2007年犬山市、出雲市視察報告

  総務文教委員会行政視察報告(2007年7月4日~6日)
    伊藤 眞智子

今回の行政視察は、犬山市と出雲市の視察でした。
教育行政の変遷について考え、教育行政はどうあるべきか?教育委員会の役割は?様々なことを考えさせられた行政視察でした。

1、行政視察場所とその特徴
 ・「犬山の子は犬山で育てる」学びの学校つくりを進めている犬山市、その  推進となっている教育委員会。
・社会教育の分野を教育委員会からはずし市長部局に移した出雲市

2犬山の教育について
 ○犬山の目指す教育は
     学校を競争の場としてではなく共生・共同の場として位置づける 
 ・人格形成と学力保障を目指し、自ら学ぶ学力の育成をそのはしらとする。
 ・そのためには教師も自ら学ぶ教師でなくてはならないとして、教師の自己  変革を促し資質の向上を図っていく。
 ・子どもが通いたい学校づくりにするために学級編制や教育課程について学  校現場に裁量権を持たせ学校の自立を目指す。

 ○そのための教育条件整備として実施していること
 ・少人数学級
市費常勤講師 8名   市費非常勤講師 55名の採用
 ・子どもの興味に基づいた魅力ある教材を開発する。副読本のの作成。
 ・教師がお互いに切磋琢磨し研修につとめる。
 ・教師が子どもや授業に専念できる体制つくり
 ・部活動の指導者の市費採用
 ・地域との交流等々
*教育にお金をかけているなあという感想です。

3、出雲の教育
 平成13年から生涯学習やスポーツ振興、文化行政など、学校教育以外の部門を市長部局の「文化企画部」にうつした。
導入当時は異論もあったが概ね定着してきているということでした。

*生涯学習をどうとらえるか、というところがはっきりしていないと、ただ管理運営だけのことを考えれば市長部局でも対して変わりはないと言うことになります。
 社会教育とは何か、生涯学習とは何かをその歴史もふまえて考える必要があると思いました。

4,行政視察で考えさせられたこと・教育委員会制度について

戦後、国民主権、基本的人権、恒久平和を掲げた日本国憲法ができました。日本は太平洋戦争でアジアで2000万人、日本国内でも空襲や広島、長崎に落とされた原爆で亡くなった民間人、そして戦地で命を落とした兵隊を含め、310万人の命が奪われました。
 どうして無益な戦争に国全体が狂気のように突き進んでいったのか。大きな役割を果たしたのが軍国主義教育、国家主義の教育です。政治が教育に介入し、お国のために命を投げ出すことを美徳として子どもたちを戦場に送ったのです。その反省の元に基本的人権、国民主権、平和主義を謳った戦後日本国憲法ができ、その理想の実現は教育の力にまつべきものとして教育基本法ができました。
 その教育基本法の10条に教育行政は不当な支配に屈することなく・・・・として、政治が教育に介入することを強く戒めています。
(昨年の教育基本法の改訂で、その精神は大きくゆがめられてしまいましたが・・。)
 そして、その精神を受け、1948年(昭和23年)に設置された教育委員会制度は政治の介入を受けないように、各自治体の首長から独立したものとして位置づけられたのです。
 教育委員会制度は、首長が任命する任命制ではなく、住民から選ばれたものが教育委員になるという公選制でスタートしました。行政からは独立したものとしての位置づけがされ、、予算・条例の原案送付権、小中学校の教職員の人事権を持っていました。
 しかし、投票率の低下や、アメリカの占領政策の転換、立候補をめぐる様々な対立が生まれてきたことなどにより、1956年(昭和31年)には公選制を廃止し、教育委員の任命制の導入、教育委員会による条例や予算の送付権が廃止され、現在に至っています。

 その後、政府の方針に沿って、臨時教育審議会、中教審等で教育委員会制度について様々な論議がされました。地方分権一括法では更なる規制緩和盛りまれて、教育委員会
教育長の任命承認制度の廃止、指導等に関する規定の見直し、都道府県の基準設定の廃止等が盛り込まれました。
 実際、2001年4月には、今回視察先であった島根県出雲市で、教育委員会の所管であった文化財、芸術文化、スポーツ、図書館などの社会教育・生涯学習分野が首長部局のに移管されました。その結果教育委員会事務局は、学校教育に関連した業務を行うこととされました。お話をお聞きすると、出雲市長は前文部官僚であったということです。選挙で選ばれた時の政権与党の考えで文部省は教育政策を決めているのに、同じく選挙で選ばれた首長が教育行政に関与できないのはおかしいという考えのようでした。
 全国市長会からの提言を受けて、 2006年7月、政府は、市町村の教育委員会に関する規制緩和で、文化・スポーツに関する事務などの権限を首長に移譲できる構造改革特区の設置をめざす方針を決め、現在に至っています。
 今も教育委員会のあり方については様々な論議がされています。

 教育とは時の政府や首長の考えによってコロコロと変わっていいものではありません。
しかし、今は国の文部行政に振り回され教育委員会や現場の独自性が発揮できないでいるのではないでしょうか。
 詰め込み教育による落ちこぼれが問題となり、ゆとり教育が実施されました。経験が大事とされ、さらに一人ひとりの個性が大事とし、できる子もできない子も個性とされ、総合学習が提案されました。その結果学力が低下してきているとして、今度は学力テスト、学習指導要領の見直しが始まっています。現場は猫の目のように変わる文部行政に振り回されています。
 それは県の教育委員会を通じて市町村教育委員会、現場へと縦の指導が貫かれています。そのことが大きな問題ではないかと思います。
 人間としての人格の完成を目指す、ある意味では教育は普遍の原則を持っています。戦前のように国家がつくった子ども像に当てはめようとするのは許されることではありません。また、首長が変わるごとに教育方針が変わるということもあってはならないことです。
 
 今回の犬山市の視察では、前市長の強い要請を受けた教育長が就任し、「犬山の子は犬山で育てるー学びの学校づくり」というスローガンで1997年から10年間行われてきました。その教育方針になじまないと言うことで今回の全国一斉学力テストにも不参加を表明してきました。
 首長の権限で教育長が任命され首長と教育庁長の二人三脚で進めてきました。犬山の教育は文部省の縦の指導から自立し、犬山の独自の考え方で進められてきたのです。ある意味では首長の主導で進められてきていたのですが。今回伺ったときは首長が選挙によって交替し、新しい市長は学力テストへの参加をさせようとし、教育委員会と対立があるようでした。
 私は犬山の教育が本当にすばらしいものだと感じてきました。こんなにも教育委員会が主体性を持って教育内容まで考え副読本まで出していることに感動を覚えました。
 しかし教育委員会の任命権は首長にあり、今後この犬山の教育がどのようになるか心配しているところです。首長が交替することにより教育の考え方が変わり、首長の考えによって築いてきた教育が新しい首長によって崩されようとしている。
 やはり本来の教育編制権は学校現場になくてはならず、行政は学校教育の環境整備や人の配置の等、教育条件整備に置くのがよいのではないか、と思いますが、犬山の教育が一学校だけではできなかった、教育委員会の指導なくしてはできなかったと思うと、何をよしとするのかは判断がつきかねるのです。

 以上が犬山市、出雲市教育委員会の視察を終えての感想です。



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