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テーマ:ニュース(99429)
カテゴリ:政治
http://www.asahi.com/national/update/0827/TKY201008270244.html
刑場公開ピリピリ厳戒 バス目隠し、執行ロープはつけず 固く秘密が守られ、拘置所内でも限られた職員しか立ち入らない死刑の執行場所が報道機関に初めて公開された。千葉景子法相が「国民的議論の契機に」と打ち出して実現したものだが、死刑にかかわる職員の複雑な思いもあり、厳重な警戒の中での「限られた公開」となった。 (中略) 公開された刑場に、死刑執行の際に設置されるロープはなかった。「通常の管理状態では備え付けていない」というのが非公開にした理由という。その代わりに法務省は、ロープは直径3センチ、長さ約11メートルだと明かした。 目隠しをされた死刑囚が、ロープを首にかけたまま立たされる踏み板は公開したものの、開閉する様子は見せなかった。「開閉時に非常に大きな音がするため、(接見に訪れた人など)いろいろな人が拘置所を出入りする時間帯に、そのような音を流したくないと考えた」と法務省は理由を説明した。 千葉法相が7月28日に2人の執行を見届けた「立会室」から、踏み板までの距離は、ガラス越しで約8メートル。その間には、大きな吹き抜けの空間がある。見下ろすと、死刑囚がつるされて絶命するコンクリート打ちっ放しの空間が見えた。立会室には階段があり、下りることができるようになっていた。この「階下の部分」も今回、立ち入りを厳重に禁じられた。「大臣も立ち入っておらず、大臣の目線をもとに公開することで十分だ」というのが法務省の見解だ。「遺体があったところに土足で踏み込まれるのは困る」という刑務官らの「感情」にも配慮したという。 東京拘置所には、1995年の地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教元代表の松本智津夫死刑囚や、71~72年に連合赤軍事件を起こした永田洋子死刑囚など56人の死刑囚が拘置されている。死刑囚が暮らす「房」と刑場との位置関係も公開されなかった。 刑場の公開は約20分間。「刑場は死者の魂がいる厳粛な場所」。法務省の職員は事前にそう説明し、刑場内での質問は一切受け付けなかった。 ---------------- 死刑の問題というのは、私の中でも色々な考えが入り混じっていて、明確な主張はなかなか打ち出せません。はっきり言えることは、死刑推進派ではない、どちらかというと懐疑派だけど、死刑反対派でもない、というところです。 まず、もっとも根本的な感情のレベルで、もし自分の妻子が犯罪者の手にかかったらと想像した場合、「犯人を死刑にしろ!!!」って思ってしまいますよ。いや、もちろん実際にそういう立場になってみなければ(絶対そんな立場には立ちたくないけれど)自分がどう考えるかは分かりませんけれど、でも多分そう考えるだろうなと思います。 そうである以上、自分には死刑廃止を主張する資格はないと思っています。 ただし、冤罪だった場合取り返しが付かないのが死刑という刑罰です。死刑が確定した裁判で、後に再審無罪になった例はいくつもありますし、実際あとになって冤罪の疑いが濃厚なケースはいくつか指摘されています。米国ではDNA鑑定の結果誤審が発覚した死刑囚がゴロゴロいると報じられたことがあります。他の罪なら、冤罪が分かってから賠償金によってある程度救済可能ですが、死刑執行後ではどうにもなりません。 それに加えて、死刑を実際に執り行う刑務官にとって、相手がどんな凶悪犯人であれ、人間を殺すという仕事は耐えがたく辛いものであることは容易に想像できます。いくら仕事だからといって、そうそう割り切れるようなものではないでしょう。 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201008270147.html 目隠しをし、素早く手錠を掛ける。上司の合図の手が挙がると、3人の刑務官がレバーを一斉に引く。バーン。大きな音とともに踏み板が外れた―。弁護士の野口善国のぐち・よしくにさん(64)=兵庫県弁護士会=は元刑務官。1971年、改築前の東京拘置所で死刑執行に立ち会った時の様子を振り返った。 宙づりになった死刑囚。強盗殺人を犯し一審判決を受け入れたという男。