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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2015.07.09
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カテゴリ:朝霞市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

安養院阿弥陀堂 朝霞市上内間木11

DSC_0446.jpg

秋ヶ瀬方面から県道79号線を南に進みJR武蔵野線の高架の下をくぐり少し行くと
左手に阿弥陀堂の墓地がある。墓地の入口の小堂の中に六地蔵と地蔵菩薩立像が
立っていた。手前両側に石灯籠、左後に宝篋印塔も見える。

DSC_0929.jpg

中央に地蔵菩薩立像。その両側に六地蔵菩薩立像 明和3(1766)右から2基目の
像は頭部が補修されている。5基の台にはそれぞれ6つづつ戒名が刻まれていた。

DSC_0932.jpg

一番右の台の正面 梵字「カ」の下「奉造立六地蔵尊万人講」両脇に「天下泰平」
「国土安全」さらに造立年月日が刻まれている。右側面 武州新座郡上内間木村
願主 小寺氏。脇に安養院住 法印□□とあった。

DSC_0918.jpg

中央 地蔵菩薩立像 承應4(1655)光背上部に「念佛供養」江戸初期の作品らしく
右手に非常に長い錫杖を持つ。光背左に年号。右脇には 武州新座郡内間木村
女人衆と刻まれていた。その造立年から考えると驚くほど美しい。

DSC_0924.jpg

手前左右に一対の石灯籠 元禄14(1701)左右の銘文は同一。正面 阿弥陀三尊の
梵字の下「奉建立石燈念佛 為佛果菩提也」下部に右から願主蓮随 講中敬白
六十二人と刻まれていた。左側面に年号。右側面 武州新倉郡内間木村と刻む。

DSC_0936.jpg

小堂の左後ろ 宝篋印塔 享保11(1726)基礎部正面に万人講中とある。その裏面
年号に続き、導師舘村寶幢寺法印明賢、助成上内間木村中。さらに同村 願主
野嶋伊右衛門 敬白と刻まれていた。

DSC_0445.jpg

六地蔵の手前から北を見ると奥にお堂が立っていて、手前左に石塔が見える。

DSC_0938.jpg

出羽三山供養塔 文政9(1826)正面 月山・湯殿山・羽黒山 三所大権現。両脇に
天下泰平・国土安全。下の台の正面には10人ほどの名前が刻まれていた。

DSC_0941.jpg

塔の右側面に年号。左側面には武州新座郡上内間木邑 講中と刻まれている。

DSC_0942.jpg

お堂の右手から墓地のほうに入ってゆくと、その一番奥、コンクリートの台に
無縁仏がまとめられていた。左手前に小型の石塔がいくつか並んでいる。

DSC_0943.jpg

手前 馬頭観世音塔 文政5(1882)右側面に施主 2名の名前が刻まれていた。

DSC_0945.jpg

奥 自然石に「馬頭觀世音」裏面に年号 昭和十五年 祭主 個人名を刻む。

DSC_0947.jpg

今回、朝霞の石仏の資料として「朝霞の石造物」朝霞市教育委員会 を参考に
して取材を始めることにした。この資料によると阿弥陀堂には阿弥陀三尊立像、
三面六臂の馬頭観音立像、十一面観音坐像など貴重な石仏がほかにも多数ある
ということで楽しみにしていたのだが、そのことごとくが見つからなかった。
資料は平成4年刊で20年以上前のものとはいえ、いったいどこに行ったのか?
あちらこちら歩き回って、ふとお堂の丁度裏のあたりにあるブルーシートに
気が付いた。

DSC_0948.jpg

近寄って見ると重石のように使われていたのは丸彫りの地蔵菩薩立像だった。
資料に載っている写真と見比べると元文4年の寒念佛供養の地蔵菩薩立像に
よく似ている。このブルーシートの中はどうなっているのだろう?さすがに
無断でのぞくわけにもいかず、これ以上の取材はあきらめたが、はたして
資料にあった石仏たちと巡り会う日がくるだろうか?

そういえば、昨日このブログで取り上げた線路脇の墓地の子育て地蔵尊像も、
上内間木交差点角の釈迦如来坐像も資料の写真では石塔の上に載っていた。
ここで重石代わりに横たわっていた地蔵菩薩立像も合わせて、平成23年3月の
東日本大震災の時に倒壊したということかもしれない。





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Last updated  2015.07.09 20:53:23
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