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犬の鼻先でおならをすると犬は、
1.二回ほど大きく深く尻の匂いを嗅ぎ、 2.驚きの表情を浮かべながら、上目遣いに放屁者の顔をチラリと見、 3.再び(今度は細かく)尻の匂いを嗅ぎます。 犬にとっては興味津々なんでしょうね。 ここは、2.の所作のような(?)ブログです。興味がある事を行き当たりばったりです。 クンクンク~ンU^ェ^U 。 これは何でしょう。 ![]() 「ひどく几帳面なコックの盛ったスパゲティー」 『犬の鼻先におなら』 [全712件]
実は米国人も結構気にしているんでは。 楽しめました。良く出来ている方だと思います。ユニバーサル映画100周年記念作品。 単純な娯楽映画です。一部韓国人が「ケシカラン映画だ」と問題視していたやに聞いていましたが、単に日本国旗が画面に多く登場するという、そんな理由なのでしょう。別に深い意味はないですね。 ハワイ沖で世界各国の海軍が合同演習中にエイリアン出現。米国海軍軍人の主人公と日本の自衛隊員が協力してエイリアンと戦うというもの。ま、ありがちな話です(「エイリアンもので海軍」というのが珍しいか)。文芸作品じゃないから筋は単純な方が良いのです。 相棒の日本護衛艦艦長を浅野忠信氏が好演。準主役級。割と好きな俳優さんなので満足。 ストーリーは、結構勘所を押さえたエピソードを上手く使っているといった感じです。 例えば相棒が日本海軍(自衛隊)というのは、太平洋戦争の「あぁ、恩讐を越えて」という事なのでしょうし、米国にしては珍しく老人集団がカッコ良く登場し、最後を戦艦ミズーリ(太平洋戦争時の日本の降伏調印式場ね)で締めるというのも上手い。 ただ、あくまで単純娯楽映画路線なので、そう深く掘り下げる事(所謂「涙腺を刺激する感動」という奴)なく、さらっと話が流れて行きます。 こういう映画は単純娯楽作品だからこそ、平均的米国人の自己像が今どうなっているか、知る資料になると思うんですね(インテリさん向け文芸作品を観たって参考にはならない。国民差、民族差より階級差の方が一般に大きい)。 (反米馬鹿の想定する「米国人自己像」の認識と逆に)米国の一般大衆って結構判って来ているんじゃないでしょうか。 自分達が未熟なアホのくせに、やたらリーダーぶって指導したがり、挙句の果てに大勢の人の命を犠牲にする、すごく迷惑な奴。こういう自己像。 実際、この映画の主人公が途中まで当にそれなんですよね(だから、若者の成長譚であると同時に、米国の“成長譚”でもあると思うのだ)。 で、今回の相棒役の日本の立場は、浅野忠信演じるナガタ艦長の次の台詞に集約されてます。 (感情的にイケイケ突撃をする主人公の艦を見て)「あのアホ!!おい、あいつを援護するぞ」。 あ~、日本人言いそうだわ。 (ハリウッド映画で米国人主人公がリーダーを外国人に譲るのって初めて見た。また日本人が指揮しちゃうというのも。これが欧州人だと米国一般大衆の拒絶反応は強いと思います。日本人だと無難) これ、米国人脚本家が米国の一般大衆にウケルように、筋や台詞を考えている訳で、という事は、米国一般大衆の自己像(及び日本を始めとする対外国像)にそういう側面、少なくとも“下地”はあるという事になるでしょう(まるっきり無かったら観客は拒絶反応のみ)。 結構、善い奴じゃない、米国人。かわいいじゃない(笑)。こういう所は欧州人には無いわな。気にしてるんだ。 某国や某某国の国民より数段マシだよな。 翻って、我が国マスコミの「米国像」を見ると・・・・。 アンフェアな気がします。 そういえば、今回襲来してくるエイリアン、それなりに紳士的(?)な奴なの。一応、無抵抗の人間は襲わない。 そこが、一寸笑える気がします。人類を頭っから無視するエイリアン。眼中に無し(笑)。あの態度はないよな。人類のプライドが傷つくよ。