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カテゴリ:さいたま市緑区の石仏
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原山の石仏の続きです。 薬師会館墓地 緑区原山4-17-22[地図] 産業道路の太田窪交差点から東へ向かう日の出通り。バス停「坊の在家」付近の信号交差点から北へ細い道を道なりに200mほど進むと、交差点の角の所に薬師会館があった。会館の周りは墓地になっている。 墓地は整備され、会館脇の駐車場も新しくなっていた。駐車場の裏のブロック塀の前に多くの石仏が集められている。写真手前に写っている「納骨塚」の側面に令和元年の紀年銘が見える。 中央に庚申塔 正徳3(1713)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。 頭にとぐろを巻いた蛇をのせ、目を吊り上げ口をへの字、忿怒相の青面金剛。手には矛・法輪・弓・矢を持つ。 足の両脇に二鶏を半浮き彫り。足元に悪相の邪鬼が横たわる。その下には正面向きに座るダイヤモンド型の三猿。 石塔の右側面に「奉供養庚申塔」 大谷口房在家村。 左側面に造立年月日。その下に講中三十二人と刻まれていた。 庚申塔の右脇に 念仏供養塔正徳3(1713)舟形光背に錫杖・宝珠を手にした地蔵菩薩半跏坐像を浮き彫り。光背上部、梵字「カ」の下に「百日夏念佛」光背右脇に造立年月日。左脇に房在家村。与野本町の正圓寺などで見た「寒念仏」に対して、こちらは「夏念仏」になっている。酷寒、酷暑の中で何日も念仏を唱え続ける、一種の苦行のようなものだったのだろうか。 会館の裏まで墓地になっていて、その一番奥に三基の石塔が並んでいた。 右 大乗妙典六十六部供養塔 宝暦8(1758)角柱型の石塔に敷茄子・蓮台を重ねた上に丸彫りの地蔵菩薩立像。穏やかな表情の丸顔のお地蔵様。錫杖を持つ右手は手だけが残っていて錫杖はそっくり欠けていた。もともと「差し込み式」だったのだろう。江戸時代の地蔵菩薩塔では珍しい。 角柱型の石塔の正面中央「奉納大乗妙典六拾六部供養佛」両脇に造立年月日。右側面に佛㚍連中とありその下に六名の名前。 左側面中央に「三界萬霊乃至法界」その右脇に足立郡大谷口村。左脇に願主一名の名前が刻まれていた。 中央 普門品供養塔 嘉永2(1849)塔の正面に「普門品供養塔」右側面に造立年月日。下の台の正面に房之在家村 講中と彫られている。 左 庚申塔 元禄6(1693)駒形の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。 髪を三角に結い上げた三眼の青面金剛。持物は矛・法輪・弓・鏑矢。6本の上での手首に蛇が巻き付いていた。像の右脇「奉納庚申待二世安樂處」左脇に造立年月日。青面金剛の足の両脇に二鶏を線刻。足元には邪鬼が足を折り曲げうずくまり、首をかしげて前を向く。 その下に三猿。両脇は内を向く。三猿の下の部分に10名の名前が刻まれていた。 日の出通り坊の在家北路地 緑区原山4-32[地図]東 日の出通りの大谷口県営住宅交差点の250mほど西、北へ入る細い路地に石塔が立っていた。 普門品供養塔 弘化3(1846)二段の四角い台の上の角柱型の石塔の正面「普門品正觀世音菩薩」塔の右側面に造立年月日。上の段の正面は剥落。下の段の正面に細野 講中と刻まれている。 大谷口県営住宅交差点北路傍 緑区原山4-33-28[地図] 大谷口県営住宅交差点から県道1号線、第二産業道路の旧道を北へ100mほど進むと。道路左側、電信柱の脇に小堂が立っていた。 小堂の中に三基の石塔。右 丸彫りの地蔵菩薩立像 天明2(1782)首に補修跡があり、宝珠を持つ左手を欠く。像に銘は見当たらないが・・・ 中央は四角い台に角柱型の石塔、その上に敷茄子だけが残っているが、その敷茄子と右の地蔵菩薩像の蓮台が同じ色で、おそらくこの敷茄子の上に右の地蔵菩薩像が乗っていたものと思われる。なぜ、両者を分けたままにしたのかはわからない。角柱型の石塔の正面中央には「奉造立地蔵尊」両脇に造立年月日。さらに大谷口村 施主とあり、個人の名前が刻まれていた。 塔の右側面にっ二つの戒名。その右脇に北 岩附道。左脇に南 江戸道。 左側面にも二つの戒名が並び、その下に西 浦和道。三方向三地名の刻まれた道標になっている。 左 百観音霊場供養塔 弘化2(1845)角柱型の石塔の正面「秩父西國坂東 百番觀世音菩薩」両脇に二つの戒名。さらに右脇に造立年月日。左側面に 西 浦和。その下に大谷口村とあり個人の名前。 右側面に北 原市。南 江戸。こちらも三方向三地名が刻まれた道標になっていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.15 19:57:31
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