|
カテゴリ:つれずれ
昨晩『ミノルホド コウベヲタレル イナホカナ』に行ってきました。 東西線「九段下」駅から、スーツ姿の年配のサラリーマン、オバサンの列が続きます。 日本武道館で若いミュージシャンのコンサートは良くあるでしょうが、こんなに年配のファンが集まるミュージシャンのコンサートは早々無いでしょう。 明らかに異様な光景です。 レザージャケットにネクタイを締めている、「ぼうや」で不良サラリーマンな私、は明らかに浮いています。 定年間際のおじさん経ちの集まった場末の酒場に、突然飛び込んでしまった若いサラリーマンのバツの悪さと言えばご理解頂けるでしょうか? そんな集団に混じって入場口に向かいます。 私の持っていたチケットは「南・立ち席の60番」でした。 ちなみにステージから一番遠い天井桟敷の立ち席です。 立ち席は初めてだったので、そのまま入場しようとしたら「引き換えが必要です」と言われてしまいました。 当日券や前売り券の売れ残りの席の中から、好きな場所を選ばせてくれました。 お陰でステージ脇の東側の2階席に座る事ができました。 だけど拓郎自身も言っていましたが、日本武道館ってこんなに小さかったっけ?と言う感じがしました。 ステージまでの距離は、アリーナの一番後ろよりは近いかも知れません(^^) 久しぶりの武道館です。 そう、何度も、何度も足を運んだ場所です。 アリーナも、1階席も、天井桟敷の2階席も、様々な場所からステージを見て来ました。 コンサートの最初に、拓郎がいきなり「今日はアンコールをしないよ~」「その代わり休憩無しでやるからね」と話し始めます。 終演の時間はハッキリ記憶していないのですが、多分3時間近くはステージが続いていたと思います。 数曲歌ってはトークが入り、また数曲歌う....の連続です。 キックオフの数曲の後のトークでこそ息が切れていましたが、その後のトークは息一つ切れていません。 若いミュージシャンの中で、あの歌い方で3時間連続のステージを演じられる人がどの位いるでしょうか? 歌もつま恋で感じたほど軽くありませんでした。 はっきり言って力強かったです。 それは80年代に感じた、叫ぶ方が強かった拓郎の歌い方に比べて、明らかに太くて力強い心象を受けました。 とても肺癌で肺の1/5を切除したとは思えない歌い方です。 病後のリハビリで拓郎は更にパワーアップしていたのです。 凄いぞ拓郎。 トークもこれまで無かったほど多かったので、楽しいコンサートでした。 つま恋の裏話あり、「南こうせつ」「山田パンダ」の悪口あり、「中島みゆき」のすっぴんの話あり、最近の拓郎の心境ありで、とても満足感があります。 あんなにコンサートで喋った拓郎を私は始めて見ました。 渋谷ジャンジャンや神田共立講堂の頃の拓郎は、トークが多かったと聞いていますが、私の世代の頃のコンサートではあまり多くなかったからです。 曲目の大半はつま恋と同じだったと思います。(はっきり記憶していない(^^;) コンサートの最後は、フルコーラスのメドレーで往年の名曲が次々と続きます。 「この指とまれ」「今日までそして明日から」「落陽」..... 最後は「聖なる場所に祝福を」で終わりました。 やっぱりライブコンサートは最高です。 コンサートが終わってから、ふと、一生のうちに何度くらいコンサートに行けるのだろう?と思ってしまいました。 20代の頃は全てが無限大だったのですが、流石にこの歳になると、全ての事に期限が付いてきます。 拓郎、また来年。 「また会おうぜ、あばよ」 残念ながらこのツアーで瀬尾一三バンドとのコンビは最後だそうです。 ビッグバンドで聞かせる、ぶ厚いコンサートももう聞けないかも知れません。 1982年 日本武道館コンサート 王様達のハイキング【FLBF-8023】=>20%OFF!82’日本武道館コンサー... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月11日 09時59分42秒
|