私の問題解決の考え方 第11章1

第11章 原発の問題はこれまでで一番難しい?
-人間がからんだ問題は難しい! 人災だ!-
 
会社での研究についての執筆中に、母の入院の問題が発生してしまいました(第9章)。その問題が一段落し、研究の最後で山場のところをほぼ書き終えた(第10章)と思ったら、もう一つ問題が起きてしまいました。

大津波と地震で、原発事故が起きてしまいました。

この問題は、これまで私が解決を考えた問題の中で一番難しいものの一つです。これは単に放射能の問題だけではないのです。日本の国の問題なのです(本当は世界の)。人間の問題です。これから日本が進む方向をしっかり考えて、どうするかを決めていかなければなりません。

勿論、私だけでは解決できません。しかし、私がいろいろな問題の解決に使ってきた私の考え方を使って、私のできる限り、問題を解析し、やるべきことを考えて、私自身ができることをやってきました。ここでは、それらについて説明しましょう。

解決を国と東電に任せてしまうと、名実ともに、「臭いものには蓋をする」方式で、事故の解析も不十分のままに、彼等はきちんと責任も取らずに、事態は収束の方向に進んでいるとして、ずるずると原発を続ける年月が過ぎていくことでしょう。そして、放射能汚染の影響が何十年もかけて現われてくるでしょう。また、まだ大事故が起きる可能性もあります。

じわじわと原発の再稼働を進めて(実際に2012年8月の時点で2基再稼働)、輸出もするようになりそうです。事故が起きた原発の廃炉作業はなかなか進まず、使用済みの燃料も、放射性廃棄物も、どんどん増えていくでしょう。そして、日本だけでなく、世界へも汚染が広まっていくことでしょう。そして、世界の原発の数が増えれば、それだけ汚染も増え、事故が起きる可能性も高くなるでしょう。このまま経済第一主義で進もうとすると、日本はさらに借金を増やし、問題のもっと多い社会になっていく恐れがあります。

私としては、こうならないように、インターネットを最大限に利用して、首相をはじめとする、多くの人達に、原発を止めてくれという、私の考えを訴えています。原発を減らしていくように、皆で、声を高くして、国、電力会社、企業、学界やマスコミに働きかけましょう。

国も私達も変わらなければいけません。といっても、急に変わるのは難しいのです。今回の大震災と原発事故は、変わるための、またとない、いい機会です。変わるのは今(2011-2012年に書いています)しかないでしょう。この大惨事を忘れないうちに素早く行動しましょう。そうしないと変わることがなかなかできなくなります[2014年1月の時点でそうなりそうな状況になっています]。

国はどのくらい真剣に考えているのでしょうか。国は変わるどころか、原発は再稼働し、さらに輸出まで進め、経済第一を最優先にして、核保有国でいて、再軍備までしようとするでしょう(世界大国気取りで)。


私達国民においては、飽食も、便利すぎるのに慣れてしまうのも、自分の体を動かさないのも、経済第一主義も、贅沢も、原発も、子供に構いすぎも、テレビを見すぎるのも、皆バツ! 電気使用量を減らし、もっと慎ましく、質素に生きましょう!

世界大国にならなくてもいいのです。安全、安心で公正な国なら。貧乏でも幸せということもあるのです。

私達は、国のやっていることにもっと関心を持ちましょう。騙されないように監視するようにしましょう。もっと疑いましょう、質問しましょう、口を出しましょう。

私達同士の間でも、互いの心の通じ合い、つまり、人間としての付き合いの輪を広げていきましょう。互いに率直に意見を言い合い、素直で正直になれるようなお付き合いがいいですね。

原発の恐さと、国と電力会社が嘘つき、ごまかしと隠ぺいを続けてきたことも忘れてはいけません。許してはいけません。非を認めさせたいです。


11.1 「想定外の事象」
-全て大津波のせい-


今回の原発事故を原子ムラの言葉でいうと、こう(本節の題名)なります。事故を「事象」というのです。「想定外」というのは津波のことです。

これまで、東電も、国も、事故を津波のせいにしてきたので、まずは、「想定外」という言葉を取り上げて、母の経験と比較しながら、原発事故について考えましょう。

1.母の場合

原発事故後の「想定外」という言葉で、前の年の2010年6月の母の脳梗塞のことを思い出しました。東京で一人暮らしをしていた母が急に脳梗塞になってしまったのです。母は勿論、私達周りのものにも、脳梗塞は全く「想定外」でした。