このエイリアン侵略者像は新しいかも(生身の人類は無視して戦艦戦車等機械のみに攻撃をかける、という合理性追及からの帰結なんでしょうけどね) やたら凶暴ではない、このエイリアン像も脚本家の気配りなんでしょうか。 エイリアンの攻撃艦の武器がレザー等ではなくて、変なピン状の砲弾でした。なんであんな変な武器なんだ。 という疑問はパンフを買って氷解。これは玩具メーカーとのタイアップ映画なんでした。懐かしの「ニューレーダー作戦ゲーム」。 だから、思いっきり「ピン」なんでした。これには爆笑。思いっきりベタ。 なお、ついでにパンフに拠ると、主役のテイラー・キッチュ氏は結構善い人みたい。アフリカの子供達のドキュメンタリーを撮ったそうです。 「実はホームレスだった頃の僕にベッドを貸してくれたのもピーター・バーグ監督だったんだ」「(ブリトー窃盗のシーン)僕が実際に警察に追いかけられた経験は活きているかもね」おいおい、何やっていたんだ(笑)ブリトーは盗んでいないとの事ですが。 我が家ルールでは、戦艦の上に戦艦、その上に更に戦艦を乗っけて配置するのもアリでした。
二度と読みたくないのに、何度も読んでしまう絵本。ユーモラスとグロテスクは表裏一体。 30頁程の大変短い絵本です。そしてユーモラスであると同時に不気味な本です。 作者エドワード・ゴーリーは有名な“大人の為の絵本”を数多く出している作家で、世界中に多くのファンが存在しています。 どの作品も、大変きめ細かい線で描かれたモノクローム線画で、登場する人物(生き物?)は皆とぼけたような造形。 そして、大抵は不気味。筋もしばしば不条理で残酷であったりします。 (「この“味わい”は間違いなく英国人」と思ったら、米国人でした) 実は私、この人の本を読むの、イヤなんですよね(笑)。気持ち悪いんですよ。何回読んでも気持ち悪い。 話の不気味さ、不条理さ、“非(「反」ではない)”道徳的展開はそれ程でもないのですが、絵がなんとも言えず、薄気味悪いやら気持ち悪いやら。 どこがどうと言えない薄気味の悪さ(「どこがどうと言えない」事自体がもう既に気持ち悪い)。 世の中には不気味な絵が多く存在しますが、そういった絵の「気持ち悪さ」とは違います。それらは恐怖や嫌悪感を意図して描かれている訳で、意図がある以上造形的に計算されていて、そういう意味では実は気持ち悪く“ない”。 この人の絵は違います。そういう「不気味さ志向、キンキー趣味(大抵は「肥大化した自意識」ちゃんの作品)」の意図が感じられない。寧ろ進んでユーモラスに描こうとしている。精魂を込めてユーモラスに、ニコニコと。 でも、薄気味悪い。 これ東洋人には出せない味わいの絵じゃないでしょうか。 何百年も前からある古びた石造りの館の、碌に日が射さない黴臭い部屋で、その館の主人から愛想良く勧められた紅茶。砂糖が入っているので甘いのですが、なにかくすんだ様な、変な味がする紅茶。そんな絵。 表面には出ていない所で、間違いなく、何か“発酵”しています。 発酵していて、時々表面に小さな泡がぷくり、ぷくりと...。 なんともイヤな感じです。 イヤなんですが...。 読んじゃう。読んでしまう(笑)。何回も読み直してしまう。 そして読み直す度に、「あぁ、この人の絵はやっぱりイヤだ、あぁ、やっぱり気持ちが悪い」と、再確認、再々確認。 くさやの干物とか納豆のような“魅力”なのでしょうか。 本作品に筋らしい筋はありません。不条理な世界で、ネタバレも何も無いだろうから書きます。 全頁、画面は全て固定された風景。庭木、茂みの描かれた庭に、右手、煉瓦造りの壁と窓。窓には子供らしき人物(一寸、吉田戦車の描く極端に簡素化された人物像に似ている)。 そして下に意味のない、呪文のような囃し言葉のような出鱈目アルファベット。 1頁進む毎に、この庭に生物らしき物が一匹ずつ登場していきます。 最初に蟻(?)が登場。子供の体ほどもあります。 手足を広げてポンッと飛び出したような姿。ユーモラスです。 