聞きしに勝る惨状でした
今月24日から3日間、宮城県の名取市、石巻市、女川町など地震と津波の被災地を見てきました。被災から1年近くになるので、さすがにどこも道路のひび割れや瓦礫の多くは片付けられていましたが、瓦礫は処理の方法も見付からないままあちこちに山になっていました。数百台もあろうかと思われる車も同様です。 東京へ送る瓦礫処理を女川町で見てきましたが、コンクリート、ビニールなど種類ごとに含まれる割合が決められているため、ベルトコンベアに流れる瓦礫から手作業で選別する気の遠くなるなるような仕事でした。いまのところ瓦礫処理に名乗りを上げているのは東京都だけ。「全国の自治体が15トンずつ引き受けてくれたらすぐにも片付くんですが」と担当者は話していました。 名取市では海から何キロも離れた畑の中に漁船が何艘も放置されたままです。「所有者に無断で片付けることができないんです。津波の直後に道路をふさいでいた漁船を片付けたのが原因でいま2件の訴訟を起こされています」と佐々木市長。ご自身の実家も跡形もなく流されてしまったそうです。 石巻市では仮設住宅を訪問。何人かの住人にお話を聞くことができました。住宅は断熱もないプレハブで柱代わりの鉄骨は触ると冷たい。幸いここの人たちは同じ地区の被災者がまとまって避難しているそうですが、他の仮設住宅では知らない人たちの寄せ集めで、人間関係が避難生活のストレスを増しているところも多いそうです。 駆け足で見てきましたが、1年たったというのにようやく道路や橋の応急修理が出来た程度。家の土台だけが残る市街地は復興の気配さえありません。高台への集団移転などの都市計画が具体化しないことが大きな要因のようです。 70人の子供のうち生存者は2人だけという小学校では花束とお線香をささげて冥福を祈ってきました。悲惨な話はたくさん聞いてきました。 津波も地震も誰も悪いわけではありません。でも、1年たっても復興がほとんど進まないのには誰か責任があるはずです。政府が悪い、県や市町村の行政が悪いというのは簡単ですが、私達一人ひとりが果たさなければならない責任を考えさせられる3日間でした。