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カテゴリ:東海道五十三次:往路
三島は「富士の雪解け水」で有名なんでしょうかね、川の水は激しくキレイで、町のあちこちに、からくり人形仕込みの雪解け水が飲めます。水がキレイって良いですな。
そんな川っぺりを歩きまして、昨日のゴール「三島大社」へ。 三島:朝霧 ブサイク画で気持ちよくスタートです 宮司さん・巫女さん達が掃除をしておりましてね、挨拶をしつつお参りし、旅の安全をお願いしましたのん。 境内を色々見てまわり出発。8時半。 9時前には、宿の中心部「世古本陣跡」、「樋口本陣跡」を過ぎまして、江戸時代に宿場の人々に、明け六つ・暮れ六つの時を知らせた「時の鐘」(この鐘は太平洋戦争で使われてしまいました)のある「三石神社」にお参り、そして宿のはずれにある「千貫樋(せんがんどい)」、その向かいに西見附跡。 千貫樋は天文24年(1555年)今川、武田、北条の三家の和睦が成立したとき北条氏康から今川氏真に聟引出物として楽寿園の小浜池から長堤を築き、その水を駿河に疎通させたというのが一般に言われています。 農業用水を引く為に伊豆と駿河の境を田畑より低い地を流れる境川の上に架けられた樋で、全長42.7m、幅1.9m、深さ0.45mで、地上より4.2mの高さを流れる。 稲作シーズンが終わると、三島市加屋町内に設置された水門により水が堰き止められ、水は流れない。 木樋でしたが、大正12年(1923年)の関東大震災で崩落したため、その後の復興で鉄筋コンクリートで再建され、今日に至っているのですな。 西見附と言うことですから、さよなら~三島宿。9時過ぎ。 今日は舗装された平坦な道でござれば、ラクチンラクチン どんどん進みますと、「長沢八幡宮」。境内には「対面石」と言って、治承4年(1180年)、源頼朝が、その挙兵を知って奥州から駆けつけた弟義経と座して対面した二つの石と伝えられている石があります。 座ってみたかったけど、いやいやいやいや、ワタクシごときがとんでもないっ。なんとなく遠慮したです(笑)。 そして今日は一里塚のある公園を掃除、祭りの飾り付けをしていたジーチャンに声をかけられ(!)ましてね。 一里塚の写真を撮っていたからなのか「ネーチャン、歴史が相当好きだな」と連呼され、「まぁ、隣に座りなよ」と。 今日は特に日が暮れようと死にやしねぇっ 東海道五十三次談義を30分ほどいたしました。さすが重鎮、興味深い話をたくさんしてくれましたよ。 話のところどころで「ネーチャン、歴史が相当好きだな」と(笑)。よっぽど嬉しかったのかしらん・・・。 旅の記念にと一緒に写真を撮り、別れたのでした。 ・・・さささささ、いよいよ沼津宿ですよっ。つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 2, 2009 10:52:56 AM
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