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カテゴリ:戸田市の石仏
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ホームページにこちらで完結した「さいたま市の庚申塔シリーズ」を整理して まとめました。全部で434基になっています。地区別になっていますので見やすく なっているのではないかと思います。今後も少しづつ直して行く予定です。 よろしくお願いします。 さて、今日は戸田市美女木の石仏を見てみましょう。 美女木薬師堂 戸田市美女木3 妙厳寺の南、外環道の北、薬師堂の墓地がある。 門を入ってすぐ右、塀の前の小堂の中に5基の閻魔大王坐像が祀られていた。 左から明暦2(1656)左側と前面の破損が目立つ。光背右に年号。 寛文13(1673)これは前面が剥がれ落ちているようだ。後背も欠けているが かろうじて年号のところは残っている。光背左下に施主敬白。 寛文13(1673)光背上部を欠くが、顔の表情は残っている。光背左下 施主敬白。 明暦2(1656)やはり光背の一部を欠く。こちらも光背左下に施主敬白。 寛文10(1670)舟形光背 忿怒相。この中で一番状態がいい。光背左に年号。 続いて施主敬言と刻む。 門の左側には宝筐印塔 元文3(1738)と地蔵菩薩立像。 地蔵菩薩立像 宝暦10(1760)下の台に武州美女木村寳蔵寺。自他檀中助力。 願主 徹心。ふくよかで穏やかなお姿で立っている。 沖天神社 戸田市美女木3 薬師堂のすぐ東、天神社の赤い拝殿。 境内の東側、雨よけの下に石塔が立っていた。 石橋供養塔 享保元年(1716)梵字の下に勢至菩薩立像を彫る。光背左に 沖村中 施主等とあり、その下に4名の名前を刻む。 蕨道路傍 美女木1 新大宮バイパスの美女木交差点から北戸田を通って蕨に向かう蕨道。 左側路傍の雨除けの下に庚申塔が立っていた。 庚申塔 文化2(1805)青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。足元の邪鬼が渋い。 三猿は下の台のほうに彫られている。 塔の右側面 東 蕨宿 南 早瀬 その隣は大野だろうか? 左側面 上部に年号。下部に講中とあるが、その脇、西は与の道だろう。 北は○木のように見えるがしっくりした地名が思い浮かばない。 庚申塔から東に歩くとすぐ左路傍に馬頭観音塔 明治44(1911)が立っていた。 塔の左側面には個人名が刻まれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.11.13 20:31:31
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