最近の映像で、都会の限界集落と言われる古いマンション・公団住宅の映像が見られるけど。
確かに、建物の老朽化は問題だ。孤独死も問題になっている。
しかしながら、孤独死じゃない死に方があるのだろうか?問題になっているのは急病になっても救急通報も出来ず、痴呆か何かで火を扱ったままそれを忘れて、建物や隣人に迷惑を掛けると言うのはある。
そう言う要因は別にして、ぴんぴんコロリと逝くのに、何故か介護施設に行くか、子供の所帯にお世話になるかと言うのが小生気に入らない。
その歳まで生きているかどうかは不明だが、小生だったら映像にあるような介護ホームで変な体操やら、お遊戯や、職員と娯楽ゲームなんて御免被る。
体がちゃんと動いて、ボケていないのなら、四六時中ほぼ一人で色んな事をやっているだろう。何しろ学生時代から掃除洗濯食事に被服まで自分でやらないと、どうにもならない。
頭も丸めず、座禅もしないし、経文も読まないが、何処かのインチキ修行僧の様に起床から就寝まで何がしかの行事・行程が毎日待っているからである。
まずは起きたら洗面やらが待っている。朝食は摂らないかお茶である。一応ニュース番組を流し見ながら、活動開始。
昼頃になると、食事だが別に腹が減らなきゃ時間をずらす。これが、本当のスローライフ・自由業の醍醐味である。
何しろ、既に謎隠居状態なので、家庭を持つとか維持するとか言う観念が失せているところも、ある意味坊さんに近い。
ある程度の稼ぎは必要だが、仮に億でもあったら何にも稼ぐ事もしないだろう。美食家でもないし、衣服にもそれほど拘らず、必要なのは食費と、光熱費と、微々たる娯楽用の費用に通信費。何かの時の医療費は必要だろうが、言い換えれば「1億あったらどんな病気や怪我でも完治するのか?」と言う設問にはNOと答えるしかない。
だったら、今のところ健康問題に関して一番優秀な方策はキューバの医療制度だ。必要な薬や治療は政府がほぼ無料で施すが、薬漬けにしたり、余分な保険点数やらを稼ぐための付けたし医療はしないと言う方針がベストだろう。
そう言う意味合いでは、アメリカみたいに機械などに挟まれて重傷を負っても、保険が無いと馬鹿みたいに高額になる様な世情になってしまったら、個人ではどうしようもない。
幸福に生きるのに高額なコストが掛かる経済社会では、それは貧困の裏返しとしか思えない。「この金額無いとあれも出来ない・これも出来ない・物理的に不可能だ」と言うのなら、それこそ不必要にコストが掛かる不幸な社会じゃないだろうか?
就職の内定を突如取り消される…言い換えればそう言う会社の方が数年後に消えている様な駄目な会社とも言えるだろう。
契約を打ち切る会社も、結局そう言う局面を読みきれずに、最後には契約を理不尽に切られた人から後々、「あの会社の製品は買う気にならない。使う気にならない。回収やら返品騒ぎになっても嗚呼当然だな」と思われるだけの会社だったと言う事だろう。たとえ上場企業でも。
生きると言う事にコストやら採算性を無理に取り入れるから、ネットやらで「役に立たない(ボケた・寝たきり)老人やらは処分してしまえ」なんて言う暴論を書いたり述べたりする馬鹿まで現れる。
ビデオレコーダーやらTVやPCが老朽化して役に立たない(作動しない)と言うのは解る。それが機械であるから機械には作用を要求しても良いだろう。
しかしながら、人間と機械の区別すら出来ないかの様な、その暴論には既に人間性が欠落している。人間性が欠落してるであろうその暴言の発言者に老人を人間と見る認識は無いのであろう。既に機械と人間の認識区別が出来ない脳内構造になっているだろうから。
これを人間と言うかは小生は大いに疑問だ。
日本列島全体が限界集落化していないのか?