でも、気持ちが悪いの。本物の蟻に比べ明らかに手足が長過ぎます。これが気持ち悪い。手足のバランスが気持ち悪い。そのバランスの悪い手足が絡んで描かれていて気持ち悪い。 次に蛙。 これも気持ち悪いの。本物に比べ妙に長細い身体つき。それがイヤなの。腹が白い所は本物と同じなんだけど、それも気持ち悪い。 その次に何だか判らない生き物。 蜥蜴の様だけど、菱形模様なの。その模様も気持ち悪いし、頭がバランス悪く大きいのも、目が点でしかないのも、皆、気持ち悪いの。 以下、よく訳の判らない生物状の“何か”が茂みから、地面から、上空から、登場していきます。 登場して何かしています。踊っているのでしょうか、組体操をしているのでしょうか。判りません。 判らなくて、これまた気持ち悪いです。 そして、その怪風景を見て手を叩いて喜ぶ子供(?)。 無表情で喜んで(?)います。 と、突然、上空を隕石の様に、生首(?)が通過。 怪生物達は、あわてて一匹、又一匹と姿を消していきます。 終わり(?)。 全編ユーモラスである分、逆に気持ちが悪いです。 「ユーモラス」と「グロテスク」、「笑い」と「恐怖」。 呼び方が違うだけで、本質は同じ物なんじゃないでしょうか。 うなされそうです。 助けてください。
三作品中、これが一番快活。懐かしさにじんわり。はやぶさ≒忠臣蔵 結局、「はやぶさ」三作品を全て見てしまいました(笑)。同じ題材で、三作品が同時期に制作、上映。こういうケースは今までもなかっただろうし、これからもないと思います。各作品、細かいエピソードなどの取り上げ方も含めて、相違点、共通点があり、「はやぶさ」という題材を離れても、なかなか興味深かったですね。 さて、しんがりを務めた本作品、3D作品で、三作品中、一番“明朗”な作品となっています。明白に家族向け。(監督は『釣りバカ日誌』を撮った人らしい。納得)制作者は特に科学少年、少女に見て欲しいと願っているのでしょう。オフィシャルサイトなんかも見ると一目瞭然です(ただ、“軽い”とも言えるんだよね)。これは主演を渡辺謙氏が務めた瀧本智行監督作品『はやぶさ 遥かなる帰還』と対照的。 科学少年少女向けという事で、その為、はやぶさの軌道や起死回生の姿勢制御の方法等、アニメを使って解り易く解説され、一寸した科学教育映画の要素もありました。他の二作品にはない特徴です。3Dである点も判り易さに貢献していたんじゃないでしょうか。 で、それを見ているうちに懐かしさが、じんわり。 あったよなぁ~、こういうの。子供の為の科学教育用の本やテレビ番組。今は妙にタレントなんか出して子供の興味を無理やり引き付けようとするんだけど、昔はシンプルに科学自体の面白さだけで説明してたんだよね。 特に思い出深いのはプラネタリウム。ドームの周りのホールに様々な展示物や写真が飾られていたっけ。そうだ、ボタンを押すと太陽の周りを惑星が回りだす装置があったなぁ。あれと全く同じ絵柄(そりゃ同じに決まってます)。 私が始終通っていたプラネタリウムは取り壊されてしまいました・・・。しみじみ。 という訳で、「子供はわくわく、お父さんはしみじみ」という作品なんじゃないでしょうか。 (ただ、もう少し“ぶっきらぼう”な説明スタイルの方が、逆に良かったんじゃないですかね。科学少年、少女って「子供向き」より逆に「大人向き」の方が喜ぶものです) しかし、これは映画本来の出来不出来とは関係ないですね。 どうも「はやぶさ」映画というものは、「映画」という事だけでは括れないレゾンデートルがあるようです。 純粋“平和”利用の衛星技術だったり、金銭的にはビンボーだったり、精神性を帯びているとさえいえる技術への情熱だったり、日本人の心の琴線に触れる要素が多々ありますね。 国民的“物語”。言ってみれば“「はやぶさ」忠臣蔵”(そういえば忠臣蔵に「はやぶさ」は似ている(笑)。艱難辛苦の挙句、目的を達するが、結局は切腹しちゃうのだ) 閑話休題。 