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私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2015.11.27
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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日は曹洞宗の古刹 圓福寺の石仏を見てみましょう。

圓福寺 板橋区西台3-32

DSC_0963.jpg

西台交差点から南へ東武練馬方面に向かう西台中央通り。かなり急な坂道を登り、
西台交番の少し手前、右手に圓福寺がある。大きな仁王像が入り口に立っていた。

DSC_0805.jpg

山門の手前、右手の塀の前に三基の石塔が並んでいる。

DSC_0806.jpg

右 庚申塔 延宝5(1677)唐破風笠付 中央に「奉彫刻庚申供養石塔二世安穏攸」
上部両脇に造立年月日。下部右 結縁衆等 左 頓首敬白。その下に三猿を彫る。

DSC_0807.jpg

塔の右側面 蓮の葉の下に6名の名前が刻まれていた。

DSC_0808.jpg

左側面には蓮のつぼみの横に武州豊嶋郡西臺田端村と刻まれている。

DSC_0941.jpg

中央 地蔵菩薩立像 明和2(1765)下の塔部も合わせると2mを越える。

DSC_0942.jpg

蓮台の下、塔部の正面「奉建立地蔵尊一基」両脇に造立年月日を刻む。

DSC_0944.jpg

塔の左側面には門前不動谷念佛講中と刻まれていた。

DSC_0952.jpg

左 戒壇石 明和2(1765)正面に大きく「不許葷酒入山門」

DSC_0949.jpg

裏面は塀が近すぎて全体を写すことができないが「大乗妙典六十六部廻國供養塔」
その両脇に造立年月日が刻まれていた。

DSC_0831.jpg

山門を入り本堂に向かうと、右手の庭木の中、大きな石塔の上に地蔵菩薩坐像
明和元年(1764)があった。

DSC_0547 (2).jpg

塔の正面に大きく「妙典千部塔」左側面 中央上から九世天巖理大和尚、その下は
右に開山道無沙弥、左に安清離心禪尼と刻まれている。

DSC_0827.jpg

右側面に造立年月日。続いて讀主前圓福心月叟誌。裏面上から彌陀稱名三千萬遍
下に乃至法界 平等利益と刻まれていた。

DSC_0551.jpg

本堂の左手、階段の上に墓地が拡がっている。二つの階段の間に無縁仏が
集められていて、その一番上には大日如来坐像が見える。

DSC_0822.jpg

左端付近に 大乗妙典供養塔 宝永7(1709)正面中央「大乗妙典壹千部眞讀碑」
塔の左側面と裏面にはそれぞれ17文字5行の願文が刻まれていた。

DSC_0878.jpg

右側面は下半分が他の石塔の陰になって見えないが、上部中央に年号、
その隣の行に武州豊嶋郡西臺郷西臺村の文字が確認できる。

DSC_0818.jpg

二つの階段の奥にあるもう一つの階段の陰に馬頭観音立像 安永7(1778)が
立っていた。光背上部両脇に造立年月日。下部には武州豊嶌郡西臺村。

DSC_0554.jpg

塔の右側面 清岩院矍林居士 浅田権兵衛。脇に安永六年の銘がある。個人の
供養のための馬頭観音というのはあまりきかない。左側面も見てみたかったが
階段との隙間が5cmもなく、文字があることは確かだが確認できなかった。
資料によると堀下中老若男女為現當二世安樂とあるらしい。堀下村の人々が
力を合わせて建立したものということになる。右側面 浅田氏は願主だろうか?





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Last updated  2015.11.27 19:53:40
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