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平和問題、歴史認識、環境問題など、様々な社会問題についてわたしの考えを発言する場です。最近は音楽(フォルクローレやフルート)、山歩きの話も書いています。 ホームページもご覧ください。2008年8月2日開設 inti-solのページ RYOのフォルクローレと山と歴史 inti-solの日記 [全325件]
以前にも書いたことがありますが、私は小学生の頃、音楽の授業が苦手でした。指が細くて、リコーダーの指穴が押さえにくくて、うまく演奏できなかったし、楽譜も読めなかった(今もほとんど読めないですが)ですから。 大学に入って、初めてケーナという笛と出会って、それで世界が変わったという感じです。もし、ケーナと出会っていなかったら、ずっと演奏と縁のない人生だったでしょう。 もっとも、学生の頃は演奏仲間がいなかったので、家で1人で練習していただけです。仲間と一緒に演奏するようになったのは、社会人になって2〜3年目くらいの頃。それから、もう17〜8年経ってしまいました。 ひとくちにフォルクローレと言っても、その中には様々な音楽が含まれます。一般的に、日本でフォルクローレと呼ばれる音楽はアンデス周辺の地域、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、チリ、アルゼンチンの音楽(アルゼンチンでもタンゴはフォルクローレとはみなされません)なのですが、何しろ全長8000kmもある山脈ですから、北の端と南の端では音楽だって全然違います。 このなかで、日本に初めて入ってきたのは、アルゼンチンのパンパ(平原地帯)のフォルクローレでした。かつて、タンゴの世界的ブームというものがありまして、それ以降、いわばタンゴの付録のような扱いでアルゼンチンのフォルクローレも日本に入ってきたようです。ただし、この音楽は、ケーナやサンポーニャといったアンデスの楽器はほとんど使いません。だから、その頃はまだこれらアンデスの楽器は、世界的には知られていませんでした。 アンデスのフォルクローレが世界的に知られるようになるのは、1970年代始め、サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」の大ヒットによります。同時に、ケーナやチャランゴというアンデスの民族楽器も世界的な知名度を得ました。 サイモンとガーファンクルの伴奏は、アルゼンチン出身の「ロス・インカス」というグループだったので、当初はアンデス・フォルクローレもアルゼンチンのグループが世に紹介することが多かったのですが、実はアルゼンチンでは、アンデス音楽はかなりマイナーです。そのため、1980年代に入ると、アンデス音楽の本場であるボリビアのグループが取って代わるようになります。ひとくちにアンデスのフォルクローレと言っても、アルゼンチン北西部、チリ北部、ボリビア、ペルー、エクアドルと各国にまたがっており、それぞれに少しずつ違うのですが、その中で特に盛んなのは、やはりボリビアのフォルクローレでしょう。 私自身は、ボリビアのフォルクローレもアルゼンチンのパンパのフォルクローレもどちらも好きですし、どちらも演奏しています。ただし、「コンドルは飛んでいく」からフォルクローレに入ったので、最初にアンデスのフォルクローレを始め、しばらく経ってからアルゼンチンのフォルクローレに出会いました。同じようなパターンが多いため、日本ではアンデスのフォルクローレの方がアルゼンチンのフォルクローレよりずっと演奏人口が多いと思われます。 典型的なボリビアのフォルクローレで使われる楽器は、弦楽器のギターとチャランゴ、管楽器のケーナとサンポーニャ、打楽器のボンボの5種類です。 ギターは言うまでもなくスペイン起源、チャランゴも、ギターから変化したものですから、起源はスペイン系です。打楽器には先住民起源のものが沢山あるのですが、一般的に使われるボンボ(毛の生えたままの動物の生皮を使う)は、スペインの軍楽太鼓が起源とされます。