家族向けを狙った為、プロットも縦糸にはやぶさ計画、横糸に二家族の情愛と葛藤を描いています。 ただ横糸の方、二つも家族は要らなかったんじゃないかな。「はやぶさ」に携わる主人公と失敗した「のぞみ」に携わっていた彼の父親との葛藤と和解に焦点を絞った方が良かったんじゃないでしょうか。入院する母親とその子供というのは少し陳腐。 音楽は誰でもわかる冨田勲。ありがちな選択ですが、やはり画面と合っていて、三作品中ではこれがBEST。 今回はリポビタンDの出番なし(笑)。川口淳一郎教授の神頼みシーンもなかったですね。 代わりに、「はやぶさ」の名前の由来が説明されていました。鳥の隼が獲物を取って巣に帰る行為に因んだのだそうです(この説明は合っているのか。てっきり、日本ロケット工学の父、糸川博士が設計した戦闘機「隼」から来ているとばかり思っていたが)。 他の二作品と違い、理学系と工学系の対立なんかも触れられていました。ここの所に興味を惹かれましたが、あまり深く掘り下げてくれず残念(一口に「科学技術」と言いますが、「科学」と「技術」の関係って歴史的に面白かったりするんです)。 ただ三作品とも見事に共通するのは「ビンボー」。本作品では直接的な描写こそありませんでしたが、繰り返し台詞(「予算はNASAの十分の一」)で語られていました。 ラストに「一番じゃなきゃダメなんです」と民主党の蓮舫議員への当て擦り(笑)も。皆さん、忘れかけていたのにね。 しかし、皮肉なものです。本映画でも大杉漣氏演じる川口淳一郎教授が「結果を出さなければ予算が下りない。結果を出さなければ意味がない」と力説していましたが、当に「結果を出した」からこそ、「このような事が二度とあってはならない」と民主党は「はやぶさ2」を叩き潰しにかかった訳ですし、マスコミもこの動きを「報道しない自由」で全力で隠蔽している訳です。 失敗したら予算がつかず、成功しても予算が下りない。 (「はやぶさ」プロジェクトサイト) http://www.hayabusa.isas.jaxa.jp/j/ 川口淳一郎教授の声明。予算削減への抗議と皆様への支持のお願い。 自由民主党も日本共産党も党員となるには日本国籍である事が条件ですが、民主党は違います(というより世界中探して民主党のような党則の政党が他にあるのか)。つまり現在の民主党代表(つまり首相)は外国人の方々の投票によって“も”決められている訳です(日本人の圧倒的大多数には代表を決める権限はない)。また多くの民主党閣僚が外国人“な”方々から多額の献金を貰っている事は皆さん御存知の通り。 民主党、ポンと韓国様に5兆円!もの通貨スワップ。 しかし、「はやぶさ2」の予算は必要予算の半分以下。 この“民主党と偉大な隣国人たち”からの“御命令”は果たして、地球人類の科学技術史に如何なる意味を残すのか(実際、劣悪な条件であったが故に特殊な科学技術が発達するという可能性もある訳です。科学技術史は奇妙な流れをしばしば見せます)。 P.K.ファイヤアーベント『方法への挑戦』(分厚いが面白い) 三作品全てを見た(笑)結論。 堤幸彦監督の『はやぶさ/HAYABUSA』が一番良かったんではないでしょうか。 音楽はこれがBEST。
カイガラムシ産業は有望かも。 庭木に毎年大量発生するカイガラムシを駆除する為(実は冬が駆除時期だったりする)、参考資料として伊澤宏毅著『カイガラムシ』を読んだところ、一寸面白い記載があった。 (p47)「塗料で『ラッカー』という言葉を聞いた事があると思う。この『ラッカー』の語源となったのがラックカイガラムシだ。ラック(Lac)とはサンスクリット語のラクシャ(Laksha、10万を意味する)に由来する。つまりそれほど多くのムシが集合するということから、この名が付いた。中国南部からインドにかけて約20種が生息し、そのうちの二種類が産業的には利用されている。雌が集団で寄生して分泌する多量の排出物(樹脂状の塊を形成)を集めて、分離精製し、シェラックと呼ばれる樹脂とラックダイという染料を取り出すのである。