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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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前回に続いて南蔵院の石仏を見てみましょう。 南蔵院 板橋区蓮沼町48 参道の左側の植え込みの中にも多くの石塔が並んでいた。植え込みの中には入れず塔の裏面の確認はできないので、一部は資料から引用することにする。 左から 大日如来坐像 寛文2(1662)唐破風笠の上に立派な宝珠を持つ角柱型の大きな石塔。 正面を彫り窪めた中、梵字「アーンク」の下に優雅な大日如来の坐像が浮き彫りされていた。枠部右に武州豊嶋郡蓮沼村□□□□念佛本願結衆都合廿二人。枠部左に造立年月日。大日如来像の下には四行に渡って願文。奉造立、大日如来、二世安樂、示現大明神などの文字が見える。 その隣、馬頭観音立像 正徳3(1713)やはり唐破風笠付角柱型。下の台が二段になっている分だけこちらのほうが若干高くなっている。 資料ではこれを青面金剛としているが、三面六臂、頭上には明らかに馬頭が彫られていて、馬頭観音だと思われる。右脇下に武州豊嶋郡蓮沼村庚申講施主とあり、馬頭観音を主尊とする庚申塔だろうか。像の下の部分に12名の名前が刻まれていた。 両側面、上部にいずれも梵字で銘が刻まれ、下部には二十名ほどの名前が見える。資料によると裏面も合わせて83人の氏名が列刻されているという。 続いて弘法大師遠忌供養塔が二基。その奥に庚申塔 寛文11(1671)正面を彫り窪めた中に「奉供養庚申待結衆二世祈所」その周りに多くの名前が刻まれていた。右枠部に武州蓮沼村結衆合廿四人敬白、左枠部には造立年月日が刻まれている。 その隣 庚申塔 天明8(1788)風化が激しくほとんど原形をとどめていないが、上部左右には日月?その下は青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂?邪鬼ははっきりしないが、下部にはうっすらと三猿が見える。資料では両側面に地名や施主名が刻まれているということだが、たくさんの窪み穴の中に文字を見つけることはできなかった。 さらに続いて庚申塔 嘉永3(1850)自然石の正面に「庚申塔」台の正面に三猿、側面に施主名などがあるらしいが現場では確認は難しい状況だ。 その奥には小型の馬頭観音立像 年代不詳 六臂。光背左に蓮沼村とありその下に個人名を刻む。 その隣 順礼供養塔 延宝8(1680)正面中央に観音菩薩坐像。右脇 梵字「バン」の下「奉納四國八十八枚二世安樂祈所」左脇 梵字「サ」の下「奉順礼東西秩父百枚二世安樂祈所」坐像の下には海譽起立之と刻まれていた。 続いて 庚申塔 延宝8(1680)日月雲 青面金剛立像剣合掌型六臂。青面金剛の持物として一般的な弓矢のかわりに左手に羂索を持つ。右脇に「奉供養庚申二世安樂所」左脇に造立年月日。足下には三猿。三猿の下に武州蓮沼村と刻まれている。 、 邪鬼はいないものの比較的大型の三猿は存在感がある。塔の両側面には合わせて14名の名前が刻まれていた。 植え込みの中の一番奥 庚申塔 文化9(1812)正面 日月雲 梵字「ウン」の下「庚申塔」右側面に年号。左側面には武州豊嶋郡蓮沼村中。世話人九人と刻まれている。 本堂の左右に二基の丸彫りの地蔵菩薩像が立っていた。右手前 地蔵菩薩立像 宝永7(1710)お地蔵様はちょっと難しい顔をしている。 像の背面 中央に「奉造立地蔵尊講中百五十余人現當悉地」右脇に年号。その下には武州豊嶋郡蓮沼村。 本堂の左手すぐ、地蔵菩薩立像 承応2(1653)板橋区最古の石地蔵だという。よほど手入れがいいのだろう驚くほど美しい状態を保っている。 像の裏の中央「奉造立石地蔵一尊庚申待悉地成就拾人」右脇に武州蓮沼村 敬白。左脇に造立年月日が刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.26 21:08:30
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