オはオタクのオ 第0042回 ガンダム概論
オはオタクのオ 第0042回 ガンダム概論 機動戦士ガンダムといえば、宇宙世紀0079~0080の期間に勃発した”1年戦争”を舞台にした”初代”から端を発して、これを書いている2019年までの間、手を変え品を変えて延々と語り継がれてきたロボットアニメのことで、まあ、日本人ならば”そんな作品知らない”という人の方が今となっては”変人”とか”どこの星の御生れで?”と言われると書いても、さほど間違っていないのではなかろうか? ちなみに、宇宙世紀というのは”初代”が放送された年の西暦の下二桁で、1979~1980年に該当するのですが、当時のアニメ制作会社としての”サンライズ”は中小というより弱小企業で、他の大手の下請けが主要な収入源であったからこそ、自らが版権を有するオリジナルのアニメで一儲けすることが悲願だったと書いていい頃の話になるか?なと。*正確には、”初代”を製作していた当時は、日本サンライズ。 実際、初代の機動戦士ガンダムは、サンライズ(というか冨野喜幸・監督)のロボット3部作の最後の作品でもあり、当時のお子様としては、無敵超人ザンボット3、無敵鋼人ダイターン3、に続いて放送されたロボットアニメという認識だったのでした ・・・ まあ、作り手側の事情なんて小中学生がわかるわけもなかった昭和の頃の話でしたし(笑)。 逆に言えば、ダイターン3の後番組なわけですから、ザンボット3やダイターン3のような巨大なスーパーロボットものかな?とりあえず見てみようとTVの前に座ったオタッキーな子供たちが少なからずいたわけですが、この新番組はのっけから主要な視聴者であるはずの小中学生を置き去りにして簡単な概略説明の後に話が始まり、宇宙空間でザクの赤いモノアイがグッポ~ンと輝いたわけですから、Aパートで脱落した子も少なからずいたのではないかと。 ここで、機動戦士ガンダムが世に出るまでの、日本のロボットアニメの歴史をざっくりと語ると、日本のTVアニメの祖でもある”鉄腕アトム(TV,1963~1966)”から話が始まるのですが、鉄腕アトムの場合は今風に言えば高度な人工知能を有していて人間のようにというか人間ではないが故に人間とは異なる視点であれこれ考えてしまう・・・ 一種の疑似人格を持ち、経験から学習していく ・・・10万馬力の自立思考型ロボットとでもいった存在ですから、”誰かに操縦されることがない”のが特徴で、サイズ的には小学校高学年くらいの設定になっています。 で、この鉄腕アトムのTVアニメが大ヒット(いわゆる視聴率30%越え)して社会現象になったことで、”うちの局でも、ロボットアニメを・・・”と考える人が増えたようで、”鉄人28号”と”エイトマン”が後に続いた形になるのですが、”鉄腕アトム”の原作が手塚治虫で、”鉄人28号(TV、1963~1966)”の原作が横山光輝というのは知られた話というか常識の部類ですが、TVアニメ作品とは関係の無いところで生じたスキャンダルで打ち切りとなり、その後のアニメの歴史でもあまり語られることのない黒歴史になったのが”エイトマン(1963~1964)”かなと。 ちなみに、全盛期のエイトマンは視聴率で鉄腕アトムとがっぷり四つの勝負をしていて、”ぼちぼち逆転するかな?(最高視聴率25.8%)”という頃に前述した”スキャンダル”が勃発して失速どころか姿を消してしまったのですが、原作はSF作家の平井和正で、作画が桑田次郎という分業体制で版権の類は講談社が管理する体制だったことも権利問題をややこしくし、リメイクの類も難しくしたかも? これまたちなみに、エイトマンは刑事だった東八郎が犯罪者によって殺害(漫画とアニメでは殺害方法が異なる)されたとき、その”人格や記憶を等身大のスーパーロボットの人工頭脳に移植され”たことで誕生した一種のアンドロイドで、私立探偵の東八郎として活躍するようになるといった話になるのですが、作画担当の桑田が拳銃の不法所持(ちなみに戦前だと合法だったため、戦前に生まれ育った世代には戦後の法規制の変化が今一つピンときていなかったという話もある)で逮捕されて、新聞のヘッドラインなどに”8マン、逮捕される!”