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子どもとの付き合い方― 僕には子供がいない。 だからおそらく本当の意味での 親から見る子の気持ちというのは わからないのかもしれない。 そこから来る無条件の愛情。 その愛情は尊い。 しかし、その愛情というものが 正しい方向に向かっていればいいのだろうが、 そうでなければ単に 人間らしからぬ子供を育ててしまうことになりかねない。 正しい方向とはなんであろか。 幸い、この何日間、 集中して子供達だけと一緒に過ごす機会に恵まれた。 以前もそういう機会はなんどもあったけれど、 今回はとっても違う「感覚」があった。 正しい方向… その答えの一つは 「超然とした立場をとる」 ではないかと感じた。 やはり冷静な心というのだろうか、 目に見えることで惑わされない自分。 聞こえてくる言動で惑わされない自分。 そしてそこの根底には 徹底して僕の今を構成している思いがある。 「次世代にこの生き方を伝える」 そこに集中してそれを基準にして 判断しようと心がければ 何か一つ一つの問題が解決していくのでは という思いがふつふつと湧いてきた。 僕はどうも子供と壁があった。 いや、わざと作っていた。 大人と子供とは違う世界を生きているのだ、 という、こだわり。 いや、それはある意味正しい。 でもそうだけど、そうじゃない その思いもあっていいのだけれど、 それに固執してしまうと、 それはもう自然体でなくなっている。 なんだか、そういう肩肘をはった思いがあったけれど、 もうそれもどうでもいいやという思い。 例の彼ら(闇の力)に諦めてもらえばいいや という思い。 ただただ、堂々としていればいい。 そして、溶けてしまえばいいんだ、 まるく、まるーく。 単純なんだなあ、解決方法は。 「自分を救わなければ、人は救えない。」 という意味が少し体知できた時間でもあった。 「人を救いたい」 という思いは尊いけれど、 結局それは、 自分に対する自信のなさからきているのだ。 それを埋めようとする為に、他に求める、 それでカモフラージュしようとする。 しかし、自分に対して自信を持っていれば、 そして、「分をわきまえる」、 今を生きていれば、 それはなくなる。 そこに「私」が入り込むことが 少なければ少ないほど、 自分のする行為が、 他の人を人の道に進ませることにつながる。 つまり、この生き方で生きていること自体、 自分のする行為のすべてが 人を救うことにつながる。 もちろん、そういう「公」の人間になれていればだが。 「少私寡欲」 という老子の言葉がある。 「無私」には程遠いけれど、 「少私」になればなるほど 見えてくる世界がある。 最初の話に戻るけれども、 そうなっていけば、 こういう自分にも 無制限の愛情というものを 注ぐことができるのではないだろうか。 親とか子とか血縁とか、そういうものを超えて。 思いはただただ、一つなのだから。 色んな事が起こり、 自分の中の平穏を保てないことが あるけれど、 しかし、だからこそ、 徳を積める、終わりなき旅を 続けることができる。 問題はその感情が湧き起きることではなく、 沸き起こった後に、 どういう思いになるのか、 ということ。 結局は自分も他人も同じなのだ。 「そっか、そっか」とニヤリとすれば、 いいだけのこと。 他人を他人と思わなければいいだけのこと。 ![]() ―あと、4日。 旅立つときが来た。 次はどう流れるのかはまだわからない。 低い方に流れたいという思いだけ。 そして、そこはみんなの思いが集中する場所。 もう何か月こちらにいたのか、ふとしたら 忘れてしまいがちだったけど、 とにかく一度は日本に戻るらしい。 どこにいっても、何があっても もういいや。 時間の長短はあるだろうけれど、 いづれかには自分の役割を十二分に発揮できるだろう。 By Yasu │<< 前へ │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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