お釈迦様は「山川草木国土悉皆成仏」と悟られたのです。物質と見えている山も川も、草も木も、国土も、悉く皆物質ではなく仏のいのちのあらわれだと悟られたのです。
また「有情非情同時成道」と悟り、命あるものも、命あらざるもの悉く今ここに在る道である。
道とは、仏のいのちのことです。仏のいのちが一切であり、仏のいのちのほかに何もないということをさとられたのです。同時とは、無時の時、すなわち久遠の今、久遠の今においては一切の事物が同時存在しているのです。
釈迦は、久遠の今において一切のものを観ぜられたとき、あらゆるものが仏のいのちの現成だと悟られたのです。なぜなら、久遠の今においては、すべてのものが時間空間を超越した一体として存在しているからです。そして、すべてのものは仏が作られたからです。
あなたが金もないし信用もない場合、信用については、先ず神に信用されるようにならなければなりません。神様をゴマカして、人にゴマすって人から信用を得ようと思っても決して富は出て来ません。神様に信用されるには、隠れたる処で人のためになる善行をするのです。
そうすると、その善徳が見えない世界に貯えられて福田となります。一見金儲けにならない善徳が、実は大宇宙銀行に貯蓄されるのです。
福田は大宇宙貯金銀行みたいなもので、福田が出来れば、そこから信用でもお金でも払戻しが可能となるのです。
いかなる悪いことが起こってきても、感謝することです。ある場合、過去の悪しき想念があらわれて消えて行くことだからです。ある場合、あやまった想念を起こした結果であり、それが分かることで魂の教育を得たからです。悪い出来事に感謝できるようになったとき、善い事には当然感謝できるようになっています。そのとき、すべての人・もの・ことに感謝できる生活になり、そこが天国浄土となります。
おかげを求めず、多くの人の幸福のためになることをしましょう。おかげがあらわれれば、それはよいことです。あらわれなければ、その善徳は天の倉に備えたので一層よいことです。
善因善果は法則ですから絶対です。なぜなら絶対のものを法則というからです。
現象は心の状態の映像としては存在しているので、現象はないというけれども、全く非存在だという意味ではないのです。映像は仮に現われている映画のようなものです。
映画にあらわれて来る人物や状態は、フィルムにあるものが映っているに過ぎません。だからフィルムを外せば映像は消えてしまうのです。しかし映像が消える時間は、光の到達する時間だけ遅れるのです。
肉体の病気も病念の心をフィルムとした映像なので、病気となる心の状態のフィルムを取外して、健康なフィルムと取換えれば消えるのです。ただし、心には、疑いとか色々なものが混じっていて心が本当に浄まるまでの時間がかかるので徐々に消えるのです。
現象の出来事は時間と空間において、一切のものが現れて行われます。しかし、神の創造された世界(実在の世界と呼ぶ)では、時間空間に展開される根源となる「完全なるもの」はすでにあるのです。
実在の世界は、空間・空間や人間の頭で理解できるものを超越しているので、無限次元とも言い得るのです。我々が見ている縦横厚みの三次元に見える世界は、無限の次元のうちから、感覚器官がただ縦横厚みだけを捉え得て頭で理解しただけであり、残る無限の次元は感覚器官が捉え得なかっただけだといえます。
その無限次元の世界においては、実は自己の内に無限次元があるので、自己の想うことは同時に無限次元が想うことになるのです。このこと(真理)が分かることを悟ると言います。まさに、真理は汝を自由ならしめんであります。
問題が起こっても恐れてはいけません、問題は解決されるために起こってくるのであって、その問題が解決したならば、明るい環境が出て来るようになっているのです。
その問題の渦中にあるとき、多くの人々は、その問題を敵であるかのごとく恐怖しがちです。しかし、困難は自己に内在する能力を引出してくれるためのきっかけであり、内在の能力を研き出すための砥石となります。
あとになってみると、あの問題が起らなかったら、私の今の成功はなかったであろう、というようなことが度々あるものです。
困難は自己内在力開発のチャンスです。なぜなら困難は、眠れる心を刺激し、心を鋭敏にはたらかすための動力源となるからです。その心の完全なる働きの結果、唯心所現の法則によって、勝利を得ることができるのです。
自分は、ついていない、不運に生まれついている、など行って出世しない人で、朝起きの人、真剣に仕事する人、真面目で正直な人、経済感覚のよい人はほとんど無い――と言った人があるそうです。これは真理です。そうすると、その逆をすればその人は、運命はよくなり、出世し、経済的にもゆたかになる筈なのです。すなわち、朝、早起きして、インスピレーションを受け、仕事を真剣にし、行き届いて親切な行いをし、正直であるので人から信用が得られて、きっと成功するにちがいありません。