といった文字が全国区で踊ったわけです。*ちなみに、”加速装置!”でも有名な”サイボーグ009(石森章太郎)”は1964年が漫画の初出なので、元祖・加速移動は8マン。 まあ、アニメの”エイトマン”には主題歌をめぐるスキャンダルも後の1976年に発生し、どちらかといえばそちらの方がセンセーショナルな事件のような気が私はしますが、なんやかやと長らく封印作品と化してしまった感があるのですが、家庭用VTRも無ければ、レンタルビデオ店の類も、ネット配信も無い時代に過去の作品を家庭のTVで見るチャンスといえば”再放送”しかなかったわけですから、TV局側が再放送しなければそれまでという時代が1980年代に家庭用ビデオデッキが普及するまでは続いたわけです。 ただ、興味深いのは、2015年頃から”人の記憶を電気信号として外へ吸い出し、吸い出した情報を外部保存することに成功(その逆も可能だそうな)した”という話が流れ、スーパーコンピューターなどと連動することで人は電脳空間の中で事実上の不死を手にすることができるようになった ・・・ エイトマンが放送された頃は”絵空事”と鼻で笑われていた”人の記憶(や人格)をコンピュータに移植(コピー)する”設定が21世紀に入ってリアルな話になったことは感慨深いな~と。* もちろん、これを書いている時点だと”金に糸目をつけないのならば”という但し書きが付く話ですが、それ故に、某財閥のトップで心臓移植を4度行っていながら100歳を越えても現役だった”D"氏が、この手の技術の話が外部に少し漏れたころに唐突に亡くなったことから、”もしかしたら ・・・”という気が、私は、しましたね(意外と真面目な話)。* そう考えると、鉄腕アトムに搭載されていたコンピュータでは、ディープラーニングにも対応している人工知能(プログラム)が動いていたわけですから、日本人の一部の男の子たちにしてみれば、1960年代に当時のオトナたちから”絵空事”とか”夢物語の類”とか”科学的でない”とか”そんなもの見てないで勉強するか家の仕事でも手伝え”と言われながら熱中していたTVアニメで描かれていた近未来の光景が、それから50年ほど後に現実になってきただけの話なのかもしれません。 話をガンダムに戻すと、当時のサンライズの主力業務は”宇宙戦艦ヤマトの下請け”という時代で、その予算から見てもガンダムに関わっていた集団はスポーツ業界でいうところの”二軍”としか言いようがない立ち位置だったのですが、作画に天才、安彦良和や、後に”板野サーカス”で知られることになる板野一郎が駆け出し(当時20歳)ながらどっぷり漬かっていた幸運があったのではないかと ・・・ まあ、安彦さんは途中で病気(肋膜炎?)でリタイアしてしまって、製作現場の修羅場が泥沼の修羅場と化し、打ち切りが決まって内心では現場スタッフの大半が助かったと思ったという話もある。*当時既にアニメ制作の現場でアニメーターが心不全などで突然死することが珍しくなかった。が、鉄腕アトムの一話当たりの製作費は当時の標準的な(大作ではない)ドラマ作品の一話当たりの製作費に準拠していて、アトムのヒットの後でTV局が新作アニメ制作に支払った一話当たりの製作費はアトムの倍が相場にいなったという話があり、一部で”手塚治虫が安くアニメ制作を引きうけたので現場のアニメーターは残酷物語”というのは(晩年の手塚先生も反論されていましたが)無理筋かなと。*というか、しこたま儲けた後のスタジオ・ジブリで子飼いのアニメーターたちへの待遇ってどうなのよ?