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2016.10.21
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カテゴリ:戦争と平和
大阪府警の若い機動隊員が、派遣先の沖縄・高江のヘリパッド建設反対派に対して「土人」と暴言を吐いた件(更に、別の警官が「シナ人」と暴言を吐く動画も公開されています)について、批判が高まる一方で、「反対派もひどい暴言を吐いているじゃないか」みたいなことを叫ぶ連中も少なくないようです。その代表例が大阪府知事であるわけですが、こういう連中は大いなる勘違いをしているとしか思えません。
警官は、拳銃で武装する権限まで与えられて(実際に高江で拳銃を装備していたかどうかは知りませんが)、職務として給料をもらってそこにいるのです。持っている権力、権限が一般住民とは異なるのに、行動のレベルが一般住民と同じでよいわけがありません。権限、権力には、それに応じた自制、抑制が必須です。

さて、そもそも反対派の運動が激烈を極めるのはなぜか?
それは政府が高圧的に高江へのヘリパッド移設工事を進めようとするからでしょう。激烈を極める、と言っても、実際のところは、たとえば成田空港反対闘争のようにテロが起きているわけではありません。あくまでも非暴力的な反対が行われているに過ぎないのです。

高江のヘリパッド移設問題は、沖縄北部の広大な土地を占める、米軍沖縄北部訓練場の一部返還の動きに付随して生じた問題です。
この北部訓練場には全部で22箇所のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)があります。このうち、日本側に返還予定の地域には7箇所あるのですが、それを残りの部分に移設する(実際には、1つ数を減らして6箇所にヘリパッドを作る)、というのが政府の計画です。

ここには、問題が二つあるように思います。そもそも、返還予定地域に7箇所のヘリパッドがある、ということは、差引15箇所のヘリパッドは、依然として米軍の演習場内に残るということです。
北部訓練場の総面積78平方キロのうち、半分以上の40平方キロが返還されるのに、残りの地域に従前とほぼ同じ数のヘリパッドが何故必要なのでしょうか。15箇所ものヘリパッドが今後も残るのに、何故それでは足りないのでしょうか。せっかく訓練場の面積が減っても、上空を飛び交うヘリコプターの騒音は変わらない、ということになってしまいます。
いや、変わらないどころではないのです。もう一つの問題はそこです。返還対象区域のヘリパッドは、概ね演習場の北方、人家から離れたところにあります。ところが、移設先は、高江集落を取り囲むように、人家にかなり近いところなのです。

米軍北部演習場

地図中の赤丸が返還区域内のヘリパッドであり、それらが高江からは遠方にあることが分かります。それをわざわざ、高江を取り囲むようにその周辺に移設するというのだから、高江の住民にとっては、何のメリットもない、どころかデメリットしかありません。
自分の住んでいる土地を奪われることを望む人がいるでしょうか。奪われないまでも、目の前に、それも地区を囲むように6箇所ものヘリパッドを建設されて、そこに轟音のヘリコプターが発着し、あるいは上空を飛び交うことを望む人がいるでしょうか。
それが高江が置かれている状況です。死に物狂いで抵抗するのは当たり前です。

かつて、成田空港建設をめぐって、激しい反対運動が繰り広げられたことがあります。私は、新左翼過激派が加わった空港反対運動には、まったく賛同しかねます。当時の時点で羽田空港の容量がいっぱいで、新空港が必要だったことも分かります。私自身、過去7回の海外旅行はすべて成田空港を使っていますから、その恩恵は充分受けています。
それでも、「空港のため」という大義名分の下に、高圧的に土地を奪われて地元の人たちの怒りや苦しみは、分からないことはないのです。自分がそれをやられたら、はらわたが煮えくり返るに決まっているから。新左翼過激派を味方に引き入れての反対闘争がやり方としてよかったとは思わないけれど、そのような事態を招き寄せたのが、当時の佐藤内閣の強硬姿勢だったことも確かなのです。結果として、泥沼の闘争が長引くことになりました。
土地をめぐる恨みは恐ろしいのです。

それでも、1960年代後半時点での新しい空港の必要性ならは私にも分かります。
※もっとも、その場所が東京から遠い成田である必然性があったのかどうかは分かりません。その後の羽田の沖合い展開を見ると、同じことが当時できなかったのかな?という疑問は感じます。当時の土木技術では難しかったのでしょうか?

しかし、高江へのヘリパッドについては、その必要性はとても認め難いのです。沖縄駐留米軍を縮小していくべきときに、返還される訓練場とほぼ同じ数のヘリパッドを維持し続けることに、合理性など見出すことはできません。そのような合理性を欠くヘリパッド移設のために高江の住民が犠牲になる必然性もまた、見出すことはできないのです。
先にも書いたように、高江のヘリパッド反対運動は、成田とは違い、火炎瓶もロケット弾も飛び交ってはいません。ただ単に路上に座り込んでいるだけです。これほど非暴力的な運動もないのです。





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最終更新日  2016.10.22 10:25:54
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