一方ケーナとサンポーニャは先住民起源。ただし、西洋音楽に対応するように、音程や材質が大幅に改良されており、もともとの楽器とは似て非なるもの、ということもできますが。 音楽的に言うと、6/8拍子は全て元をただせばスペイン起源、一方2拍子、4拍子系の音楽は、もとをただせば先住民系である場合が多い(例外あり)とされます。 つまり、現在のアンデスのフォルクローレは、先住民系の音楽的要素とスペイン系の音楽的要素が混ざり合って完成した音楽と言えます。 では、いつ頃この音楽が完成したかというと、かなり新しい時代です。「コンドルは飛んでいく」は1910年頃に作られた曲ですが、この頃現在のアンデスのフォルクローレは、まだ影も形もありません。 1943年に、「花祭り」というフォルクローレの代表曲が作られているのですが、その当時の演奏を聴くと、1番がチャランゴ、ギターとケーナ、2番がピアノとバイオリンという構成になっています。この1番の部分が現在のフォルクローレに近い感じです。だから、現在のアンデスのフォルクローレの原型が誕生したのは1940年代、と言えるかも知れません。 しかし、このような音楽形態が一般的に定着するのはずっと後の時代です。現在のアンデス・フォルクローレの中心地ボリビアでは、1952年のボリビア革命までは、白人の音楽と先住民の音楽は、同じ国の中でもほとんど別世界の存在だったようです。革命以降、先住民が都市に流入するようになって、はじめて両者の音楽の相互乗り入れが始まったようです。現在のいわゆる「フォルクローレ」が一応完成するのは、1960年代のことです。 ボリビア・フォルクローレのもっとも典型的な編成は5人です。まあ、4〜6人で調整可能ですが。楽器別に見ると、ギター・チャランゴ・ボンボ各1人と管楽器が2人。管楽器というのは、ケーナとサンポーニャですが、一つの曲で両方を同時に使うばかりではなく、ケーナの二重奏、サンポーニャの二重奏のこともあります。だから、管楽器奏者は基本的に両方吹けることが必要です。それどころか、曲によっては笛が3人になったりギターが2人になったり、ロンロコと呼ばれる大型のチャランゴが加わったり、楽器の異動が激しいので、必然的にマルチ・プレーヤーが増えます。私の場合は、チャランゴだけはどうにも不得手ですが。 日本でフォルクローレを始めようと言う人の99%は、ケーナから始めます。ギターが好きだからフォルクローレを始めようという人は、なかなかいない。私自身もそうです。 しかし、フォルクローレの中でもっとも重要な楽器は何かというと、実はギターなのです。 フォルクローレのギターとチャランゴの関係は、エレキベースとエレキギターの関係に似たものがあると思います。エレキギターだけあってベースのないロックは成り立たないのと同様、チャランゴだけあってギターのないフォルクローレも、成り立たないのです。 だから、ギターを弾けるひとがいるかどうかが、フォルクローレの演奏のカギとなるわけです。 ある会社のケーナの通信教育の受講生が累計1万人を突破した、と聞いたのはもう何年も前のことです。それ以外にも様々な通信教育やケーナ教室がありますし、大学のサークルで覚えたり、私のようにまったく独学の人も少なくないので、累計すると日本中に2〜3万人はケーナを吹く人がいる計算になります。ただ、途中で挫折する人が多いからでしょうか、実際日本中に現在ケーナ人口が何万人もいるようには思えません。せいぜい数千人じゃないか、という気がします。 福島県の川俣町というところで、毎年10月にコスキン・エン・ハポンというフォルクローレのお祭りがあります。ここに出演するグループの総数が150から200くらいあります。日本全国では、ここに出演しないグループが、多分その3〜4倍あると思うので、総数では日本中に600から1000くらいのフォルクローレのグループがあるんじゃないかと思います。1グループ平均5人として3000人から5000人、と言いたいところですが、掛け持ちが何割かあるので、グループで演奏活動を行っているフォルクローレ人口は、2000〜3000人というところかな。それ以外に、グループなどには入らず、ケーナ教室とか1人で吹いているだけの人も、何千人かはいるでしょうが、それを併せても6000〜7000人くらい?あくまでも推測混じりの大雑把な推計ですが。 他のジャンルの音楽に比べれば、本当に小さな小さな世界です。