と思ったというか、宮崎監督あたりは自社作品の作成時にアニメーターの労働環境や賃金水準などをどのくらい改善したのか興味深いところではある(笑)。 ここの所、ガンダムが御長寿大河アニメの一つというか日本のアニメを代表する作品と化したためか、あたかも当時から順風満帆というか画期的な作品と認識されていたかのような、”よいしょ”臭いが漂う(私に言わせれば後付けの)解説を目にすることが多くなってうんざりしているのですが、ルパン三世、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムといった作品が初回の本放送では視聴率が取れず揃って(当初の予定より話数を削っての)打ち切り作品というあたりで、”早すぎた”作品の一つだったのは確かな話かなと。 日本のアニメで自発的なファンクラブが全国規模でできた最初の作品と言う説もある”海のトリトン(原作:手塚治虫、TV1972)”は、冨野監督の初監督作品で、テーマ曲”海のトリトン”(作詞・伊勢正三、作曲・南こうせつ、歌・須藤リカ(女優)と かぐや姫。絶叫型の”GoGoトリトン”じゃない方。)が、いわゆるアニソン歌手ではなく、Jポップのメジャーどころも関わって歌ったという点でも、アニメのOP(というかEDというかは微妙なんですが)にJポップ系の歌手が関わった最初の作品かもな~と。*ちなみに、海のトリトンは連載終了後に手塚プロでアニメ化する予定でパイロット版も作られていたものの、虫プロの業績が悪化し混乱していたときに、(当時)手塚のマネージャーをしていた、あの、西崎義輝がTV化権を手に入れてTV局に売り込んだ西崎義輝の初プロデュース作品でもある。 この”海のトリトン”は”宇宙戦艦ヤマト”の劇場版が1979年に公開されたときに”劇場版 海のトリトン 前編”として抱き合わせで公開されたのですが、全国規模でファンクラブがあって観客動員がある程度事前に見込めた”海のトリトン”の方が実はメインの扱いで、低視聴率で文字通り”沈んだ”TV版の再編集にちょこちょこっと新作カットを加えた程度のクオリティだった”宇宙戦艦ヤマト”を(ファンの熱気は高かったとしても)単独で公開することに誰も自信が無かったというのが正直なところだったようで、それ故に”今回のトリトンは前編で、後に後編が公開されるので・・・”とトリトンのファンを”釣って巻き込んだ”ところがありますな。 しかしながら、蓋を開けてみれば”劇場版 宇宙戦艦ヤマト”もヒット作品となり、そこにハリウッド映画”スターウオーズ”の追い風もあって続編の”宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち”が邦画アニメの歴史に残る大ヒット作になったことで、”あれれ?海のトリトンの後編は??”というファンの声が西崎義輝の耳に届くことは無かったようで、これを書いている時点まで”劇場版 海のトリトン 後編”が劇場公開されていない(ソフト化はされた)のは比較的知られた話になります(黒い笑)。 もっとも、冨野監督の初監督作品となった”海のトリトン”の段階で既に後に”皆殺しの冨野”と呼ばれるようになるストーリー展開が垣間見え、エンディング近くで正邪の立ち位置の逆転もしっかりと行われていますから、後の冨野作品の原型が確立されている作品と言えなくもないかなと。 ちなみに、機動戦士ガンダムでも、冨野監督は当然のように主人公のアムロを含めて”皆殺し”路線で終わらせる腹積もりだったようですが、上の方が”続編”の可能性を残すために”殺すな”と指示したという話があってアムロは命拾いしたという都市伝説めいた話があります。 実際、朝日ソノラマから冨野監督が三部作で出した小説版の”機動戦士ガンダム”ではアムロは戦死していますから、TVアニメでもアムロが戦死するエンディングは高確率でありえた話ではないかと。 