そもそも、「想定外」というのは、世の中ではごく普通にあることで、誰でも、想定外の問題にしばしば遭遇し、次々と解決しながら生きているのです。遭遇したときには慌てるかもしれませんが、なんとか解決していっているのです。

その例として、初めに、母に起きたことについて考えてみましょう。


ある日、突然、東京に住む母が介護でお世話になっている看護師さんから、埼玉に住む私に連絡がありました。母が脳梗塞かもしれないので、病院へ運ぶとのことです。

想定外のことで驚いた私はすぐに電車で病院へ向かったのですが、何も分からない状態では、ただ、母の命に別状なければと願うばかりでした(第一の問題)。

約2時間後、病院に着いたら、お医者さんから、命には別条なく(第一の問題は解決)、検査をしても、はっきりとした脳梗塞の証拠が見つからないと言われました。しかし、母に会うと、話すのが大変になっているし、右手も使えないのです(脳梗塞らしいという問題がある;第二の問題)。

さらに、今の段階では、入院すべきかどうか決められないと言われました。病院もかなり混んでいたので入院させたくないように感じられました。しかし、私は入院させてもらわなければと思いました(第三の問題)。私には明らかに母は治療が必要で、家に帰っても、私達では十分な看護ができないのです。

そこで、私は、母が「発作」の前と後でどんなに変わったかを説明して、なんとか入院させて下さいと頼みました。母に付き添っていてくれたケアマネジャーさんも同じように頼んでくれました。その結果、何とか入院を許されました(第三の問題解決)。

なお、既に脳梗塞の治療は始めてくれていたので、第二の問題についても対策が講じられていました。

一方、そのとき、入院のリスクについて、時間をかけ、かなりはっきりと説明されました。脳梗塞が進む可能性があるだけでなく、肺炎とか他の病気になったり、ベッドから落ちたり、いろいろな悪いことが起きることがある(第四の問題)から、予め認識しておいてもらいたいと言われました。また、何か起きたときに、延命処置をどこまで行なうかまで聞かれました。

そのときは、私はとにかく脳梗塞の治療(第二の問題で、これが一番心配)をこの病院でこのまま続けてもらいたいと思っていたので、リスクを全て受け入れ、とにかく入院させてもらいました。

次の日、母はうまく話せないし、右手もうまく使えないし、相当心配しましたが、その次の日から、回復の兆候が見られるようになってきましたし(第二の問題解決の方向へ)、約1週間経っても、合併症なども見られませんでした(第四の問題も大丈夫らしい)。

そこで一安心したのですが、そのとき、先生から、やるべき治療は皆終わり、この病院にはこれ以上おいておけないので、この病院を出てどこへ行くかを考えてくれと言われてしまいました(また想定外の第五の問題)。

一ヶ月ぐらいはおいてもらえると思っていた私は大いに驚いてしまい、また慌ててしまいました。そのときの状態では、母が直ぐ家に戻ってもまだまだ大変だと思われたので、どうしたらいいだろうかと相談すると、リハビリ病院とか養護施設がいいだろうと言われました。病院のソーシャルワーカーに相談すれば、適当な場所を紹介してもらえるとのことです。

そこで、言われた通りに相談に行って話しているうちに、私が既に対策を考えていたことに気づきました(目的は別でしたが)。

実は、前の年から母が肉体的にも、精神的にも、少しずつ弱ってきていたので、一人での生活が無理になったとき(転んだりして動けなくなるなど)に行く場所の候補を一つ見つけておいたのです。

それは民間の老人養護施設で、それまで母はそこへ行くのはいやだと言っていました(これはここ数年私が悩んでいた、母の一人暮らしを止めさせたいという問題でした;第六の問題(これは想定外ではない))。それが、脳梗塞の回復にもよいかもしれないと分かり、直ぐに母を説得することにしました。主治医の先生同席で母にこれを勧めると、なんと簡単にこの施設に入ることに同意してくれました。

これで、第五の問題も解決しました。さらに、上記の、母についての数年来の課題(第六の問題が解決しそう)も解決の方向に進んだのでした(これはよい想定外)。


ちょっと脱線しましょう。

これって、かなり大事なことなのです。一つの問題の解決にぶつかり、その解決に苦労していても、いろいろ努力している過程で、自分が他の問題でいろいろ検討した、あるいは、してきていることと繋がってしまうことがあるのです。