http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY200911200244.html 自民、田母神氏に参院選出馬を打診 本人は拒否 自民党が田母神俊雄・元航空幕僚長(61)に対し、来年夏の参院選比例区からの立候補を打診していたことがわかった。田母神氏に断られたため、航空自衛隊OBで松下政経塾生の新顔、宇都(うと)隆史氏(35)の擁立に切り替えたという。 田母神氏は昨年10月、「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する懸賞論文を投稿していた責任を問われ、更迭された。イラクでの航空自衛隊の活動は違憲とした名古屋高裁の判決に「そんなの関係ねえ」と発言するなど歯にきぬ着せぬ発言などで知られ、現在、各地の講演では持論の核武装論を展開している。 野党に転落した自民党は参院選の目玉候補探しに躍起になっており、自衛隊関係者からの候補者を探していた党幹部らが出馬を打診した。田母神氏は拒否したが、宇都氏を支援する考えを自民党側に伝えているという。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− やっぱり、自民党は程度の低い極右政党になり果ててしまった、ということなのでしょう。 田母神が更迭されたのは、自民党政権の時代のことです。自らが更迭した航空自衛隊のトップを、自ら参議院選に擁立する、これほど矛盾に満ちた行動はありません。その本音は、更迭は本意ではなく、本心では田母神の主張に賛同していた、ということでしょう。 もちろん、自民党の全部がそうだとは言いません。例えば、あの騒動が起こったとき、元防衛相石破茂(当時は農水相)がわざわざブログで田母神の主張に全面反論して見せたのは、単なるポーズだけではないでしょう。しかし、自民党の主流としては、田母神を擁立することに何の抵抗もない、極右体質に染まってしまったわけです。 もっとも、当の田母神自身は出馬を拒否したんですね。そりゃまあ、自分を更迭した党から出馬というのは、更迭した側の内心がどうであれ、心理的抵抗はあるかも知れませんね。それに、田母神は今や月に24回も講演をこなすという人気評論家ですから、国会議員になるより今のままの方がおそらく収入も良いのでしょう。 本人は、「日本には反日的な言論の自由はあるが、親日的な言論の自由はない」などとうそぶいているそうですが、それが大嘘もいいところであることは、更迭後の自身の華麗なる講演生活が証明しています。 それにしても、公開された論文を読む限り、そこいらにごまんといるネットウヨクの戯言と同レベルの作文に過ぎません。あの程度の論文で人気者になれるとは、保守言論界というのはオイシイ世界だなあと思ってしまいます。 ところで、軍事評論家神浦元彰氏のサイトによると、懸賞論文で騒ぎになったとき、田母神は 防衛省幹部の対策会議で「おれのバックには森元首相がいる」と凄んで、更迭された。森元首相は石川県が選挙区で、田母神氏は小松基地(石川県)の司令を務めたことがあった。 のだそうで。問題の懸賞論文を募集したアパグループの元谷外志雄社長と田母神が親しくなったのも、小松基地時代(元谷は、「小松基地友の会」の会長だそうで)と言われます。何とも・・・・・・・・。 しかし、2004年の参議院選で自民党が擁立した自衛隊OB候補が全滅した、というのは知りませんでした。その理由が、神浦氏の見方のとおり、自衛隊イラク派遣が自衛隊内部で不評だったから、というのが事実とすれば、ある意味では意外ですが、やっぱり自衛隊員も人の子(家族となれば尚更)、バランス感覚というものがあるんだなと思います。