なお、冨野監督がライバル視することが多かった宮崎監督は、ルパン三世のファーストシリーズのいわゆる”敗戦処理”を経てルパン三世のセカンドシリーズや未来少年コナンなどなどで名を知られるようになっていて、この頃の冨野監督のインタビュー記事などを読んでいると、ライバル心むき出しというか、それこそ”ぼくの方が〇〇をうまく使えるんだ!”とでもいった叫びが行間に滲んでいるような気がしないでもない ・・・ 気のせいといわれればそれまでですが(笑)。 結局、”初代”は家庭用ビデオデッキが普及していなかった時代であったからこそ、ファンが再放送をTV局に直訴したり、宇宙戦艦ヤマトのビジネスモデルもあって劇場版という話も進んで、TVの初回放送が終わった後に盛り上がったところがあるのかなと。 インターネットどころかパソコン通信も普通の学生たちにとってはそれこそ”映画の中の話”だった時代でしたから、とにかく情報が少なく伝達速度も遅いことで”ファンの欲求不満”は増大しやすく、作り手側はそういったファンの動向や欲求を把握しにくい時代だったなあ ・・・ と、書いても物心ついた頃には既にインターネット環境があるのが当たり前の分かりにくい昔話でしょうが(笑)。 ロボットの系譜ということでは、”いいも悪いもリモコン次第”の”鉄人28号”の系譜に、自動車や建設重機を操縦するノリで生み出された”マジンガーZ(TV,1972~1974)"が永井豪によって加わることになるのですが、いわゆる”スーパーロボット”の元祖ということにもなりますが、マジンガーZも派生作品の多いシリーズでマジンサーガと言われても納得してしまう作品群なので深入りは避けます。 が、”ウルトラマン”や”仮面ライダー”といった特撮系の番組から子供たちを少なからず奪い去ったのが”マジンガーZ"と一連のマジンガーシリーズであり、そうしたマジンガーZの成功があったから”人が乗り込んで操縦する巨大ロボットもの”がアニメの一つのジャンルになったわけですし、”鉄腕アトム”のような自分で考えて行動するロボットを急速に過去の作品にしてしまった側面もあるかなと。 ただ、マジンガーZを見ていて不思議だったのが”なぜ敵の側は同じタイプのロボットを大量生産してマジンガーZに一斉にぶつけないのか?”ということで、律儀に毎回毎回、新しいロボットを1体ずつぶつけていく戦略が”子供の喧嘩だって、一人では敵わない相手には徒党を組んで1対多の喧嘩に持ち込む奴らがいるじゃん?”と。*軍事的な常識としても、”戦力の逐次投入は(読みの甘い参謀や上層部の)愚策”とされる。 まあ、この疑問は、(次回作に引き継ぐ際の)特番とか劇場版とかで、”過去に倒したロボットが復活して集団で襲い掛かる”とか”新しい組織が出現した際の顔見せ的に新顔が大量に”とかいった作品が増えていったことで ・・・ まあ、仮面ライダーや東映系では鉄板の定番演出でしたが ・・・ ある程度の納得というか充足を得たのでした。 この、”単機の主人公に対して、なぜ敵側は同じ型のメカを大量投入しないのか?”問題に、軍隊の概念を導入した作品といえば、やはり”宇宙戦艦ヤマト”だったわけですが、単艦で複数の敵艦に襲撃されても”波動砲”という必殺の切り札で窮地を逃れる演出がマンネリ化してしまい、時代劇の水戸黄門で御老公たちが印籠を見せて一件落着とする定番の様式美と類似してしまった辺りで”戦争しているにしては、リアリティに欠けるよなあ?”とファンが離れていったかなと。 