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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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さて、今回も安養院の石仏です。 安養院 板橋区東新町2-30 墓地の入口、大きな地蔵菩薩坐像の左側、横三列に合計26基の石仏が並んでいた。今日は前列の13基を見てみよう。 右から 地蔵菩薩立像 安永7(1778)錫杖の先と宝珠を欠く。下の台は植え込みの庭木で隠れ気味だが、「念佛講中拾五人」の文字が見えた。両脇に造立年月日が刻まれている。 隣、馬頭観音立像 安永5(1776)唐破風笠付角柱型。正面を浅く彫り窪めて合掌六臂の馬頭観音を彫る。中程両脇に「天下泰平・國土安全」右下に造立年月日。左下に願主 個人名。 3番目 大きな唐破風笠を持った角柱型の供養塔 宝永4(1707)正面上部、蓮座の上の円の中に梵字「ア」その下に「奉造立石塔供養講中二世安樂。塔の右側面に造立年月日。左側面には武州豊嶋郡上板橋村講中十二人と刻まれていた。 その隣 庚申塔 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。像の右脇「奉造立供養意趣六拾二歳以前」左脇に爲村中二世安樂也。その下に造立年月日。 青面金剛の足下両脇に薄く二鶏を彫る。邪鬼は小さく頭が右向き。三猿の下には小さく栗原村と刻まれている。 続いて 庚申塔 文久2(1862)正面中央に大きな字で「庚申」 塔の右側面上部に右とあり、下のほうに「道」と見えるがその間の文字がはっきりしない。左側面は 左 あらい薬師道。脇に造立年月日が刻まれていた。 その隣は馬頭観音塔 文化元年(1804)立派な日月雲の下に「馬頭観世音」彫りが深い。塔の左側面に願主 二名の名前を刻む。 続いて地蔵菩薩立像。錫杖と宝珠を持つ延命地蔵型。像にも台にも文字が見当たらない。資料にも該当するものが無く詳細は不明。 その隣 地蔵菩薩立像。こちらも銘が確認できず詳細は不明だが、多宝塔脇の階段途中に祀られていた六地蔵の右の三基ととてもよく似ている。以前は六地蔵として祀られていたものをこちらに移したものではないだろうか。 次は馬頭観音坐像 嘉永6(1853)50cmにも満たない小型の像で上部が欠けているが、三面六臂 忿怒相の馬頭観音の姿は迫力がある。台の大半が土に埋もれていて側面に銘が刻まれているらしいが確認はできなかった。 続く四つの石塔は個人の墓塔だが、前列を飾るものなので取り上げておく。こちらは如意輪観音坐像 享保14(1729)個人のものにしてはかなり保存状態がいい。 隣は阿弥陀如来立像。両脇に元禄3(1690)と宝永3(1706)二つの命日が刻まれていた。 続いて文字だけの墓石があり、前列の最後は地蔵菩薩立像。こちらは延宝4(1676)と宝永3(1706)の二つの命日が刻まれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.07 19:17:56
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