http://www.asahi.com/politics/update/1120/TKY200911200338.html 金庫カラにし自民下野 機密費、突出の2.5億円支出 平野博文官房長官は20日の記者会見で、04〜09年度の内閣官房報償費(官房機密費)の国庫からの支出記録を公表した。政権交代が決まった衆院選2日後の9月1日、当時の河村建夫官房長官が2億5千万円を内閣府に請求し、引き出していた。約半月後に平野氏が河村氏から引き継ぎを受けたときに、この引き出し分はすべて使われており、官邸内の残高はゼロになっていたという。 平野氏が公表したのは、機密費を管理する内閣府に歴代の官房長官が支出を請求した日付と金額の一覧。受け取った機密費をいつ何の目的で使ったかについては明らかにしなかった。 記録によると、自公政権時代には、年度末の調整を除いてほぼ毎月1億円、年間12億円前後が国庫から引き出されていた。ところが今年度は、河村氏が9月1日付で通常の2.5倍にあたる2億5千万円を内閣府に請求していた。8月までは例年同様毎月1億円が引き出されていた。 平野氏は、河村氏から引き継ぎを受けた9月17日の時点で「事実上、官邸の金庫の中では(残高が)なかった」と説明した。09年度予算で官房機密費は14億6165万円を計上。うち8億5千万円を麻生政権が使った計算だ。政権交代後、平野氏は9月24日と10月14日にそれぞれ6千万円を内閣府に請求していた。 政権交代前に駆け込みで突出した金額が引き出された理由について、平野氏は「前政権の時の支出だ。私が根掘り葉掘り、これはおかしいということは、前政権のことだから、差し控えたい」と述べた。 河村前長官は20日、記者団に「使途についてはこれまでも非開示だ。説明する立場にない。引き継ぎはきちんとやらせて頂いた」と語った。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 9月1日と言えば、総選挙で自民党が大敗した翌々日であるわけで、これから下野する政党が、いったい何に機密費を使うのか。民主党へのスムーズな政権移譲を妨害するための裏工作費でしょうか。と、言いたいところですが、どうやら機密費の使い道というのはそんな「高尚な」目的ではないようです。 2001年の記事なので、ちょっと古いですが、こんな記事があります。 「一番多いのは国会対策費。政局が混迷した時なんかに、野党の国会対策委員会幹部に『お手柔らかに』という意味で数百万円を渡す。また、与野党を問わず、議員が外遊する時には数十万円から100万円までの餞別。あれも国会対策費のようなものだろう。他には政治評論家やマスコミ関係者への情報収集料名目のカネ。もちろん首相や官房長官、大蔵や警察から派遣されてきた秘書官などの飲み食い代もそこから出される」 「当時の首相が機密費で選挙区のウドンを1tコンテナ分買い込み各地の大使館にお土産として配った」 「ある皇族が結婚前に“身辺整理”として1億円の機密費が手切れ金として使われたといわれています。また、海外の皇族や首脳が日本に滞在した時に仕込んだ隠し子の養育費を20歳になるまで機密費で面倒をみる、という話も聞いたことがあります」 まさに、何でもありと言うか、公金の私物化を「機密」というオブラートでくるんで誤魔化していた、という以外のなにものでもないようです。(もちろん、上記の証言は、あくまでも「噂」であって証明された事実ではないのですが、機密費の使途が非公開である限り、この種の噂を否定することはできないでしょう) まして、選挙で敗北してから政権明け渡しまでの半月あまりで例月の2.5倍の機密費を使い切って下野とは、あきれ果てた話です。 今からちょうど30年前、中米のニカラグアでサンディニスタ民族解放戦線による革命が起こったとき、当時の独裁者ソモサ大統領が逃亡する際、国庫の中を空っぽにして莫大な公金を持ち逃げした事件を彷彿とさせる話です。 自民党はソモサ独裁政権と同程度の体質の政党となり果てた、ということなのでしょう。 平野官房長官にも、機密費の内訳は非公開なんて言わずに、何に使ったか調査して公表してもらいたい。
