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カテゴリ:志木市の石仏
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今日も志木市幸町の石仏です。最初に見た、新座市との境に立っていた庚申塔の 付近から東に向かう道はかなり狭いが、その当時鎌倉道と呼ばれた古道の一部で、 この幸町を皮切りに現在の東武東上線を越え柏町に入り、舘の氷川神社、寶幢寺、 いろは橋付近で新河岸川を渡り、さらに宗岡から奥州街道と重なり羽根倉方面に 抜けてゆく、そんな交通ルートだったようで、この街道筋に沿って多くの石仏が 今でもあちらこちらに残されているということです。 大塚延命地蔵尊 志木市幸町2-10 志木駅南口のロータリーから前の道を右に曲がり東武東上線に平行な道を進む。 幸町1丁目交差点で広い道路を横切り、さらに直進するとT字路に突き当たる。 正面の住宅のブロック塀の中に小堂が立っていた。 地蔵菩薩立像 正徳5(1715)丸彫り。頭部に円形の光背を持つ。目じりが上がり、 ちょっとユーモラスな表情を見せている。 美しいお花に囲まれたお地蔵様。台の正面には「奉造立念佛供養 為二世安樂」 台の右側面に年号。その脇には施主三十四人と刻まれていた。 台の左側面 武州新座郡舘村。こちらには施主二十三人と刻む。台の裏側は 未確認だが、資料によると 明治三十年再建。発願人1名、世話人3名に続き、 外 四拾五人と刻まれているという。多くの人が造立にかかわっているようだ。 堂の脇に小さな馬頭観音塔 明治7(1874)こちらは一人の施主名が刻まれていた。 幸二丁目路傍 志木市幸町2-9 大塚の延命地蔵尊から東に歩く。東武東上線の踏み切りの手前、左側の路傍に きれいな小堂が立っていた。 堂の中 馬頭観音塔 明治27(1894)正面に大きく「馬頭観世音」 塔の右側面に年号。その下部には6名の名前が刻まれている。 左側面にも7名の名前がきざまれていた。さらに裏面にぽつんと宮戸 1名の 名前が刻まれている。朝霞の宮戸だろうが、どんな縁があったのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.27 18:47:14
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