|
カテゴリ:東京 板橋区の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら
今回も松月院通り周辺の石仏を見てみましょう。 泉福寺 板橋区赤塚6-39 松月院通りの南側に赤塚図書館がある。その東の細い道を右折し、突き当りを 左に折れると左手に泉福寺の入り口があった。境内の右側、弘法大師像の後ろに 四基の石塔が立っている。その奥には小型の板碑が集められていた。 右 回国供養塔 正徳3(1713)カビが多く、文字が読み取りにくい。 正面 上に「奉」その下の文字が削れていて途中「妙」「六十六部」「回國」と 読める。おそらく「奉読誦?大乗妙典六十六部日本回國」ではないだろうか。 脇の文字は上から「天下泰平國土安全」真ん中右から左に造立年月日。下には 右 武州赤塚村春日氏、左に法名が刻まれていた。 正面上部に彫られている像は風化のためはっきりしないが聖観音菩薩坐像か? 塔の両側面にも「春」とか「長」などの文字見えるが施主名の一部と思われる。 その隣 丸彫りの地蔵菩薩立像。錫杖も宝珠も失われていた。こちらも風化が進み、 全身をカビで覆われている。台の正面に文字が見えるがやはり読み取れなかった。 お地蔵様の足下から台にかけて比較的大きな穴がいくつも穿たれていた。 さらにその奥に聖観音菩薩立像 寛文12(1672)こちらは年代の割には綺麗だ。 光背右に戒名が刻まれ、個人の墓石。一番左の文字塔も個人の墓石だった。 野口庚申堂 板橋区赤塚5-14-9 泉福寺へ向けて右折したあたりで今度は北に左折して細い道を道なりに進むと 交差点の右手の角のところに小堂があり、中に二基の石塔が並んでいた。 庚申塔 宝暦13(1763)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。下部に二鶏 邪鬼、三猿が揃いバランスの良い構成になっている。 塔の左側面は狭く写真は撮れないが講中十八人と刻まれていた。右側面に年号。 その下には下赤塚村 野口と刻まれている。 隣の石塔は中央に文字の跡らしきものは見られるが、その上を線が交錯していて 詳細はわからなかった。ここにあるだけの理由はあるのだろうが・・・ 小堂の中に手作りの解説が貼ってある。「野口庚申講」江戸時代から続く講が 今でも健在のようで、なんとなくうれしくなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.18 20:12:58
コメント(0) | コメントを書く
[東京 板橋区の石仏] カテゴリの最新記事
|