http://www.asahi.com/science/update/1118/TKY200911180143.html 08年のCO2排出量最多、IPCC最悪シナリオレベル 世界の08年の化石燃料燃焼に伴う二酸化炭素(CO2)排出量は、87億トン(炭素換算)で07年より2.0%増加し、1人当たりの排出量は1.3トン(同)と過去最多だったことがわかった。日本の国立環境研究所や欧米などの研究機関が加わる国際研究チームが、17日付の英科学誌ネイチャー・ジオサイエンス(電子版)に発表した。 08年の世界の化石燃料燃焼に伴うCO2排出量は90年比では41%増加。1年当たりの増加率をみると、90年代は1.0%だったが、00〜08年の間では3.4%に上昇した。 特に経済発展が著しい途上国での増加率が高いが、先進国で使われる製品の生産に伴って排出されるCO2が多いことも一因だと指摘。例えば、中国で02〜05年に増えたCO2排出量の半分が輸出品の生産によるもので、排出量が減った英国も輸入製品を考慮すると増加になるという。 研究チームは「08年のCO2排出で先進国は世界の45%だが、消費ベースでみると先進国は途上国を上回っている」としている。 09年は世界的な不況の影響で排出が減ると見ているが、「これまでのところ、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が予想する最悪ケースのシナリオに沿って排出が増えている」と警告した。 07年に発表されたIPCCの第4次評価報告書は、CO2が想定する最悪のシナリオで増えると、今世紀末の世界の平均気温は20世紀末より2.4〜6.4度上昇すると予測している。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− うーーーーん、これは非常に厳しい状況です。 6.4度はもちろん、2.4度の気温上昇も、かなりとてつもない数字です。全世界で毎日の気温が平均的に2.4度ずつ上がる、というわけではありません。気候の変動には必ず「揺らぎ」が伴います。つまり、あるところでは猛烈に気温が上がり、あるところでは逆に下がり、あるところでは夏の気温が変わりあるところでは冬の気温が変わり、その全ての平均でとして、地球全体の気温が2.4度上がる、ということです。降水量や降水パターンも影響を受けますから、渇水や豪雨も増えるでしょう。それらのことによる社会への影響は、かなり大きいものがあります。 それに、100年後に2.4度というのは、そこまでしか予測していないという意味であって、そこで気温の上昇が止まるわけではありません。CO2の排出が増大しつづければ、その後も気温は上がり続けるでしょう。100年で2.4度なら、1000年で24度?とてつもないことになります。もっとも、あと1000年も化石燃料の埋蔵量が保つかどうかは分かりませんが。 CO2排出とは、結局のところ大部分は化石燃料や木材などを燃やすことから生じているわけです。では、その化石燃料はあとどのくらい保つのでしょう。 あと1000年も保つとはとても思えないのですが、仮にあと1000年分の埋蔵量があるとしても、そこまでです。我々人類の種としての寿命は、1000年よりは長いはずですから、我々の子孫はどこかで必ず、化石燃料の枯渇する日に直面します。それが100年後か1000年後かは分かりませんが。 現状のままでは、化石燃料の尽きるとき、現代文明も終わります。 しかし、そうと分かっていても、エネルギーの消費を減らすというのは簡単なことではありません。私だってそうです。 そう考えると、この問題は解決策のない問題という気がします。ただ、一つだけ考えられるのは、少子化による人口減は解決策になるかも知れない、ということ。 少子化による人口減は、社会に様々なきしみをもたらしますが、それでも化石燃料が枯渇したときに起こるであろう阿鼻叫喚の事態を想像すれば、それよりはまだマシかもしれません。あまり、バラ色の解決策ではありませんけれど・・・・・・・・。
