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2014.05.30
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カテゴリ:おたく文化
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第898話 「アゴラな世界3」

 時代が1990年代の中頃ともなると、バブルが崩壊していく一方でインターネットの商用利用が日本でも解禁されるという2つの大きな変化が同時期に生じたのですが、一般人でも比較的簡単にインターネットが利用できるソフトとしてウインドウズ95の市販が1995年の年末に始まると、それまでのパソコン通信からインターネットへのシフトが加速度的に増加していっただけでなく、パソコン通信には興味を示さずパソコン通信を経験したことも無かった一般人までもインターネットからネット利用に新規参入するようになっていったのでした。

 そういった現象は、時間の経過に比例して加速していったのですが、そうした中で一つのエポックだったのが、電話回線の利用料金プランに従量制だけでなく定額制が加わったことがあり、今では珍しく無い”1ヶ月○円で使い放題!”とか”一ヶ月○千円で○時間まで大丈夫”とかいった料金プランが登場したことで、インターネットが社会の基本的なインフラとなる流れは決定的となったなと。

 また、NTTドコモがiモードに対応するようになったあたりから携帯電話で独自アドレスの電子メールの受発信が可能となり、他のキャリアも同様のサービスで追随したことから、2000年頃になると携帯電話が電子メールの受発信装置としても社会人の必須アイテムとなってしまうのですが、これまた、携帯電話を使うようになって電話番号を暗記できなくなった云々という意味不明な難癖をつける人が登場するようになったことは御存知の通りで、だいたい”私が若かった頃には、20や30の電話番号は暗記していて云々”とやらかすことが多いのですが、携帯電話の電話帳に100件以上の電話番号が登録できることは御存知の通りですから、携帯電話や電子メールを使うようになって馬鹿になったかのような主張を素直に解釈すれば、かっては優秀と言われていた自分が、いまどきの高校生どころか小学生よりも携帯情報端末を使いこなせてないことが気に食わないってことかなと邪推しないでもありません。

 私は、前職の頃から霞ヶ関の高級官僚よりも渋谷の女子高校生たちのIT技術と見識の方を高く評価しているのですが(実話)、所詮はコンピュータにしても携帯端末にしても”道具”に過ぎないわけですから、その”使い方”というソフトの部分の方が重要になってきて、ユーザーのニーズに応えられないハードから消えていくこともまた当然の流れだと考えていますし、ポケベルなどの栄枯盛衰もリアルタイムで見てきただけに、ハードは時代のニーズに合わせて”その次”の規格が出てくるとも考えています ・・・ その意味でも、スマートフォンが個人用の情報通信端末やパソコンの最終形態とは考えていません。

 それはそれとして、インターネットが登場してまもなくネット上に乱立するようになったのが”匿名の掲示板”で、巨大なチャットルームの性質も有していて、時差が生じることもありますが、自分も相手もリアルタイムで読んで反応することが前提というか、数時間で数百とか数千の書きコが連なる急流のようなネタも珍しくありませんから、前日の夕方読んだ内容に翌日の昼ごろにコメントしても誰も相手にしてくれなかったり、空気を読まない(いわゆる”KY”ですな)厄介者扱いされることも珍しく無い現実があるわけです。

 したがって、リアルタイムの流れに乗ろうとするなら、長い単語や文書などを短縮して時短に勤めるようになるのは理の当然というものですし、現実社会でも行きつけの飲み屋などで常連客になれば裏メニューの類に遭遇しやすくなったり、同じ常連客や店の従業員などと仲間内の会話をするようになるのにも似て、特定の板に特定のユーザがたむろするようなればなるほど、特定の板でのみ通用するネットスラングと後に呼ばれるようになる怪しげな短縮言葉が横行するようになっていったのでした。

 そして、この手の短縮言葉が時間の経過とともにエスカレートしていくのは、リアルだろうがネットだろうがよくある話ですし、特定の板を利用するようになった時には既に特定の板に特有のネットスラングが一般化していった世代ともなると、リアルとネットで言語を使い分ける必要性を感じにくくなる傾向がこれまたあり、仲間内のスラングが、ネットからリアルへ、リアルからネットへと広まり、どちらが先立ったか判然としなくなってもいったわけです ・・・ そんなネットの感覚だと大昔の出来事を突き止めるより、目の前の変化に対応した方が現実的ですしねえ?