中国ではすでに紀元前2000年頃から使われ、漢方薬としても用いられた。染料としてはその後インドでも使われるようになり、今でもインドからタイ、チベットの山岳地帯にかけて住む諸民族が着る赤色や臙脂色の衣装の原料は、ラックダイである。」 という事はダライラマ猊下がお召しになっている臙脂色の法衣も、カイガラムシで染め上げた物なのだろうか。 「XXと言う食品の赤い色はムシから作られている」なぞと良く言われる豆知識(怪知識)の元は、このムシ由来のラック色素の事か、またはサボテンに付くコチニールカイガラムシ由来のコチニール色素の事。 コチニール色素は古くアステカ文明でも使用されていたと、この本の記述に記載されていた(現在では、ハム、ソーセージやケチャップ、洋酒、キャンディーと色々使われているらしい)。 ラックダイは2000年も前から人の口に入っていた物だから、人工着色料よりは余程安全だろう(無論、取り過ぎれば何だって毒だが)。 そういえば、家の庭木に大量発生するカイガラムシを駆除する際、カイガラムシの赤っぽい体液が服について困る事がある(基本的に農薬は使わず、手で掻き落としています)。あれで手染めなぞ出来るのであろうか(出来ても私は着ませんが)。 なおラックダイは精密機器の防錆剤、電気絶縁材、医薬品や食品のコーティング剤としても利用されており、一方、シェラックは、天然樹脂で唯一熱硬化性をもち、耐油性、電気絶縁性、無毒性に優れた特性を持っている為、石油系樹脂に代わる、環境に配慮した素材として注目されているとの事。 カイガラムシが明日の地球環境を担っちゃってるようだ。 ところで、インドやタイではどうやって生産しているのであろうか。カイガラムシ養殖場(?)。枝にびっしりとカイガラムシ(想像してしまった)。 会津の高級和蝋燭(煤が出ないのだ)の原料はイボタロウムシの分泌物。このムシもカイガラムシだ。この本によると、このイボタロウムシの分泌物は最近、高級化粧品の材料や、チョコレート等の食品のコーティング剤としても利用されているらしい。 我々はカイガラムシ由来成分を結構口にしているようである。 なお、欧米には、日本のように「カイガラムシ」と総称する表現はないと出ていた。分類によってそれぞれ違う呼び名で呼んでいるらしい。例えばコナカイガラムシ類(白い粉を吹いているような奴)はmealybugミーリーバグ、マルカイガラムシ類(硬くて丸い奴)はscale insectスケールインセクト、カタカイガラムシ類(蝋が固まったような奴)はsoft insectソフトインセクトといった次第。 何処かで使う機会が...無いな。 素人にはカイガラムシの同定の段階で難しい。この本、カイガラムシの一覧と写真が欲しい。
民主党の予算半減により2号機は。川口教授憤激。当然マスコミ取り上げず。 20世紀フォックス、堤幸彦監督の『はやぶさ/HAYABUSA』に続き、また、はやぶさ映画を観ちゃいました。当然、ストーリー(と言うより実話なんだが)は同じ。我ながら、好きですね「はやぶさ」。 こちらの方は川口淳一郎教授を演じる渡辺謙氏が主役の映画。比較してみるに、こちらの滝本智行監督版の方が、シリアスな演出(堤幸彦監督版の方はなにしろ『トリック』の監督さんによる物だから。両者比較すると堤監督版の軽やかさが改めて感じられます)。 言ってみれば堤監督版は青年、家族向き、こちら滝本監督版の方は中高年向きでしょうか。 実際、堤監督版に比べ、役者に対する観客の感情移入度は意図的に低くなるように描かれていると思います。その分観客は俯瞰的に人物群像の動きを見る事が可能になっている訳です。堤監督版と違って、うるっと来るシーンは意図的に回避。ラストのはやぶさに地球の写真を撮らせるシークエンスもさらりと描いています(これは暗に、仕事帰りの疲れた状態だと、睡魔が、という可能性がありますという・・・。