これは偶然のことではありません。私がいろいろな問題の解決に、正直に、倦まず怠らず、努力していれば、このような繋がりになるのは不思議なことではありません。違う問題でも、同じ解決策が答えになる可能性がかなりあるのです。私の理工学研究でも、一つの問題の検討結果の一部が、もっと大きな、重要な問題の解決に繋がったことがありました。

では本文に戻りましょう。



このように、次にどうなるのかが分からない状態で、一つ一つ、新しい問題(想定外の)が現われるたびに、大勢の人達の助けを借りて、なんとか対処していくことができました。


無事に母が養護施設に転院できたときに、母の問題の再検討を行ないました。前より長い目で見た、新しい計画を立てました。計画は、母の最後にまで及ぶものでしたが、ここでは養護施設での部分のみを説明しましょう。

母の年齢で、このような施設に入った場合、施設としては、脳梗塞の回復だけでも進めば御(おん)の字なのだそうですが、私は、目標をさらに高くし、この施設に入ったことをチャンスと捉えて、

「母の状態(心と体の)を入院(脳梗塞治療の病院への)前より良いものにする」

としました。

つまり、この施設にいる間に、脳梗塞からの回復だけでなく、その前の母の一人暮らしの弊害(栄養の不足と認知症の始まり)も、なくしてしまいたいと考えました。

それまで母は頑なに施設に入るのを拒否していたのですが、想定外の脳梗塞のおかげで、ある意味では、否応もなしに、母はこの施設に入ることに同意してくれました。施設にいれば、栄養の改善も期待でき、施設での団体生活で受ける様々な刺激もあるので、精神状態の改善につながると考えました。

このようなことから、目的を高くして、「転禍為福」を狙ったのでした。

それから、ちょっと時間はかかりましたが、母は、施設になんとか慣れ、栄養状態も改善されただけでなく、施設の行事も楽しめるようになってきました。但し、まだ歩けないので、リハビリは続けていました。そして、移動は車椅子でした。

後から考えると、脳梗塞になってから、そのときどきはどうしていいか分からず、大変で、緊張していましたが、やったことは、ごく普通で、常識的なことでした。想定外のことが起きても、問題を小さなものの集まりと考え、それらが現われるとともに、一つ一つを注意深く解決していった結果、母の状態をかなりよいものに持ってくることができたのでした。

原発の場合のように全てを「想定外」のせいにすることはなく、問題から逃げずに、正直で素直に各々の新しい問題に立ち向かって、解決の経験がなくても、なんとか解決の方向へ状態を変化させていくことができたのです。

3300字


2. 原発の場合

さて、本題に入りましょう。こちらの方は、事故直後、「原発は自動的に停止できた」という発表から、事態(発表される)は次々と深刻なものとなり、結局、燃料棒が溶融し、圧力容器外に漏れてしまい(メルトダウン、メルトスルー)、さらに格納容器の外にまで放射性物質が漏れてしまいました。「五重の壁」で保護されていたはずの格納容器が壊れてしまったのでした。

この場合も、母の場合と同じように、新しい事実が分かってくるとともに、担当者の人達は次々と新しい対応に追われていったのです。

事故後の発表で、時間とともに、事故の規模は少しずつ大きいものになり、事故から約一か月後にはチェルノブイリ並みのレベル7にまで上がってしまいました(本当は2,3日後には分かっていたと思いますが)。

つまり、事故直後からの、東電や国の発表に、かなりの嘘、ごまかしや隠ぺいがあったと考えられます。

そして、大変な放射能汚染を大気中、海中と地下に広げてしまったのでした。

しかし、東電も、国も、事故を津波のせいにして、自分達の非を認めないのです。事故の責任を取ろうとしなかったのです。



(1) 想定外?の津波

40年以上前に原発を作ったとき、東北地方で、9世紀に巨大地震・津波があったことは分かっていました。

そして、そのときに、設計者の一人が、実際に、大津波のことを心配したのですが、上司がそんなことは考えなくてもいいと言い、心配を取り上げてくれませんでした(心配の妥当性については後述)。