* ここの段落で書いている”学校の先生”がやらかしている”わいせつ、もしくは公序良俗に反する”具体的な犯罪行為に関する文章が楽天ブログの判定では(・わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています)に該当するため省略して掲載しています。


 教育業界が、情報機器の利用方法やネット使用上の注意と対策を教え込むのではなく使用や所持などの規制のハードルだけ上げて手を抜き続けた結果、スマートフォンが普及し始めると”LINE”がそれこそ中高生の間でも猛威を振るうようになり、極めて短時間の内に、それこそ犯罪の温床とういうより”狩場”と化してきているのは比較的知られた話で、既に悪の温床をインターネットの特定のサイトにだけに求めても無駄な時代となり、それこそソフトごとに立ち上がる(従来は安全性が高いという説もあった)ソーシャルネットワーク系のコミュニティに犯罪の現場が移動しつつあるわけですが、そういった変化する環境下で成長していながら、それに対抗するための教育はなおざりにされ続けてきただけに生徒や学生の側に根本的な問題があるとは私には思えません。

 日本の公教育と現実社会の現状認識の”時差”がパソコンの普及が始まったあたりから加速しはじめ、インターネットの普及で致命的な欠陥となってきたわけですが、ウインドウズ95が市販されてインターネットを利用する人が激増しはじめてからでも20年近く経過しているのに、ネット利用を前提とした基本的な情報教育カリキュラムの構築さえ行えず、小学生から情報教育を行うことよりも、小学生からの英語の授業の導入にだけは熱心という、黒板とチョークの授業が主流だった冷戦時代の発想から脱却できていない教育政策そのものに問題がありますな ・・・ ま、そういった時代錯誤な教育を受けた子が社会人になる頃まで私の寿命が続いているかどうか微妙なだけにどうでもいいちゃいいことでもありますが。

 話を戻すと、そもそもが、特定の板でのみ成立していたのがネットスラングであるが故に”仲間内の符牒”も兼ねるようになり、その意味では初期段階ではスラングというよりダイアレクト(方言)だったと考えると分かりやすいですが、時間が経過してみると、”2ちゃん”が思った以上に巨大化した上に長命化してしまったことで、現実世界にも少なからず影響を与えるようになったことで、2ちゃん方言が知っていて当たり前のネットスラングと化す頻度が上昇したのでした。

 まあ、本来のネットスラングというのは、どっぷりと漬かっている連中同士で使っている分には仲間内の日常会話に過ぎませんし、なにしろ現実世界よりも流行り廃れが激しく、情報が一般化する(=陳腐化する)速度も早いのが電脳空間だけに、そこで扱われる情報は数量的にも膨大になりがちで、ネットスラングの考案者をして”あれ、俺がそれの言いだしっぺだったっけ?”となりかねないことは ・・・ 御存知の通り(笑)。

 ましてや、当初は”遊び”や”暇つぶし”、”経費削減”などなどから始まった顔文字文化も、独自の発展を遂げてかなりの顔文字が一般にまで広まったこともあってネットで多用されるようになり、顔文字職人の称号を冠せられる達人まで登場する御時世ですが、顔文字やネットスラングなどネットで流れる符丁の性質も持つ文字や記号の全てをリアルタイムで把握することは年々難しくなってきています。

 ましてや、ネットよりず~っと時間の流れの遅い現実世界で、報道しない自由を駆使しているマスゴミ関係者が、TV番組や雑誌の記事で全てを把握しているかのように”知ったか”して振舞ったり、上から目線であれこれ論評しても、”今頃そんなことを言っているようでは単なる情弱じゃん?”とか、”そんな流行知らねえ~。どこの平行世界の話?”といった具合にばっさり切り捨てられたり相手にされないことがままあるわけです。

 20世紀末のネット世界ならまだしも、21世紀も2桁に突入して久しく、スマートフォン経由でネットを利用する人も加速的に増加しているこれを書いている時点で、”俺はネットのことは何でも知っているぜ!”と主張する光景というのは、飲み屋で酔っ払いが”俺も昔はワルだった ・・・”とか言い出す光景と重なるところがありますし、ソーシャルネットワークやラインなどの普及に見られるように、一定の共通項を持つ小さなコミュニティに分散する傾向もあるだけに、全貌を把握した上で発言しているように振舞うことそのものがとても”痛い”行為だと私は思います ・・・ リアルタイムで増加し続ける膨大な量の情報を処理し分析し続けている暇は既に誰にも無いんじゃないかと(笑)。

 が、なぜかネットスラング系の薀蓄を語りたがる(=ネタもとがホイチョイプロの”気まぐれコンセプト”のような)マスコミ人や文化人が後を絶たず、それも二番煎じ、三番煎じどころか手垢まみれの昔話や出所不明の又聞きの又聞きのような話を元ネタにしたり、ネットの中では大昔の話や解釈をリアルタイムで生じているかのように語る手押し車の柄のような鋼鉄製のザイルのような神経の太さで”知ったか”をぶちかまして(現実世界の情弱系素人相手に)得意がるわけです。

 といった辺りまで頭に入れてもらっておくと、アゴラのブログの文章になぜ私がいらっとしたかわかりやすいかなと ・・・ 長々と前振してきたわけですな(笑)。

 次回、完結編となります。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第898話 (2013/12/18)





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Last updated  2014.05.30 06:59:54
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