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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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大原町にあと一カ所、庚申塔が残っていました。 志村第二小学校南の路地 板橋区大原町11 中山道 志村警察署前交差点から西側の歩道を南に歩き、二本目の路地を右に入るとすぐ左手の電信柱の近くに庚申塔が立っていた。この道は狭くて一方通行になっているが、西のほうから中山道に出る抜け道らしく、車がひっきりなしに通り抜けてゆく。 庚申塔 文久3(1863)塔の正面 日月雲の下「庚申塔」下の台の正面に三猿が彫られていた。 右側面には大きく 富士大山 荒井薬師 道。江戸時代の道標はお参りのためにお寺や神社などに関するものが比較的多く見られるようだ。 左側面 右脇に造立年月日。続いて武州豊嶋郡蓮沼村中と刻まれている。 これで中山道の西を終え、次回からは中山道の東の地域、小豆沢、蓮沼町を取り上げてゆきます。 ここで一息入れて「見つからなかった石塔シリーズ」です。さいたま市の石仏探しの基礎資料「郷土の石佛」によると緑区の「大崎集会所裏山」に庚申塔があるということで、この集会所の付近を二度、三度と訪れたのですがどうしても見つからずあきらめていました。先日HPを見られた方から貴重な情報を頂きました。「集会所の隣の土地の造成工事が始まり、今まで小高い森の突端にあり木立に隠れていて気が付かなかったが、庚申塔と思われる石塔が見える」早速出かけて行って確認してきました。庚申塔があった場所は集会所の西の崖の上。集会所からは西へ少し下がったところで、西の道路のほうから見ると造成工事前はこの一帯は集会所を含めて小高い森山だったのです。私は集会所の裏の山=集会所より高いところと思い込んで、集会所の東のほうの藪があるあたりを中心に考えていました。見つかるわけありませんね。さて、それではさいたま市緑区大崎集会所西の庚申塔を紹介します 大崎集会所西 崖上 さいたま市緑区大崎 芝原方面から新見沼大橋有料道路を抜けてすぐ右の細い道に入ってゆくと大崎集会所がある。集会所の西の崖のところに庚申塔が立っていた。写真の庚申塔の後ろの建物が大崎集会所。写真左に写っている階段の左側では住宅の新築工事が予定されているらしい。 庚申塔 寛政8(1796)唐破風笠付角柱型。下の台は半ば土中に埋もれている。 日月雲 青面金剛立像合掌型六臂。森の木々に守られていたとはいえ、やはり野仏らしく白カビが目立つ。 足下の邪鬼は正面向きで腕をM字型に張っている。邪鬼の下に三猿を彫る。二鶏は確認できなかったがもしかすると白カビの中かもしれない。 塔の右側面 武州足立郡南部領大崎村。さらに願主、塔地寄付とあり、高橋姓20名の名前が刻まれていた。 左側面に造立年月日。こちらには阿津沢氏(緑区のいろいろな地域の石仏の施主、世話人としてよく見かける)をはじめ伊藤氏、吉田氏、鈴木氏など21名の名前。合わせて施主41名ということになるだろう。 新築工事に伴ってこの石塔が撤去される可能性もありそうです。庚申塔は民俗信仰の貴重な文化財ですから、例えば集会所のほうに移設して緑区なり自治会なりが管理するような方向が望ましいと思うのですが・・・・ さて、どうなるのでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.30 17:57:46
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