具体的には、

「千年に一度の津波のことなど考えなくてもいい。」

と言ったのです。

つまり、想定はした(大津波があったことは知っていた)のですが、津波のことは考えなくていいと判断したのです。故意に、「想定外」にしてしまったのです。無視したという方が正確です。

さらに、その設計で原発を作るかどうかを決めるには、最終的には、国(原子力安全・保安院)による審査があるのですが、きちんとしたチェックもないままに、国もそれでいい(津波のことは考えなくていい)と認めてしまったのです。即ち、国も同罪です。

これらは極めて無責任で許せない行為です。原発を作った会社も、国も、東電も、大地震・津波の危険性があるのを知っていたのにも拘わらず、それを無視して原発を作ってしまったのです。その後も、都合の悪いことはできる限り隠し続け、必要な安全対策も、検討をしないままに放置してしまったのです。そして、40年後、大事故が起きてしまったのです。 

これらは極めて無責任で許せない行為です。国民の安全という大事なことに必要な「チェック機能」が全く欠けていたのです。



(2) 津波でなくても起こるようなことも全て津波のせいにした

普通なら、他の原発も含めて、これだけ長い期間の経験(原発の運転)があれば、大抵の問題は洗い出されているはずです。津波によらないとしても、他の原因により起こる、沢山の危険な現象(津波の影響でも起きるものも)が想定できたはずです。

停電

地震や津波が思ったより大きくなる可能性

地震に対する準備も不足している可能性

配管などの破損による放射能漏れ

冷却機能喪失の可能性

燃料棒溶融の可能性

圧力容器や格納容器の破損や漏れ

水素ガスの発生

原子炉(配管や付属設備を含む)の経時劣化

機械類が水をかぶる可能性

予想しない何かが起きたときの準備

などなど。

大きな津波は起きなかったにしても、神戸や中越で起きた、大きな地震のときに、いろいろな危険性も分かってきていたはずです。また、安全性のことを考えていれば、想定した(心配になった)はずです。

高架道路などで、地震に耐えられるはずのものが壊れてしまったり、構造物本体は大丈夫でも、配管のような付属物が壊れてしまったりすることも多かったと思います。停電になって、各種機能が失われてしまう例も沢山あったはずです。例えば、津波のことを考えなくても、全電源が使えなくなってしまう心配だってすることはできたのです。

いろいろな危険性について沢山の大事な知見が得られているはずなのに、多くの心配を考える必要がない(想定の必要なし)としてしまったのです。なんと、原子力安全委員会までこういうことをやっていたのです。心配しなかったのです(委員長など水素爆発のことを忘れていたみたいでした)。安全だと言い続けてきました、失敗(経験)から学んでいないのです。

その結果、大地震・津波が起きてしまい、あのような大事故になってしまったら、なんと、国も、東電も、ぬけぬけと、大津波は「想定外」であったと言い訳をしたのでした。

まとめると、

大津波が悪いのではありません。

大津波は起こるべくして起こったのです。いつ起こるかどうか分からなかっただけです。

それに目をつぶって原発を作ってしまった人間が悪いのです。

そして、危険な状態発生への備えを怠った人間が悪いのです。

その結果、事故が起きると、事故とは言わず、事象と言い、嘘、ごまかしと隠ぺいを駆使して、原発は安全だと言い続けてきたのです。

これは人災です。人間の問題です。

そもそも、原発を作る理由として、石油がなくなったときのエネルギー源として必要だと言ったのです。そして、原発は安くて、安全だと言ったのです。原発を導入することにより日本は世界の経済大国の一つになるとしていましたが、大事なことを言っていませんでした。

それは、原発を持つことにより、核保有国の仲間入りも目指していたことです。原発を持っていれば、原爆も作れるのです。今の段階で日本には44トンのプルトニウムがあり、5000個ぐらいの原爆を作れるのです。

つまり、経済的にも、軍事的にも、世界大国になりたかったのです。国民の安全を犠牲にしてまでも。

ですから、事故の収拾もできていないのに、もう再稼働を始める準備だけでなく、輸出までしようとしているのです。特に、輸出は悪質な行為です。国内での再稼働に対しては国民の反対が強いので、輸出なら日本から離れたところに作るということから、国民の反対が少ないと考えているのです。

