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私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2014.11.24
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カテゴリ:戸田市の石仏
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今日は戸田市の新曽下町会館の石仏を見てみましょう。

新曽下町会館 戸田市新曽南4-1

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埼京線戸田公園駅から西にオリンピック通りを15分ほど歩く。南に入る路地の先に
新曽下町会館がある。会館の前の庭の小堂の中にたくさんの石塔が並んでいた。

DSC_0110.jpg

小堂の中に入って右側、整然と7基の石塔が並ぶ。

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最前列 馬頭観音立像 安永3(1774)光背左に施主、個人名を刻む。

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その後 馬頭観世音塔 寛政12(1800)文字塔。光背左にやはり個人名を刻む。

DSC_0107.jpg

一番後 馬頭観世音塔 天保8(1837)これも文字塔で施主は個人名。

DSC_0108.jpg

2列目の前 馬頭観世音塔 文政12(1829)やはり個人名が刻まれた文字塔。

DSC_0109.jpg

3列目の前 馬頭観世音塔 明治7(1874)こちらも文字塔。施主 個人名。

DSC_0073.jpg

2列目の後 馬頭観音立像 造立年不明 合掌型六臂。光背の右上、年号があると
思われる部分が損傷が激しく読めない。光背の下の部分に「如是畜生發菩提」
光背左下に個人名。

DSC_0074.jpg

3列目の後 馬頭観世音塔 造立年不明 これも損傷が激しい。左下に早瀬村、個人名
中央に「如是畜生發菩提乃」と見える。

DSC_0068.jpg

小堂の正面には6基の石塔が並ぶ。右から見てゆこう。

DSC_0076.jpg

馬頭観音立像 安永7(1778)合掌型二臂。光背右 奉造立馬頭観音為牛馬・・・
あとは読めない。足元に施主とあり、数名の名前を刻む。

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庚申塔 文化7(1810)日月雲 青面金剛立像 剣・鈴持ち六臂。非常に鮮明な彫り。

DSC_0079.jpg

青面金剛の足の下、邪鬼は仰向けで口のあたりを踏まれている。苦しそうだ。
邪鬼のまわりにくっきりと彫られた二鶏。特に雄鶏は立派だ。三猿は下の台だが、
真ん中が崩れていて二猿しか認められない。その下の台に施主10名の名前を刻む。

DSC_0083.jpg

塔の右側面に年号。左側面 新曽村。この角度から見ると青面金剛がいかに厚く
彫られているかよくわかる。

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地蔵菩薩坐像 文化13(1816)丸彫重制。蓮台の上、童子を抱いた地蔵菩薩が坐る。

DSC_0583.jpg

中央 梵字の下に地蔵大菩薩。下の台の正面に 新曽村下新田 女講中二十二人
続いて世話人3名の名前が刻まれている。

DSC_0091.jpg

聖観音立像 個人のもの。光背に元禄9(1696)の銘がある。ここでは一番古い。

DSC_0094.jpg

地蔵菩薩坐像 造立年不明 損傷が激しい。光背左に個人名が残っている。

DSC_0576.jpg

馬頭観世音塔 弘化3(1846)文字塔。施主名などは見当たらなかった。

DSC_0095.jpg

左側に6基。左の2基はほとんど字が読み取れず正体は不明。

DSC_0097.jpg

右前 馬頭観音立像 天明元年(1781)合掌型二臂。像は風化が進んでいる。
施主として個人名が刻まれていた。

DSC_0099.jpg

右後 馬頭観音塔?新・龍運 如是畜生發菩提と読める。右脇に寛保2(1742)
左脇に延享元年(1744)の銘。施主は個人名か。

DSC_0100.jpg

中前 馬頭観世音塔 寛政11(1799)文字塔。これも施主名などは見られない。

DSC_0103.jpg

中後 馬頭観音立像 明和7(1770)合掌型二臂。施主は個人名。

以上、寛保3(1742)から明治7(1874)まで、少なくとも13基の馬頭観音塔が
集められていることになる。西に早瀬の渡し、東には戸田の渡しがあり、
新曽村はそれなりに交通量もあり、かなり大きな村だったのだろう。





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Last updated  2014.11.24 19:11:44
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