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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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前回に続いて延命寺地蔵堂の石仏です。 延命寺地蔵堂 板橋区志村2-5 地蔵堂の東側の整備された一角、正面に堂々と弘法大師坐像があり、そのまわりにはたくさんの石塔が立っている。 左側には不動明王をはじめ十三仏 享和2(1802)が並んでいた。不動明王だけが炎の光背、あとの十二仏は同じ形の光背を持ち、像の高さもほぼそろっている。以下、写真の下に名前だけ記しておく。 不動明王 釈迦如来 文殊菩薩 普賢菩薩 地蔵菩薩 弥勒菩薩 薬師如来 観世音菩薩 勢至菩薩 阿弥陀如来 阿閃如来 大日如来 虚空蔵菩薩 十三仏の台はひとつながりになっていて、中央付近に銘が刻まれていた。右から「十三佛建立 三界萬霊 有無兩縁 為菩提也 郷内安全 諸願成就」続いて造立年月日。さらに武州豊嶋郡志村。施主二名。 正面 大きな基壇の上、弘法大師坐像 享和2(1802)その下の台の中央で丸い紋章をささげ持っているのは天邪鬼だという。 台の正面 右に造立年月日。中央 天邪鬼に隠れているが「郷内安全 為三界萬霊有無兩縁 心願成就」左 武州豊嶋郡志村。施主二名。十三仏の施主と同じ名前だった。 右側には歴代住職の墓塔などが立っている。その中に大きな閻魔王坐像 文化4(1807) 台の右側面に造立年月日。正面には 武州豊嶋郡志村 郷内安全 為三界萬霊有無兩縁 諸願成就と刻まれている。続いて施主二名、これも十三仏、祖師像と同じ名前だった。このように手の込んだ多くの石仏をまとめて建立するにはそれ相応な財力の裏付けが必要だろう。驚くべきことだ。 閻魔王坐像の手前に唐破風笠付きの大きな角柱型の石塔が立っていた。十王尊塔文化4(1807)三つの面に、閻魔王をはじめ地獄において亡者の審判を行う10尊の像が彫られている。 左側面の一番下は奪衣婆のようだ。裏面は地獄における亡者の様子を彫ったものだろう。生首がなんとも不気味だ。 この地蔵堂には都合4回訪れました。はじめは平日の7:00頃で門は閉まっていて断念。次は日曜日の8:00頃でやはり門が閉まっていてこれも失敗。三回目は日曜日の9:00過ぎに大原町の長徳寺の帰りに寄ってみたら今度は門が開いていてやっと写真を撮ることができました。ただ、この日は快晴で、9:00過ぎとなると日差しがとても強く、順光ならともかく、逆光の場合は大変厳しい状況で写真の出来栄えはあまり満足のいくものではありませんでした。最後は曇りの日曜日に再訪してひととおり撮りなおしました。自宅から自転車で50分程度なので、サイクリングを兼ねてというわけですが結構手間がかかりました。 次回に予定している岩槻区は電車を利用するか車で回ることになるのでそこまで丁寧にはできないでしょうから、やり直しのきかない一発勝負のつもりで頑張ります! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.08 08:30:45
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