以前の日記に、地球温暖化問題について書いたことがあります。 その後、民主党が政権を取り、二酸化炭素(CO2)排出量を1990年比で25%削減すると表明する出来事がありました。基本的には当然の政策と私は思います。その反面、相変わらず温暖化懐疑論がネット上に満ちあふれています。いや、ネット上ばかりでなく書店でもその傾向の本ばかりが目に付く。また、米国では世論調査で地球温暖化に確かな証拠があると考える人が急減したという報道もあります。 そこで、改めてこの問題について考えてみたいと思います。 この問題を考えるには、地球の歴史と人類の歴史を振り返る必要がありそうに思います。 地球は、概ね46億年前に誕生したとされています。誕生したばかりの地球は、灼熱の大気をもつ星だったようです。それから現在まで、何度となく激しい環境の変動に晒されていますが、超長期的な傾向としては、おおむね気温が下がってきています。 ところが、その反面、太陽の輝きは、次第に強さを増してきているとされています。地球誕生直後の太陽の輝きは、現在の7割程度しかなかったと推定されています。計算上、現在の7割の輝きの太陽では、地球の平均気温は氷点下となり、地球全体が氷漬けになってしまいます。 この矛盾した現象を、「暗い太陽のパラドックス」と呼びます。 この矛盾を解くカギは大気にあったと考えられています。 つまり、地球の大気には、かつては高濃度のCO2が含まれており、そのため太陽の輝きが弱くても温室効果によって地球の気温は高い状態に保たれていた。その後太陽の輝きは増してきたものの、CO2の濃度が薄くなってきたため、温室効果が薄れて気温が下がってきた、ということです。 地球誕生直後の大気中のCO2濃度は、現在の400倍もあったと言われています(もちろん、気圧自体1気圧よりずっと高かったと思われます)。それが、今から1億年前の恐竜時代には、今の7〜8倍程度の濃度、そして新生代以降はCO2は減る一方で現在に至っています。 では、どうやってCO2の濃度は次第に減ってきたのでしょうか。 地球上に存在する元素は、地球が誕生して現在の大きさになったときから、それほど大きくは変化していません。つまり、CO2が増えた減ったと言っても、それは大気中からなくなっただけで、地球上のどこかにはあるわけです。では、どこに行ったのか。 一つには、CO2は水に溶けやすいので、海水中に相当量がとけ込んだと思われます。しかしそれだけではありません。CO2とはC(炭素)原子1個とO(酸素)原子2個よりなる分子です。そこからCが抜ければ、O2(酸素)になります。そう、植物の光合成によって、CO2が空気中から取り除かれ、O2が大気中に放出されるわけです。そして、残ったC(炭素)は、植物の体の一部になるわけです。それを食べる動物の体も、大部分が炭素でできています。それらの動植物の遺骸が何千万年、何億年と積み重なってできたのが、石油や石炭、天然ガスなどの化石燃料です。 つまり、空気中のCO2は光合成によって酸素と炭化物になり、酸素は大気中へ戻り、炭化物は地上や海底に蓄積されていくわけです。何億年もに渡って生物の生と死が繰り返され、蓄積された炭化物と放出された酸素は膨大な量となり、その分空気中からCO2は減っていきました。 ただし、これは超長期的な全体の傾向であり、実際には気温もCO2濃度も、かなり激しく変動を繰り返しています。概ね、寒冷期(氷河期)には二酸化炭素が減り、温暖期には増えたと考えられています。 地球の歴史上、氷河期は何回かありました(現在も氷河期であることは以前に書いたとおり)。その中でも特に激しい氷期は、先カンブリア紀の終わり頃(6〜7億年前)、スターティアン氷期とマリノア氷期という二度に渡る氷期で、赤道まで地球全体が凍結する全球凍結(スノーボールアース)の状態に陥ったのではないかと考えられています。 なぜそんなことが起こったのか。あくまでも仮説に過ぎませんが、以下のように考えられています。 この当時、まだ現代的な意味での植物はありませんが、光合成を行う藻類は30億年も前から存在していました。