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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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今回から赤塚に入ります。東武東上線の下赤塚駅周辺の石仏から見てみましょう。 川越街道南側路傍 板橋区赤塚新町3-12 下赤塚駅から西に200mほど、川越街道の南側路傍に庚申塔が立っていた。 庚申塔 万延元年(1860)変わった形の自然石の正面に大きく「庚申塔」と刻む。 下の台の正面右上に小さく「新町」中央には大きく「講中」と刻まれている。 裏を見ると万延元庚申年 臘月再建とあった。臘月は十二月のこと。さらに 小さな字で昭和15年に道路改修のためにここに庚申塔を移転した時の寄付者 5名の名前が刻まれている。 台の左側面には 南 あらいやくし道。ここから練馬を抜けて新井薬師まで至る 道があったのだろう。寺社への参詣の道は大きな意味を持っていたようだ。 続いて 右 はやせ道。左 吹上道。戸田、和光への道を示している。 下赤塚駅北交番西向側路傍 板橋区赤塚2-1 下赤塚駅東の踏切の北、交差点の角のところに交番がある。道を隔てた西側の 路傍、パチンコ店と居酒屋に挟まれた空間に石塔が立っていた。 庚申塔 安政4(1857)風化が目立つ。塔の正面中央に「庚申塔」下の台には 梶山 講中 拾九人と刻まれていた。 塔の右側面に年号。左側面には文字が見えるが読み取れない。 台の左側面「左」とあり、地名が刻まれているように思われるが今の状態では これも判断できなかった。 下赤塚駅北交番北向側路傍 板橋区赤塚1-9 交番の北側向い、洋品店の前にブロックに囲まれて石塔が並んでいた。 右 庚申塔 宝暦4(1754)日月 青面金剛立像 合掌型六臂。光背上部両脇に 造立年月日。右下に講中二十三人。左下に願主名が刻まれている。 足下に二鶏・邪鬼・三猿が彫られていた。顔もはっきりしない邪鬼は はいはいする赤ちゃんのようだ。その手足は異常に細い。 左 中央を彫り窪めた中、蓮台の上には大日如来を表す梵字「バン」だろうか。 塔にも台にも銘は見られず、何のための石塔なのかはわからなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.08 19:49:22
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