あ、別に悪くはないですよ) ただ、若干、そのシリアスさの重みが、話の展開のスムーズさに響いてしまったか、という気がしますね。 我々ははやぶさの話を知っているので全く問題ないのですが、事情を知らない外国人や後世の子供達に見せるのなら、先ず堤監督版の『はやぶさ/HAYABUSA』を見せた方が良いでしょう。こちらの方が事件の流れが追い易いと思います。打ち上げ以前の事情なんかも触れていましたし。 ただ、どちらの『はやぶさ』も、日本の科学技術開発現場の財政的貧しさを強烈に告発しています。 日本は実はビンボーな国なのですね。 さてこちらの方では、川口淳一郎教授率いるJAXAスタッフだけでなく、もう一人の人物にも焦点が合わさります。名優山崎努演じる、町工場の職人気質の親父、はやぶさの部品を製造した人物です。 実は山崎努氏の演技がこの映画の味わいを決定付けているんじゃないでしょうか。この人がいなかったら他のはやぶさ二作品とに、味わいの違いを出せなかったと感じました。 山崎努氏の演技は過剰な情緒的演技から距離を置いています。べた付いてないんですね。特に、はやぶさが危機的な情況にある中、川口淳一郎教授がこの人物と会偶するシークエンス、この名優二人の演技がちょっと良かったですよ。 主役渡辺謙の演じる川口淳一郎教授の人物像もしっかり描かれています(この辺は堤監督版に比べ上手)。(現実の川口教授がどういう人柄の方か判りませんが)少し辛辣な皮肉を言ったりする人物。狷介な所もありそうな、喰えない複雑な面を持ち合わせています。こうした困難なプロジェクトを成功させる指導者は単純な理想主義者では無理という少し大人の味わい。 余計な、というより「嘘つけ」と言いたい人物も登場。朝日と思われる新聞社の科学面担当女性記者(狂言回し役)。テレ朝日と朝日新聞がこの映画に噛んでいるので、こうした人物が出てきます。 関連して「あれ?マスコミがそんなに注目してましたっけ」と言いたい。記者会見室は毎回満席で、熱気溢れる各テレビ局新聞社の取材があったかのような演出。恰もマスコミが最大の関心を払っていたかのように印象付けています。 この点では堤監督版の方が作為がなく正直。あちらは空席がチラホラありました。 皆さん思い出してくださいね。「はやぶさの帰還」、見事にどのテレビ局も無視していましたね。一社のテレビ局も中継しなかったのです。多くの天文ファンがテレビ局に中継の要望を出したにもかかわらずに、です。そして帰還後、鳥越俊太郎を初めとするテレビコメンテーターの冷笑的コメント(「そんな遠くに行って、地球の砂と同じだったらどうするんだろうね、フン」)。 “ニポンマスコミ”は不愉快で仕方がなかったんでしょう。何とか国民の目から隠したがった。「報道しない自由」です(無論、人類史的快挙を隠すのは無理に決まっていますが)。 掌返しで、マスコミは昔からはやぶさの応援をしてきたかのような印象操作を行っていますが、騙されちゃいけません。 現在もはやぶさに関して、日本のマスコミはニヤニヤしながら「報道しない自由」を満喫中です。 民主党により、はやぶさ2の予算は半減。まともな結果を出すなど絶望的な情況です。 川口淳一郎教授はJAXAドメインのブログで今回の予算削減の報道に触れ、民主党政府の「はやぶさ2計画に科学的な意義を見いだせない」という意見に対し、「まことに信じがたい」と憤激していらっしゃいました。 私も激怒しています。民主党は頭がオカシイのか、日本に対する“邪悪な意思”があるのか(それとも両方か)。 そして、あれほど掌返しで「はやぶさ、はやぶさ」と騒いで見せたマスコミは、不思議な事に--というより当然の事に--この件に関して「報道しない自由」行使、全く報じません(朝から晩まで韓流が流されている事と何か関係があるのかな(嘲)。 日本の抱える諸問題の多くは、こうした情報の“歪み”が正されれば、解決か、さもなくば大きく進展する筈です。 第四の権力者サマ“ニポンマスコミ”、諸悪の根源。 