つまり、マジンガーZの登場でそれまでのロボットアニメと違って、”バイクや自動車、トラックやバスなどのように実際に乗り込んで操縦できる(かもしれない)ロボットというジャンルが産まれたものの、ある意味で戦闘機や戦車を操縦して戦争を行う場合には存在する社会背景や軍事的な定石といった点などで”リアリティに欠ける”ところがあったわけですが、その辺がいい加減だからこそ、ノリと勢いで主人公が無双できるところもあるわけです ・・・ リアリティにこだわるか?エンターテイメントとしてカタルシスや無双感を優先するか? いずれにしても、社会現象のレベルで成功した、マジンガーZや宇宙戦艦ヤマトより後に世に出た機動戦士ガンダムは、どちらかといえばマジンガーZの系譜に連なるザンボット3やダイターン3よりも、宇宙戦艦ヤマトの系譜に連なる作品ではないかと思うのですが、では軍用という観点で逆から見るとどうかと言えば、あちこちにマジンガー系の”一点もの”の余波が残っていることに嫌でも気が付くのが作られた時代故の制約というものなのかもしれません。 軍事的なリアリティという点では、超時空要塞マクロスでもまだ中途半端なところがあり、新世紀エバンゲリオンの登場を待つ必要があったのですが、まあ、エヴァまで行くと戦争する相手が神話のレベルになってしまうので、これまたどんなもんかなと ・・・ 終盤の対人類戦闘はリアルであるが故に臨場感があって盛り上がりますが。 物語としての”初代”が”十五少年漂流記”も一つのモチーフにしたことは比較的知られた話ですが、かといって”あれが十五少年漂流記?”という突っ込みが入る程度の話だと、私は、思いますし、”まあ、ふしぎの海のナディアの原作(原案?参考?)がベルヌの海底二万マイルと言い張った人もいたしなあ?”とも思いはするのですが、後に、サンライズが”銀河漂流バイファム(TV,1983~1984)”を作ったことで、ガンダムの企画の焼き直しなのか、やり直しなのか微妙だな~と思いましたし、今となっては誰もガンダムを語るときにバイファムのバの字も言わないあたりで、”初代”ガンダム程度の薄い参考の方が正解なのかもな~と(笑)。*銀河漂流バイファムの”原案”は冨野監督。 ちなみに、実用化で先行していた敵のロボット(モビルスーツですな)で実戦にも投入されて驚異的な戦果を上げていた”ザク”に、不慣れな一般人の少年が操縦する初代ガンダムが圧勝してしまう謎は、当初、”新型の(経験を積むことで自分で学習していく)教育型コンピュータを搭載している”からとしていたのですが、それだと学習が進めば誰が操縦してもアムロと同等の動きができることになるためか、ロボットの性能ではなくアムロが(一種の超能力者であると推定される)ニュータイプだからという話になっていったのですが ・・・・・・ 続編の”Zガンダム”において、超合金Zを彷彿とさせる、ガンダリュウムという特殊合金が”初代”から採用されていた(から頑丈だった)ことが発覚します。 なお、アムロの生まれた年は宇宙世紀0064年になるようで、1964年生まれが20歳というか社会人になるときに「今年の新成人は”新人類(ニュータイプ)”」とマスゴミに呼称されたのですが、笑ったのが、その時の古参の男性の某・コメンテイターが真顔で”新人類(ニュータイプ)”という呼称は私が作った造語だとTVの番組中に主張したこと(大笑)。*その昔、「今年の新成人は〇〇〇」と、今年の流行語大賞のノリでマスゴミが成人の日などを目途にして報道していた。*アムロ・レイの生年には宇宙世紀0063説もある。 以前、”怪しい話”を書ていて、ふと気になってあれこれ調べたり計算してみると、「あれ?もしかして”のび太”も1964年生まれ?」となり、とある公式設定で確認したら、昭和39年8月7日生まれだそうで、アムロとのび太は”ある意味で”同い年だったんですよという話をしたことがあるというあたりで、長くなってまいりましたので、今回はここまで。*他の1964年生まれのキャラクターには、未来少年コナンでコナンの育ての親である”おじい”もいる。