ディオクレティアヌス宮殿
ディオクレティアヌス宮殿は、ローマ皇帝のディオクレティアヌスが、305年に退位した後に余生を過ごした場所。銅の門の階段を降りた入口から、宮殿の地下を見学することが出来ます。当時の宮殿の想像図。城壁内の敷地は4区画に仕切られ、南側が皇帝の住居、北側は兵舎と使用人たちの住居として使われていたそうです。地下ホールは、元々宮殿の1階部分でしたが、地盤沈下で地下になったそうです。ここは、調理場や、食糧倉庫として使われていたそうですが、都市化が進むにつれ、ゴミ捨て場として使われるようになったそうです。そして、これがゴミの跡。。 でも、このゴミを撤去してしまうと、宮殿が崩れてしまうので、そのままにされているのだそうです。地上へ通じる通路には、お土産物屋さんが並んでいます。さて、地上に戻り、皇帝の住居であった所に行ってみました。ここは宮殿の2階にあたりますが、部屋の仕切りもなく、屋根も残っていません。ここは、王のダイニングだった所。ここは、王専用のバルコニーだった所。ここは、前庭と呼ばれる、皇帝の私邸の玄関口。ここでも、クラパの美しいハーモニーが響いていました宮殿の中心には、ペリスティルと呼ばれる中庭があります。こちらは、中庭の南側に面する、皇帝の住居への入口。この威厳に満ちた建物から皇帝が姿を現すと、人々は平伏して敬意を表したんだとか。そしてこちらは、東西に残る、12本のコリント式の列柱。この柱のアーチの下には、皇帝がエジプト遠征の際に持ち帰ったという、スフィンクスが置かれています。スプリットの宮殿からは、11体のスフィンクスが見つかっているそうです。こんな、路地裏の民家の壁にも、スフィンクスが埋まってたりします。当時キリスト教徒は迫害を受けており、キリスト教が解禁となってからは、偶像崇拝禁止のため色々と壊され、首のないスフィンクスもあるのだとか。こちらは、東側にある大聖堂。24本の柱に囲まれるように建つ8角形の変わった建物は、ディオクレティアヌス皇帝の霊廟を、7世紀にキリスト教の大聖堂として改築したものだそうです。かつては、ディオクレティアヌス皇帝の石棺があったそうですが、破壊されて残っておらず、その代わりに、皇帝によって迫害され殉職し、スプリットの守護聖人になった聖ドムニウス司教の棺が置かれているそうです。そして、こちらの鐘楼も上れますが、有料だったため トロギールで上って満足したので、今回は止めておきました(笑)そして、こちらは、かつて皇帝が自らの父と称したユピテル神(ジュピター)を祀った私的な神殿でしたが、後に、キリスト教の洗礼堂に改築された建物。ディオクレティアヌス皇帝は、キリスト教を弾圧した最後の皇帝であり、キリスト教徒から最も憎まれる皇帝の1人だそうです。。こちらは、CROATA というネクタイやスカーフを販売しているショップ。クロアチアは、ネクタイ発祥の地と言われています。17世紀、兵士が戦場に出る際に、妻や恋人が無事を願って、首にスカーフを巻いて送り出しました。それがルイ14世の目に留まった辺が由来のよう。ネクタイ本家のブランドCROATAでは、クロアチアの風物、動植物、歴史などをモチーフにしたオリジナルデザインのものなどがあります。ダルマチア地方だけに、こんな柄のものも