その活動によって、大気中のCO2濃度がどんどん減る。しかし、その当時はまだ太陽が現在より暗いですから、CO2が減って温室効果が少なくなると、現在より遙かに寒冷な気候になってしまいます。一度氷床が拡大すると白い氷河は太陽光を反射してしまい、熱を吸収しなくなるから、そらに寒冷化が進み、やがて地球は全球氷漬けになる。 ところが、地球全体が氷漬けになると、今度は生物の多くが死滅したり、活動が不活発になったりして、光合成が止まる。その一方、地中のマグマにもCO2は多量に含まれており、火山の噴火などで地中からCO2が噴出してくる。一転してCO2濃度はどんどん上昇し、その温室効果によって気温が上昇し、一挙に氷床が溶ける。再び光合成が活発化して、また大気中からCO2が減少し・・・・・・(以下、同じことの繰り返し) 全球が凍結しても生物が完全に死滅しなかったのは、火山の回りなど熱の発生源の周囲だけは凍結を免れたからと推測されています。 何とも過酷な出来事ですが、全球凍結を繰り返した時期が終わると、カンブリア紀に入って生物が爆発的に進化するので、この過程は生物の進化にとってはプラスだったのかも知れません。 そのあとも、今から約4億年前のオルドビス紀と3億年前の石炭紀から二畳紀にかけても氷河期があったことが知られています。そして、現在も氷河期です。ただし、もはや地球全体が凍結するような過酷な氷期ではありません。太陽の輝きが増してきたためだと思われます。 二畳紀の氷期が終わると、それ以降長く温暖な時代が続きます。この時期はCO2濃度は現在の10倍近く、酸素濃度は逆に現在の7割程度だったようです。しかし、今から5000万年前頃を境に、その後は次第に気温が下がり、現在の氷河期に至ります。 地球の大気と気温、それに太陽の輝きの強さという3つの要素は、実に微妙な関係で維持されており、しかも時々そのバランスが崩れてきたことが分かると思います。 石油や石炭、天然ガスといった化石燃料は、植物(と、それを食べる動物)が営々と何億年もかけて大気中のCO2を取り込んで作ったものです。それを燃やすということは、地中に取り込まれたCO2を再び大気中に戻すことに他ならないわけです。 これら化石燃料の埋蔵量があとどのくらいあるのか、正確な数字は私は知りませんが、今のままの使い方で、あと2000年も3000年も化石燃料が保つはずがない、ということは言えるでしょう。人間の一生から見れば、2000年は途方もない長さですが、地球の歴史から見れば一瞬です。何億年もかかって生み出された化石燃料を、人類はその何万分の一の期間で使い切り、何億年かけて大気中から取り除いたCO2を、何百年か何千年かで大気中に戻そうとしているわけです。 化石燃料を使い切って、大気を数億年前の状態に戻したとき、その環境が人間(その他現生の生物にとって)にとって好ましいものであるはずがありません。 地球45億年の歴史の中で、酸素のほとんどない、高濃度のCO2を含む大気の中で嫌気性の微生物だけが生きていた時代が、多分もっとも長かったはずです。そのような環境を、地球にとってもっとも「自然な環境」ということも可能かも知れません。ただし、そこに人間を放り込めば、一瞬で窒息死してしまいます。 スノーボール・アースも、その当時の「自然な環境」ではありますが、そこに人間を放り込めば凍死します。恐竜時代の大気に人間を放り込めば、窒息はしませんがかなり息苦しいはずです。 重要なのは、今の大気であり、今の環境です。そして、それはきわめて危ういバランスの下に成り立っている。ちょっとしたことでそのバランスは崩れてしまうかも知れない。地球温暖化の問題を考えるときは、このことを忘れてはならないと、私は思います。 地球温暖化を巡る論争について その1 地球温暖化を巡る論争について その2 地球温暖化を巡る論争について その3 地球温暖化問題その4 では、何が問題なのか 地球温暖化問題 続編1 過去の気候変動を知る 地球温暖化問題 続編2 ヤンガードリアス期 地球温暖化問題 続編3 過去から将来を予測する |一覧| |