今度は、日本の国民どころか世界の国民の安全まで考えない行為を始めようとしているのです。

そして、国内では、もう経済的にも不利になってきた原発をベース電源として位置づけ、ちっとも立ち上げられないでお金ばかり使っている、再処理工場ともんじゅ(高速増殖炉)までこれからも続けるとした閣議決定を通そうとしているのです。それだけでなく、再生可能エネルギーの促進をできれば遅くしようと企んでいるのです(補助金を毎年減らしたり、再生可能エネルギーを使いにくくしたりして)。

しかし、世界を見ている企業や国民は、太陽電池などの利用を着々と増やしていて、風力発電や地熱発電の検討も始まっています。国にその気がなくても、私達全員が少しずつでも原発以外のエネルギーの使用を増やし、電気の節約をすれば、国や電力会社の言う「原発の必要性」も意味がなくなっていくでしょう。

因みに、事故以来、原発が発電するはずだった電力の半分程度を私達(企業と家庭)は節約していたのです(東京新聞)。去年建てた我が家でも、東電から買うより沢山の電気を太陽電池で発電しています。[2014年記]

私達国民がもっと声を大きくして、国や東電に人災の責任を取らせ、原発を止める決心をさせようではありませんか。


11.2  千年に一度という確率は無視できない!
-大津波はいつ起きるか分からない!-


国も、東電も、大津波のことは考えなかった(無視することにした)ので、これがよくなかったのは当然です。大事故を起こしてしまい、対応が後手後手になったり、対応ができなかったりになってしまったのです。

これはとても残念なことです。素直で正直に、津波の危険性を感じていたら(大津波の確率の検討をしていたら)、この事故は回避できたか、被害を少なくできたかもしれないのです。それも、高校程度の確率の知識を使ってです(いや、過去に大津波があったということを知っただけでも、その心配をしなければならなかったのです)。

原発建設前に、千年あまり前に大きな地震・津波が起きていたという事実が知られていたのです(よく調べれば、2500年程度の間に4回大津波があったことも分かったでしょう)。

とりあえず、この事実(千年に一度の大津波として)から、ある一年に巨大地震・津波が起きる確率を1/1000としましょう。

しかし、上記のように、このことを心配した設計者(当然で、正しいことだと思います)に、上司は、これを無視しろと言ってしまったのです。

もし、これまで大津波の記録が全くなかったのなら、無視しろというのは一理あるかもしれません(但し、津波について、できる範囲での対策は考えておくべきですが)。

しかし、一度でも大津波が起きていたなら、これは原発の安全性にとって非常に大事な事実(危険性を示す)なのです。それを無視してしまったのです(検討に時間とお金がかかるから)。

でも、確率ゼロと1/1000では雲泥の差です。


この確率は、

「いつ起きるか分からないが、千年に一度の割合(ある年に起きたら次の年には起きないということにはならない)で巨大地震・津波が発生する。」

と解釈できます。

ですから、1/1000という確率は、千年に一回だけ起きるのではなく、「千年に一回は起きる」と言った方がいいのです。

このことから、今、それが起きる可能性がどのくらいあるか、千年もの間、巨大地震・津波の記録がないからといって今年起きない保証はあるのか、など、いろいろと心配になるのが技術者の常識です。

確率論というのは、このような、分からないことがあるときに、分からなさ(どのくらい分かっているか;確信の度合、信念の度合)を数学的に評価しようとする学問です。確信あるいは信念の度合が「確率」なのです(第3章参照)。

こういうことを考えるのは、問題解決のためにとても大事なことです。

これから考えてみたいのは、確率1/1000の意味です。

「千年に一度の割合でしか起きない」ということですが、これは小さい確率でしょうか、大きい確率でしょうか。

千年ごとに一度確実に起きるということではないのです。それだったら、一度起きれば、後、999年は起きないのです。

私は、感覚として、原発のような高い安全性を要求される場合には、危険な確率だと考えます。確率1/1000だと、この値こそ小さいのですが、毎年この確率が存在するのです。いつ起きるかは分からないのです。そして、ある時点から年が経つとともに、それまでの年数とともに、その間に少なくとも一回は起きるという確率が増えていくのです。但し、その年だけの確率は変わらない(1/1000)のですが。

これを、確率の検討により確かめてみましょう。

ある年に、巨大地震・津波が発生する確率を1/1000としましょう。

そうすると、その年に発生しない確率は、999/1000、つまり、99.9%になります。

そして、その年と次の年に発生しない確率は、0.999x0.999=0.998、99.8%になります。このようにして、1000年間、全く起きない確率は、0.999x0.999x・・・・と、千回掛け算すると求められます。

その値は、なんと、37%にまで下がってしまうのです。千年間に一度も起きない確率です。

そうすると、千年の間に、少なくとも一回、巨大地震・津波が起きる確率は、

100%(全ての場合、起きる場合と起きない場合)-37%(起きない場合)、

即ち、63% もあるのです!

