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テーマ:東日本大震災復興に向けて(22)
カテゴリ:災害・復興ボランティア
男性23名、女性18名、計41名の満席御礼で山元町へ行ってきました。
初めて復興地へ来る人、若い人、たくさんいて嬉しい限りです。 まずは、語り部さんの案内で山元町を見て回ります。 新市街地の住宅はかなり増えてきており、JRの新路線もかなり出来上がってきています。 坂元駅前の以前はタクシー会社だった場所 今は富山県他から送られたチューリップが咲いています 坂元駅には取り壊しの案内板がありました 次、私が来たときにはもうない坂元駅のプラットホーム 以前よりかなり内陸に建設中のJRの新路線 ずいぶん伸びてきました 中浜小学校は、最近、みんなが避難した最上階の物置小屋に誰かがバールの様なモノで鍵を壊して中に入ろうとした形跡があったため、立ち入り禁止になってしまっていました。 この辺りは全て流されてしまい、今現在、建物と言えば中浜小学校しかないので海までの距離がよくわかりますが、震災前は防災林があり、そして家々が建ち並んでいて海は見えず、こんなに海の近くだったとは思いもしなかったと語り部さん。 何もなくなり改めて見てみれば、海からこんなに近かったんだと。 中浜小学校にも花がたくさん植えられて咲いていました 初めましての女性の語り部さんでした また違ったお話がたくさん聞けました 津波にも耐えた楠木(?)今年やっと新芽が出たそうです その木にはためく黄色いハンカチにはそれぞれの願いや応援が書いてあります 中浜小学校を後にする頃、ようやく霧が晴れてきました。 中浜小学校に入ることが出来なかった分、新しくもう一カ所、これもみんなが避難した「磯崎山公園」に行くことが出来たので良かったです。 公園の展望台にあった案内板をふと読んでみると、この辺はかの伊達政宗公が天正十七年(1589年)に戦疲れを癒すために兵と共に亘理中の船を集めこの海の沖に出て泳ぎ遊び、浜で大宴会をした場所でもあるのだとか。ちょっと萌えました(笑)。 磯崎山公園/この前には美味しいピザ屋さんがあって賑わっていたんだとか この崖に津波が当たり10m以上の水柱が上がったそうです 展望台から見た磯浜漁港(全壊)だいぶ復興しています 津波前、湾内の海水がものすごい勢いで全て引き、沖合まで砂浜のような感じになったのを見て漁師さんはこれは大きい津波が来ると思ったそうです。 漁港の左にずぅっと伸びる防潮堤/中浜小学校方面を眺める 展望台より奥へ続く道の途中に・・・ もちろんこっそり座ったのは言うまでもなくw 展望台の更に上、山の奥 津波で膝まで浸かったそうです 磯崎山公園入り口から漁港方面をみた防潮堤 バスの中で、当時2歳とか小さかった子供達が、4年経って今やっと当時のことを話すようになったと聞きました。 大人達は小さいから覚えていないと思っていたそうですが、「あの時は怖かったよ」とか「じいちゃんが助けてに来てくれて良かった、ありがとね」と言うのだそうです。 中浜小学校の建設時の話、震災数日前の偶然の話、当日の校長の判断、子供達の話、磯崎山公園のピザ屋さんの話、104歳で今年初めに亡くなったおばあさんの話、復興地における色々な話しを聞くたび今でも涙が出そうになりますが、みんなそれぞれ頑張っていると思うとまだまだ出来る限り応援していこうという気持ちになります。 旧相馬亘理線を走る かつての住宅街も今は草原 色々な話しをありがとうございました 語り部さんを始め、復興地の方々にいつも言われる言葉は「遠い東京から来てくれてありがとう」です。 一緒にがんばっぺし!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 30, 2015 06:04:53 PM
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