なんか、本題から離れた話になっちゃいましたね。 はやぶさに“帰還して”。 以前、堤監督版『はやぶさ/HAYABUSA』の観想で、「頻発する栄養ドリンクのショットは何」と書きましたが、大正製薬を初め、関係者の皆さん、済みませんでした。リポビタンDは、はやぶさファン公式(?)飲料と呼ばれる程、馴染みの深い栄養ドリンクなのだそうです。大正製薬の方が態々JAXAに寄贈したんですって(大正製薬のHPにも載せれば良いのにねぇ)。 これから、リポビタンDを贔屓しようかな。 ファイト、一ッ発ァッ~ツ\(`O´”) そういえば「鷲のマーク」だった。同じタカ目ね。
ひっくり返しても読める文字。おぉ!日本語で作っている人がいるんだ。 アンビグラムとは180度または90度回転させたり、鏡に映したりしても図形的に読める文字(デザイン)の事です(文章的に読める「回文」とは違う)。ダン・ブラウンのバチカンが舞台の話『天使と悪魔』にも出てきてます。 欧米人がアルファベットを使って制作しているのは知っていましたが、漢字やひらがな、カタカナでこれを制作している人がいるとは、吃驚。日本語で制作するのはアルファベットより格段に難しいと長年言われていたのです。 本書には70作品以上も収録。 中には一寸読むのが苦しいかな、という作品もありますが、何れにせよ興味深いですね。 p45「朝顔」花や蔓まであって凝ってます。綺麗に整って、素直に読める。傑作。これが一番のお気に入り。 p51「めんつゆ」おお、なんとなく麺のふにゃふにゃ感が。これめんつゆの瓶の蓋にぴったり。 p55「お好み焼き」 p69「貯金箱」 p91「アインシュタイン」これも綺麗に整っています。 p111「天使 悪魔」この本でもやってくれています。 p125「いろは歌」39文字全部やってくれてます。「いろは」は「一音たりとも重ならない意味のある文字列はとても美しい」と著者の方は書いていますが、アンビグラムでやっちゃうこの人の作品も美しい。 p135「さよなら」 p147「ずっとそばにいるよ」 p153「遊ぼう!」 p157「好きです」おぉ!いずれも感動的。素直に読める。 う~ん、魅力を書いて説明するのは難しい。 著者の方のブログがあります(http://igatoxin.seesaa.net/)。参考にしてください。 他の言語でも当然出来る筈。本書で漢字の作品もいくつかあったから、漢字圏でサイトが立っていても不思議ではない。
江戸小咄。時代にべったりの進歩的知識人の情けなさ。 江戸時代の小咄を紹介した本です。相当古く昭和47年(1972)発行の物(40年も前か)。 ただ、淡々と江戸小咄を紹介すれば良いものを、首を傾げる「日本=後進劣等社会」論、「江戸時代=暗黒劣等社会」論が頻出します(「チクリと風刺」ってヤツですかぁ)。うんざりさせられます。例えば「新幹線は大量、短時間輸送で、これは日本軍国主義の発想だ」「江戸時代は暗黒がんじがらめ封建社会で庶民は自由恋愛できなかった(そもそも「自由恋愛」なる概念が江戸時代にあったのか?!)」 その上、このお馬鹿著者は「小咄にある」=「事実である。当時の庶民はそうしていた。そう考えていた」と「日本=劣等後進社会」論の根拠にしているのです。いくらなんでも馬鹿過ぎでしょう。「ありえない」から笑い話になるのです。 ユーモアやウィットが効いていれば、的外れの悪口でも構いませんが、そうした感覚もあまり見かけられません。『生活の中の笑い』って題名の本なのに、著者にユーモアのセンスが乏しいとは(なんと著者は直木賞候補にもなった第一回ユーモア文学賞受賞者)。 しかも、いい加減うんざりさせられたところで、「日本人はユーモアのセンスが乏しい。OH!劣ってますね」式の記述。 ユーモアのセンスが乏しいのはお前だろうが(「日本人はユーモアのセンスが乏しい劣等民族」と書く奴にきまって、ユーモアのセンスが無いのはどうしてだ。