揺れを止めようと必死にロープを握り締めた。踏み板が開いた穴からのぞくと、医師が男の胸をはだけていた。心臓の辺りがどくどく動いているように見えた。 「極度に張り詰めた雰囲気だった。刑場に入ってから執行が終わるまで10分程度のはずだが、ひどく長く感じた」 当時、東京拘置所の刑場は舎房とは別の平屋で、コンクリートの壁に囲まれていた。死刑囚は刑務官に付き添われていったん屋外に出てから徒歩で刑場に向かう。 死刑囚の処遇は現在、法律で厳しく制限され、「心情の安定」を図るため常に独居房で過ごす。死刑囚同士の交流も認められていない。 しかし、当時は緩やかで、房内で小鳥を飼うのを許され、何人かの死刑囚が運動場で布を丸めたボールを使って野球をすることもあった。「皆すごく明るくて、死刑囚には見えなかった」 執行の告知も現在のように当日朝ではなく、前日だった。 この死刑囚は「あす」と知らされると、家族に電報を打ち、妻と親せきを呼び、同じ部屋で30分間、顔を合わせた。「自分がやったことの報いとして責任を取る。執行されると分かったら心が落ち着いた」。泣き通しだった妻は別れ際に「息子があなたの顔に似てきました」とだけ伝えた。 当日の朝。刑場に足を踏み入れると、まだ真新しかった室内の壁には祭壇、脇には僧侶。「言い残すことはないか」との拘置所長の問いに「お世話になった方にお礼をしたい」。男は、居並ぶ幹部一人一人と握手し、頭を下げた。 「決まりだから行くぞ」。上司の声が余韻を断ち切る。目隠しと手錠がされ、部屋を隔てていたカーテンが開けられた。 -------------------- 実際には、こんな死刑囚ばかりではなく暴れたり抵抗する人も多いだろうし、家族が会いに来てくれるなんて希有な例だろうと思います。 これらのことを考えると、私には死刑賛成とも言えないのです。 死刑賛成にせよ反対にせよ、刑場公開は非常に意義深いことだと私は思います。この決断といい、死刑に法務大臣として史上初めて立ち会った決断といい、千葉大臣には敬意を表します。 確か、7月28日死刑執行に立ち会った千葉法相は、朝執行に立ち会って、そのあとすぐ法務省で記者会見に臨んだと記憶しています。顔面蒼白だったと報じられていましたけれど、それにしても強いなと思います。やはり、落選したとはいえ政治家です。普通の神経では耐えられないでしょう。 産経新聞が以下のような記事を出しています http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/432888/ 死刑を考える契機に 無機的な現場も身につまされた 刑場公開・視点 千葉法相は先月、2人の死刑囚に対する死刑執行命令書にサインした上で、執行にも立ち会った。法相が死刑廃止論者だったこと、そして、就任から約10カ月間執行しなかったにもかかわらず、参院選で落選した後というタイミングで執行されたことには、分かりにくさも残った。 ただ、今回の公開で、死刑囚の首にかけられる絞縄(こうじょう)もなく、踏み板も開かない、極めて無機的な刑場を見ただけでも、身につまされる思いがした。これを考え合わせると、実際の執行に立ち会うという決断自体が、相当重いものだったことは、想像に難くない。死刑囚の死を確認するスペースへの立ち入りが許可されなかったことも、そこが厳粛な空間であることを考えれば、納得もできる。 世論調査では死刑制度を容認する声が85%以上と高水準にある。そして、法に明確に規定されている以上、執行命令書へのサインは法相の責務であり、執行も粛々と行われるべきだ。 しかし、これまで死刑という刑罰について、どこか思考停止していた面はなかったか。死刑囚、被害者や遺族、執行のボタンを押す刑務官らの思いを斟酌(しんしゃく)することはあっただろうか。 裁判員裁判のもと、国民が究極の刑罰の選択を迫られる日はそう遠くない。死刑への賛否はさておき、今回の刑場公開が、死刑について思いをめぐらせる契機になることが期待される。 ------------------- さすがに、記者は刑場を見て思うところがあったのでしょう。普段の、あの頭の悪いネットウヨク新聞とは思えないくらい、まっとうな内容の記事です。まったくそのとおりだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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