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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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みほとけよ祈らせ給へあまりにも
短きこの世を過ぎゆくわれに (河野裕子)
2024.06.01
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中尾から東浦和に移る予定でいましたが、中尾の北の地域、赤山街道あたりの石仏を取材してみると、そのごく近くの石仏は「大間木」で、東浦和の前にこちらを取り上げることにします。「大間木」は新しく東浦和になった地区をはさんで赤山街道の北部分と東浦和駅南部分に分かれていますが、今回は北だけ、南部分は東浦和のあとから紹介する予定です。

バイパス南路傍 緑区大間木3-44​[地図]


先日紹介した国道463号線バイパス南、赤山街道出口向いの馬頭観音から100mほど南を左折すると、突き当り、T字路の路傍に庚申塔が立っていた。


庚申塔 文化10(1813)片岩の正面に「庚申塔」下の台の正面に講中。塔の上部が欠けている。


背面に造立年月日。その横に大間木村とあり世話人二名の名前が刻まれていた。

水深中央霊園 緑区大間木2-21​[地図]


赤山街道は国道463号線バイパスあたりから真東へ向かうがゆるやかに右にカーブする。やがて新しくせいびされた広い道を渡り、この交差点から150mほど先、T字路交差点を右折すると右手に墓地があった。角のところに石塔が立っている。


庚申塔 明和9(1772)宝珠を乗せた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持ち六臂。「川口型庚申塔」である。


日月を乗せた瑞雲は中央でつながる形。三眼で牙を生やした青面金剛は右手に鈴、左手にショケラを持つ。足元に邪鬼が寝そべっていた。


台の正面に三猿。両脇が足を投げ出し内を向いて座る。左の言わ猿の口のあたりからカエルの足のようなものが飛び出しているように見えるのだが、これはなんだろう?


塔の左側面に「庚申待供養塔」その下に武州足立郡見沼領 大間木村講中三拾人。



右側面 梵字「ウン」の下に「奉建立青面金剛童子 二世安樂」右脇に造立年月日が刻まれている。


霊園の入口右脇塀の前に 六地蔵菩薩塔 明和元年(1764)が並んでいた。舟形光背に浮き乗りされた六体の地蔵菩薩立像はよく揃っていて同時に造立されたものと思われる。


左から2番目のお地蔵様は顔が完全に削られていて痛々しい。光背の右縁も欠けていたが、造立年月日だけはかろうじて残っている。

薬師堂 緑区大間木2-20​[地図]


墓地の隣に水深自治会館が立ち、その奥に薬師堂があった。


入口は施錠されていて、格子の隙間からの写真はなかなかピントが合わない。左 庚申塔 元禄4(1691)駒型の石塔の正面 梵字「バイ」の下、日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭上に蛇を乗せた三眼の青面金剛。右脇に「奉待庚申子孫繁昌攸」左脇に造立年月日。下部の邪鬼と三猿は見えなかった。


右 薬師如来立像 元禄8(1695)舟形光背に右手施無畏印、左手に薬壺を持った薬師如来。光背左脇に造立年月日。右脇に念佛講女人結衆。念仏供養塔とすべきだろうか。

会梅自治会館筋向い 緑区大間木463​[地図]


さらに東浦和方面に進む。200mほど先、道路左側に会梅自治会館があり、その筋向いの塚の上、雨除けの下に二基の石塔が並んでいた。


二基の石塔はどちらも「川口型庚申塔」だが、笠の形も像の形も若干違っていて、元は違った場所に立っていたものかもしれない。


右 庚申塔 元文5(1740)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に青面金剛立像 合掌型六臂。


頂上が扁平な髪型、H型の腕、ドクロの首輪。目をつりあげ口をかっと開き何やら威嚇するような表情は忿怒相。下半身が充実して力強い。


足元の邪鬼・二鶏・三猿も川口型のスタンダードな構図だった。


塔の右側面 上部の梵字は見慣れないが「ウン」の荘厳体か?中央に「奉建青面金剛童子二世安樂之所」両脇に造立年月日。


左側面「庚申待供養塔」下部に武刕足立郡見沼領 大間木村講中廿二人と刻まれている。


左 庚申塔 寛保3(1743)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持ち六臂。


日月の彫りが薄く、遠くから見ると瑞雲がアルファベットの模様のように見える。扁平な髪型、H型の腕、ドクロの首輪。右手に鈴、左手にぐったりとしたショケラを持つ。右の青面金剛と較べると表情は穏やかで、体型もややすっきりした印象。


邪鬼・二鶏・三猿は川口型安定の構図。


塔の右側面 梵字「ウン?」の下「奉建立青面金剛童子二世安樂之所」両脇に造立年月日。


左側面に「庚申待供養塔」下部に武刕足立郡見沼領 大間木村講中拾八人。塔の両側面の銘は、水深中央霊園角の庚申塔も合わせて三基はほぼ同じだった。





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Last updated  2024.06.03 04:33:03
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