|
カテゴリ:戸田市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら
今日は戸田市の新曽下町会館の石仏を見てみましょう。 新曽下町会館 戸田市新曽南4-1 埼京線戸田公園駅から西にオリンピック通りを15分ほど歩く。南に入る路地の先に 新曽下町会館がある。会館の前の庭の小堂の中にたくさんの石塔が並んでいた。 小堂の中に入って右側、整然と7基の石塔が並ぶ。 最前列 馬頭観音立像 安永3(1774)光背左に施主、個人名を刻む。 その後 馬頭観世音塔 寛政12(1800)文字塔。光背左にやはり個人名を刻む。 一番後 馬頭観世音塔 天保8(1837)これも文字塔で施主は個人名。 2列目の前 馬頭観世音塔 文政12(1829)やはり個人名が刻まれた文字塔。 3列目の前 馬頭観世音塔 明治7(1874)こちらも文字塔。施主 個人名。 2列目の後 馬頭観音立像 造立年不明 合掌型六臂。光背の右上、年号があると 思われる部分が損傷が激しく読めない。光背の下の部分に「如是畜生發菩提」 光背左下に個人名。 3列目の後 馬頭観世音塔 造立年不明 これも損傷が激しい。左下に早瀬村、個人名 中央に「如是畜生發菩提乃」と見える。 小堂の正面には6基の石塔が並ぶ。右から見てゆこう。 馬頭観音立像 安永7(1778)合掌型二臂。光背右 奉造立馬頭観音為牛馬・・・ あとは読めない。足元に施主とあり、数名の名前を刻む。 庚申塔 文化7(1810)日月雲 青面金剛立像 剣・鈴持ち六臂。非常に鮮明な彫り。 青面金剛の足の下、邪鬼は仰向けで口のあたりを踏まれている。苦しそうだ。 邪鬼のまわりにくっきりと彫られた二鶏。特に雄鶏は立派だ。三猿は下の台だが、 真ん中が崩れていて二猿しか認められない。その下の台に施主10名の名前を刻む。 塔の右側面に年号。左側面 新曽村。この角度から見ると青面金剛がいかに厚く 彫られているかよくわかる。 地蔵菩薩坐像 文化13(1816)丸彫重制。蓮台の上、童子を抱いた地蔵菩薩が坐る。 中央 梵字の下に地蔵大菩薩。下の台の正面に 新曽村下新田 女講中二十二人 続いて世話人3名の名前が刻まれている。 聖観音立像 個人のもの。光背に元禄9(1696)の銘がある。ここでは一番古い。 地蔵菩薩坐像 造立年不明 損傷が激しい。光背左に個人名が残っている。 馬頭観世音塔 弘化3(1846)文字塔。施主名などは見当たらなかった。 左側に6基。左の2基はほとんど字が読み取れず正体は不明。 右前 馬頭観音立像 天明元年(1781)合掌型二臂。像は風化が進んでいる。 施主として個人名が刻まれていた。 右後 馬頭観音塔?新・龍運 如是畜生發菩提と読める。右脇に寛保2(1742) 左脇に延享元年(1744)の銘。施主は個人名か。 中前 馬頭観世音塔 寛政11(1799)文字塔。これも施主名などは見られない。 中後 馬頭観音立像 明和7(1770)合掌型二臂。施主は個人名。 以上、寛保3(1742)から明治7(1874)まで、少なくとも13基の馬頭観音塔が 集められていることになる。西に早瀬の渡し、東には戸田の渡しがあり、 新曽村はそれなりに交通量もあり、かなり大きな村だったのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.11.24 19:11:44
コメント(0) | コメントを書く
[戸田市の石仏] カテゴリの最新記事
|