大変良い流れがある。 前にブログで裏幕とかいって裏幕張が盛り上がると言っていたが 今千葉で勢いのある飲食店オーナーは幕張町の物件狙ってます。
先日つけ麺の元祖 東池袋大勝軒が閉店した。 1軒のラーメン店の閉店に徹夜組を含め最後の400杯を目指して長蛇の列を作る それを取材するマスコミの報道もすごくてワイドショーではかなりの時間を割いて 放送していたのを見て 改めて飲食店のすごさを思い知らされた。 その当時は今ほど飲食店に対して興味があったわけではないので知らないが 日本を代表する高級フレンチ、帝国ホテルのフォンテンブローが幕を閉じた時は こんなに人々に惜しまれたであろうか? 推測ですが一部の人々にしか受け入れられなかった為、閉店に追い込まれ たのではないか? ラーメン屋とフレンチを比べるのもなにかと思いますが お客様を料理でもてなすという点ではどちらもかわらないのではないか つけ麺の元祖で今やつけ麺は日本全国大抵のお店がふつう盛でも麺が多いのは 最初に山岸さんがたくさん食べて欲しい、お客様を喜ばせたいという 気持ちからだと思う 飲食店とは本来そのようなもので いつからか外食産業と呼ばれ、そういう心のようなものを忘れてしまって いるのかもしれない。 山岸さんには100名を越えるお弟子さんがいるそうである。 その期間が重要か短い期間でも濃密な修行をすれば問題ないと思うが 1年いなかった人でも大勝軒ののれんを出すことが出来る 驚くことに加盟金・のれん代・ロイヤリティは一切ないそうである まさに山岸氏の人柄である だからお客様に愛される 多分ロイヤリティをとったり私腹を肥やすような事をしていたら 大勝軒本社という大きなビルが建っていたかもしれない でも大きなビルが建っていたら、のれんの灯を消すときに こんなにも大勢のお客様に惜しまれながら閉店することはなかったと思う。 閉店の日、通勤で通る「千葉大勝軒」は夜通ると電気が消えていた 多分ここのマスターは東池袋大勝軒を手伝いに行っていたのだと思う。 ここの大勝軒は僕も大好きでよく通っているが、山岸さんの遺伝子を しっかり受け継いでいると思う。 その週の休日、店の前を通るとここも長蛇の列 TVの影響でしょう。 お客さんを喜ばせたい、人を喜ばせたい シンプルだけど出来ていない飲食店って多い気がします。 自分自身も自分の周りの人々に喜んで頂けるよう生活できているか 自分の働きは誰かの役に立ち、喜ばれているだろうか そこに哲学や理念があるだろうか、色々考えさせられた。 前職で16年間お世話になった会社で 「恩返しの達人は常に繁栄の芽を出し続ける」と教わったが 最近いろいろ考えることが多い日々を送っています。
僕には沢山の友人・知人がいる あまり付き合った年数は関係ないみたいで、案外短期間で深い付き合いになってしまう。 そんな仲間からは色々吸収したり刺激を受ける事が多い ここ1、2年は仕事の内容が変わったからかもしれないが新たな交友関係が加速度を増して 広がってきている。もちろんこのブログからという関係も大きい そんな中でも同い年だけどすごく尊敬できるドリーマーズ株式会社の中村社長と知り合えた 事は大きい、創業して間もなく知り合った時はまだローカル店舗のオーナーでしたが年内には 50店舗位までには行ってしまう勢いだ そしてその中でお知り合いになったFCオーナーの皆さんとのご縁も貴重だ 最近知り合った仲間の中で異色なのはこのブログにもリンクしてもらっている 助川富雄この男との出会いもおもしろい ブログでまだ4店舗しかない頃の串屋横丁の事をブログで紹介したら、すごく早い決断で FC加盟し鬼のような修行を経て店舗のオーナーになってしまった 最近知ったのだが小学校六年生の時に競輪選手になることを心がけ独自のトレーニングをして 多感な思春期に身辺調査があると言う事でというか元々やる気がなかったかもしれないが やんちゃな事もぜず、黙々と己の夢に向かい、そして競輪選手になった。 僕の友人も競艇選手の訓練生で山中湖まで行ったがその後、帰ってきたのは学生時代の やんちゃが影響していたのかも、坊主頭で日の丸が入っていて世界は一家人類は兄弟と 刺繍されているジャージを一家ジャージというんだと説明してくれた事を思い出した。 話がそれてしまったが、そんな僕の大切な仲間、助さんを支えてくれたスタッフの侑太君が 先週、上福岡駅前の串屋横丁を卒業していった。 はじめて会ったときは、むつみや東松山店に行った時でした。 僕と助さんが話しているとき丁度まかないの時間だったんだけどよく食べて元気だなって 思っていた。助さんが串屋横丁に加盟する為、埼玉と千葉の二重生活に入った時も 中心メンバーとして店を支えていた。上福岡駅前の串屋横丁のスタッフとしてオープニング メンバーに選ばれた時、多分はじめて行ったであろう千葉県の茂原市というところで 泊りがけで研修に行っていった。 助川富雄と言う男は熱い男であるが、どうやら不器用なようだ 侑太君を厳しく育てた そんな侑太君が店を去っていったとき助さんのロッカーに便箋4枚にびっしり手紙を 書き残していったそうである。 それは4年にわたる助さんとの付き合いでの思い出話 毎日辞めようと思っていた事 すごく厳しい指導 でも、そんなやりすぎとも思える愛情溢れる指導で自分が確実に変わっていった事や 感謝、助川さんを好きだと 僕は助さんのブログを読んでいて短い期間だったけど、頑張っている侑太君を知っている のでちょっとうるうる来てしまった。 助さんとの4年間は社会人として巣立つ前の最高の修行の場だったはず。 助さんも感謝しているはずなのにこれといった言葉もかけず、送り出し 手紙を読んで感動しているのに、メールで誤字が多いと送信してしまう そんな不器用な男、助川富雄 でも彼らの師弟愛はぼくなんか想像が出来ない位深い 侑太君の最終日は常連さんからの花束とプレゼント攻勢だったそうである。 飲食店のお客さんと店、そしてそこで働くスタッフの絆の深さに感動 ほんと飲食店っていいですよね 池袋大勝軒の閉店日に400名のお客さんが前日から長蛇の列を作ったり また話それましたが もう上福岡の串屋横丁で彼のやんちゃそうな笑顔に会えないのは寂しい気もするが 大阪に行くことがあったら一緒に飲みたいな なんか最近、自分も色々考えている事があるんですが 仲間からそして仲間の仲間から本当に色んな刺激を受けている。 侑太君おつかれさまでした。 ご活躍をお祈りします。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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