もし、ここ千年に巨大地震・津波が起きていないとしても、大丈夫だと安心してしまうのは極めて危険です(起きているときも)。千年の間に少なくとも一回起きる確率が63%もあるからです。このことを知ったら、前より増して、大地震・津波が起きたときの心配をする必要があります。


実際に、事故前の段階では、既に、3千年に3回巨大津波があったことは分かっていた(調べれば)ようです。(事故後の調査の結果では、2500年の間に4回の大津波の痕跡が認められています。つまり、600年に一回程度起きていたことになります。)

そうすると、上の計算はまあ妥当(控えめ)だと言えます。つまり、当時(建設着手前)の一技術者の心配は正しかったということになります。

そして、実際に事故が起きてしまったのです。

一方、原子力推進派の推定では、

「確率論的リスク評価手法を用いて、わが国の原子力発電所における配管破断、機器故障の実績および人間の作業ミスなどの実情を基にして炉心損傷頻度を評価している。そして炉心損傷事故の頻度は炉・年あたり1×10-7(10のマイナス7乗)以下と評価されている(原子力システム研究懇話会、村主(すぐり)進(2005))。」
です。

なんと、1/10000000(1千万分の1)にしかなりません。勿論、津波のことなど考えられていません。津波のことなど考えたくなかったのです。なんという不誠実さではありませんか。

これらのことから分かるように、確率とは、考える人によって変わるのです。また、同じ人でも知識の度合によって変わってくるのです。

つまり、確率とは物理定数のようなものではないのです。上の、巨大地震・津波の確率は、原発設計時1/1000でも、今は1/600程度になるのです。

前述のように、原発を作る前に、一人の設計者がこの巨大地震・津波のことを心配したのでした。ところが、千年に一回のことなど考えなくてもいい、と上司に一蹴されてしまったのです。結局、福島第一原発は、過去約100年間の地震・津波のこと程度しか考えないで(本当の危険性を想定しないで)、作られてしまいました。

さらに、国のチェックも全くいい加減な状態で原発は作られてしまって、40年も運転し続けてきたのです。そして、国も、東電も、原発は安全だと言い続けてきました。(それも自分達で嘘をついただけでなく、広告のプロに高額のお金を払って宣伝させたのです。嘘、ごまかしと隠ぺいを駆使してです。これを行なった広告代理店(電通、博報堂など)にも大きな責任があります。)

しかし、嘘をついても、つかなくても、巨大地震・津波は、起きるときには起きてしまうのです。そして、今回の大変な事故につながってしまったのでした。

実際には、建設時から相当危険な状態にあったわけですが、運よく、大きな事故には至らないで、2011年まで来てしまいました。沢山の嘘、ごまかしや隠ぺいの割には、原発の運転という意味では、東電は思ったよりしっかりやってきたことになります。その大きな部分は、危険な現場で実際に作業をする下請けの人達のおかげです。

私がとても残念だと思うのは、40年以上も運転を続け、いろいろな事故や不具合を経験しているのに、なにか起きそうになった(原因が津波でなくても)ときの対応に、それらの経験を生かすことができなかった(失敗から学ぼうとしなかった)ことです。嘘をついたり、ごまかしたり、隠したりしたため、事故や不具合の解析と対策の検討が著しく不十分になってしまいました。

普通だったら、小さい問題が起きるたびに、一つずつ原因を解析し、そういうことが起きないような対策を考えていくのです。こういうことの積み重ねにより、原発の安全性が高まっていくのです。

さらに、その都度、これらに関係づけて、まだ起きていない、いろいろな危ない場面(地震とか津波など)を想定すれば、それぞれの場合にどう対処するかも分かってくるはずです。そして、原発による発電技術の確立につながっていくはずなのです。