この事例、実に多し) 真面目に書いても仕方ありませんが、「ユーモアのセンスに乏しい劣等民族」なんていませんから。どこの民族も一緒、上下なんかありません。「ユーモアのセンスに乏しい」人がいるだけです。ただ、その社会における「笑い」の社会的“機能”“存在価値”が違うだけ。 例えば「××人が電球を取り替えるのに何人必要か。答え、4人。一人が電球を持ち、後の3人が乗った椅子をグルグル回す」という有名なアメリカンジョークがありますね。これを日本のパーティーの席でやったらどうなるか。しらけるだけでしょう。大真面目な顔で「人種差別は良くないんじゃないか」と忠告されます。 で、お馬鹿チャンは「OH!日本人劣ってますねぇ(そう言う自分は高級人間)」などとやる訳ですが、では、これはどうか。 「家の電球が切れたんで、一寸家に来てくれないか。僕が電球を持つから、君は僕の乗った椅子をグルグル回して・・・」ツッコミは来るかも知れないが忠告は来ないでしょう(ウケルかどうかは判りませんが)。 笑いの持つ“攻撃性”を他者に向けるか、自己に向けるか、あるいは他者への“攻撃性”をどこまで許容するかetc、観点は色々あるでしょうが、どちらもそれがギャグである事は理解している訳です。 また、この著者は日本社会で男色がごく自然に行われていた事を「公然の悪風」などと書き、「それにしても貴族、坊主、武家の支配階級が(著者は知らないらしいが一般庶民だって特異な事じゃなかった)、千年もの間公然と男色にふけった歴史を持つ国が、ほかにあるだろうか。」と日本文化を嘲笑しています。 呆れた同性愛蔑視の糞差別野郎ですね。 つまり。 70年代当時はまだ欧米で同性愛は偏見を持って見られていた訳です。で、当然「日本社会は劣等社会でなければ『ならない』」ので、日本は「同性愛が普通の異常劣等社会」として、進歩的知識人自慢(=ニポンサヨク)は嘲笑して“見せた”訳。 さて現在、欧米では同性愛“賛美”が“政治的に正しい”事になっているので、これまた当然「日本社会は劣等社会でなければ『ならない』」ので、日本は「同性愛蔑視が渦巻く野蛮劣等人権無視社会」として嘲笑するのがニポンサヨクの“現在のお気に入り”となっている訳です。 で、一体進歩的知識人(サヨク)としてはどっちなの?同性愛は悪習なの?素晴らしい事なの? で、日本は同性愛に対し道徳的宗教的非難が無いという“野蛮後進社会”なの?それとも宗教家がこぞって非難しヘイトクライム多発の“野蛮後進社会”なの? ニポンサヨクは「日本はAだ」といって非難嘲笑し、時が経てば、いやしばしば同時に「日本はAでは無い」といってやっぱり非難嘲笑します。 (馬鹿コメントにうんざりさせられるから、態々読解力の乏しいニポンサヨクの為に書いてあげますが、この文章、どこにも「日本は素晴らしい」なんて書いてないだろ。ニポンサヨクの恥知らずな珍思考ぶりについて書いてあるだけ。更に言えば、「日本語は日本人だけのものじゃない」なるニポンサヨクのお気に入りの台詞、逆の立場にも当てはまるという事を見逃しているね。例えばこのブログ、数年間に亘って書いているが、一言も「私は日本人だ」なんて書いてないでしょ、ふふふ。そもそも「私はXX人」という観点から書いて無いんだよ) ニポンサヨクの恥知らずな180度の変節、最近はスパンが更に短くなっている事は、民主党政権前と後の彼らの言説を比較すれば一目瞭然。無論マスコミは一切触れませんが。 (念の為。「ニポンサヨク」≠「COMMUNIST、SOCIALIST(左翼)」ね) なお、本書の注も変(これは編集者の責任か)。「手裏剣」「鎖帷子」といった物に態々説明がある。知らない奴がいるのか。 一寸楽しい気分になろうと読んでみたのに、不愉快な気分になるとは思わなかったよ。 という訳で、次に収録されていた江戸笑話を幾つか。 (その2)に続く。 《PHP研究所》宇井無愁生活の中の笑い 現代に生きる江戸小咄 【中古】afb |一覧| |