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カテゴリ:東京 北区の石仏
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今日は埼京線北赤羽駅から歩きました。少しづつ紹介してゆきます。 諏訪神社 北区赤羽北3-1-2 北赤羽駅で降りて環状八号線を越え、坂を登って行くとやがて右手に諏訪神社の 鳥居が見えてくる。境内に入ってすぐ左手に石塔が並んでいた。 左から 庚申塔 天保13(1842)正面中央に「庚申塔」ただし下部は深く埋まりすぎ 完全には読めない。右脇に年号、左脇 東 岩渕宿 渡船場みち?と刻まれている。 また塔の右側面に北 當村かしは?左側面に南 ・みちとあるがよくわからない。 塔の裏には西 中山道志村、そのあとにも文字が続いているようだ。東西南北 揃った道標は意外と珍しいような気がする。 二番目 庚申塔 安永7(1778)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち?六臂。 腰に虎の袴?足の両脇に二鶏、足元に邪鬼。その下に三猿が頭だけ見える。 塔の右側面に年号。左側面には 是より 東 川口・・あとに文字が続く。 大きく豊嶋郡袋村講中と刻まれていた。 その隣 大乗妙典供養塔 明和2(1765)正面、梵字の下に「奉納大乗妙典日本回國 二世安樂修」その両脇に天下泰平・國土安穏。 左側面に武州豊嶋郡岩淵領袋郷 行者行言講中と彫られている。 右隣 八日講供養塔 宝暦7(1757)正面 梵字の下「八日講所願成就」脇に天下泰平。 塔の右側面に年号。左側面に武州豊嶋郡岩淵領袋村 講中敬白と刻まれている。 最後に 石坂供養塔 天保7(1836)正面大きな梵字に続き「石坂供養塔」と彫る。 台の正面に氏子中。両側面に合わせて十数名の名前が刻まれていた。 諏訪神社参道 北区赤羽台4-19 環状八号線から赤羽に向かう広い道路を挟んで諏訪神社の向い側、一段高い所に 石塔が並んでいた。ここは諏訪神社の参道で後からできた道路で分断されたものと 思われる。5基のうち左から4基が庚申塔。 左 庚申塔 享保19(1734)日月雲 青面金剛立像。一部欠落もあり、表面もだいぶ 風化がすすみはっきりしないが像の形から剣・ショケラ持ち六臂と考えたい。 弓矢を持つ手や足の表現など、荒々しいが全体に躍動感がある。足元には邪鬼。 その下に三猿を彫る。 塔の左側面に年号。続いて左 板橋道。右側面「奉供養庚申講」脇に右 練馬道。 隣 庚申塔 享保17(1732)梵字 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。 足元 カビもひどく見にくいが邪鬼。脇に二鶏はくっきり。さらに三猿を彫る。 下の台の正面に数名の名前が刻まれていた。 青面金剛の彫りははっきりしている。右脇に「奉供養庚申待二世安樂処」 塔の右側面 武州豊嶋・・・・袋村講中。・・・・は郡岩淵領と思うのだが うまく当てはまらない。 続いて 庚申塔 天明5(1785)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ?持ち六臂。 足元に不気味な邪鬼と三猿。台の正面 右 大山 祢りまミち 左 いた者しミち。 隣 庚申塔 元禄16(1703)梵字 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元に邪鬼。 下の台に正面に離れて三猿を彫る。邪鬼と三猿の間の平らな部分に14名の名前。 青面金剛の右脇 武州豊嶋郡岩淵領袋村「奉供養庚申待二世安樂」と刻む。 右端 光明真言供養塔 天明5(1785)上部の花の中に梵字アクを彫る。 その下に「奉唱光明真言百萬遍供養塔」両脇に天下泰平・國土安穏。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.12.19 15:23:14
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