また、国も電力会社も、アメリカやロシアで原発事故が起きても、状況が違うとか、わが国の技術では起こりえないとか言い、自分達の原発の再点検や再検討を本気で行なわなかったのです。

実際には、事故に対する対応をきちんと考えようとせず、絶対安全だと言い続けているうちに、巨大地震・津波が起き、全電源停止になってしまい、対応が後手後手になっているうちに、今回のような大事故になってしまったのです。そして、起きたときにどうするかを決めてもいなかったのです。

それまで、不良率が低いことが誇りだった日本の製品の信用を一気に失墜させてしまったのでした。


最後に、原発の安全性を上げる(安全にできる確率を上げる検討)ために考えるべき重要なことを挙げましょう。

☆目標の第一が安全性だということをきちんと認識する(原発をなにがなんでも作り、運転することではなく)。
☆誠実で正直になる。
☆危険をもたらす可能性がある要因を洗い出す。多くの、小さい失敗の解析、対策検討の過程で分かってくるのです。
☆新しい事実(証拠)が得られたら、それを吟味してから、次にやることを見直す(安全の確率も変わる;試行錯誤法)。
☆沢山の失敗を経験すると、自分のやっていることの良し悪しが分かってくる(チェック機能)。
☆悪かったときは、対策を考える(安全の確率を高くする)。


11.3 そして、事故は起きてしまった!
-安全だと言い張った原発で-

2011年3月11日の事故が起きるまで、恥ずかしながら、私には、原発がこんなに危険な状態にあったことは分かっていませんでした。地震大国の日本ですから、それなりの対策を講じていると思っていました。

福島原発建設が認可されるまでのいきさつや建設後の運転や定期検査のやり方、大量の使用済み燃料を原発に付属したプール(水の中に漬けてあった)に保管していた(原子炉内の燃料は五重の壁で保護されていても)ことなど、なにも知りませんでした。

私は、聞かれれば、放射性廃棄物の保管場所がないということで、原発は好ましくないと言っていましたが、積極的に反対行動に出たことはありませんでした。そして、知らないうちに、私自身も、原発の電気の恩恵を受けて、昔と比べ、ずい分贅沢な生活をするようになっていました。

一方、世界では、チェルノブイリ事故以後、原発は減る方向でしたが、2000年代には、地球温暖化防止対策が必要とされ、CO2排出が一番悪いとされるようになってしまいました(原発推進派の策略?)。

そうすると、発電時(でも、全ての段階では、CO2も沢山出しているし、温暖化のための熱も沢山出しています)にはCO2排出が少ない原発がまた注目されるようになりました。原発が大量の発熱源である(温暖化に寄与する)にも拘わらず、です。

ということで、わが国でも、CO2削減という名目で、原発推進派が元気になり、国内の原発の数をもっと増やすだけでなく、「わが国の優秀な原発技術」を海外に輸出する計画が進んでいました。実際に、事故直前に、原発ルネサンスの会という組織がこの目的で発足していました(元東大総長の有馬氏が代表)。(そして、その後も、この人が安倍首相にこの趣旨の提言をしました。)


しかし、2011年3月11日に、東北、関東地方で、巨大地震、津波が発生してしまったのです。福島第一原発の1-3号機は自動停止できたという発表の後、事態は次々と悪化して、結局は、長時間の停電により冷却機能が失われてしまい、これら3基の燃料棒が溶融し、圧力容器も、格納容器も(配管の可能性もある)破損して(4号機に燃料棒は入っていませんでしたが爆発が起きました)、大量の放射能漏れを起こしてしまいました。その詳細は未だに不明です。さらに、各原発の燃料プールに保存してあった使用済み燃料(私は今回の事故で初めて知った)の冷却まで心配な状態になったのでした。

初めは大した事故でないような発表(12日にはレベル4)でしたが、それがレベル5(15日)になり、結局、一ヶ月後になって、チェルノブイリ並みのレベル7の大事故になったことを認める発表がありました。(このように、事故後の発表でも、嘘、ごまかしや隠ぺいが多かったのです。)

因みに、放出された放射能は、広島原爆168個分(まだ増えている)(チェルノブイリは66個分)だそうです。

外部からの放水、原子炉の漏れ、雨や地下水により、1-4号機にはまだ(2011年11月)8万トンぐらいの汚染水が残っています。そして、大気中に、地下に、海へ、大量の放射性物質が放出されてしまい、放出され続けています。

原発周辺30km程度の人達は避難を余儀なくされて、大気汚染は関東にまで200km以上も広がって、人間の内部汚染(体内に取り込まれている部分)、農作物、家畜、魚、土、草木などの汚染も広い地域で認められています。

この事故は、大地震・津波のよって触発されたものです。しかし、安全だと大宣伝してきた、「五重の防御の壁」があったにも関わらず、人間が、このような大きな事故にしてしまったことがとても残念です。レベル7というチェルノブイリ並みの被害が起きてしまったのには、人間の嘘つき、怠慢、過失や不作為などの要因があったことを否めません。

国も電力会社も、運転中の事故や不具合が発覚しない限り隠し、発覚しても、できる限り小さく見せようとしました。そして、原発は安全だと、莫大な費用をかけて、宣伝し続けました。それ(わが国の原発はアメリカやロシアのものより安全だと言い張ったのです)を理由に、必要な安全対策を怠ってきたのです。

しかし、大事故は起きてしまいました。そうすると、今度は、事故は想定外の大津波により起きたものだと主張したのです。それで反省もしていないのです。

ですから、責任も取ろうとしないのです。

本当なら、告訴され、裁判にかけられるような行為です。即ち、人災です。

結局、国と電力会社は、今、ほとぼりが冷めるのを待っているのです。国民が原発の恐ろしさを忘れてきたら再稼働を図ろうと、準備しているのです。[原発反対1000万人の署名運動でも、3年目になると署名数がなかなか増えなくなっています。3月13日の集計で840万人です(2014)。http://sayonara-nukes.org参照。その一年後でも848万人。]

一方、原発の輸出については、かなりあからさまに、輸出の計画を進めています。他の国に作るなら、国民がそうむきになって反対しないだろうと読んでいるのです。

実際に、私が原発輸出反対の署名運動を始めると発表しても、賛同者がとても少ないのです。

国、電力会社など、原発推進派のやってきた悪事を忘れないで下さい。津波が想定外だったという言い訳を認めないで下さい。

事故の原因究明が終わり、事故の収拾の目途がつき、使用済み燃料棒の保管法(今のやり方では危険)や、放射性廃棄物の捨て方や保管の仕方を決めるまで、原発の再稼働や輸出のことは考えてはいけません。

再処理工場やもんじゅは、現段階では止めるしかありません。原発を続けることは、経済的に成り立たなくなっています。国の借金がこのままでは増えるばかりです。

国が原発を止める決心さえすれば、新しい仕事の種はいくらでもできてきます。国がまず変わる決心をするのです。そうすると、企業や学界、それに国民も変わってくるのです。

今は、国よりも、一部の国民や企業の方が真剣になって変わろうとしているのかもしれません。もう時代も変わってしまったのです。今までのような経済成長と原爆を作る技術にしがみついている場合ではないのです。


話を先まで進めてしまいましたが、本節をまとめると、

1.福島原発の大事故は起こるべくして起きてしまったのです。前節の結果より正確に推定すると、分かった事実から、一年の間に起きる確率は4/2500=0.0016です。貞観の巨大地震・津波が起きた869年からか事故が起きた2011年まで1142年間の間に、このような大地震・大津波が起きない確率は、0.9984の1142乗で、16%にしかなりません。つまり、この期間に、少なくとも一回は起きる確率が84%にもなります。そして、事実として、大地震・津波が起きてしまいました。

2.事実として、国も東京電力も、巨大地震・津波を考えなくてもよいと判断してしまいました。

3.事実として、国も東京電力も、原発を作ってから、事故や不具合が起きても、嘘、ごまかしと隠ぺいを重ね、事故が起こらなかった、あるいは、起きて小さかったと国民に思わせるように工作してきたのでした。そして、安全対策が必要だと指摘されても、安全だと言い張り、十分な対策を講じませんでした。それどころか、沢山のお金を使い、原発が安全であるという嘘の宣伝を続けたのです。

4.こういう状況で、この事故が起きてしまったのです。しかも、国も東京電力も、そのための備えが著しく不十分でした。その結果、一度は運転を止められたものの、停電で、冷却ができなくなり、燃料が熔け、格納容器から熔けだすという大事故になってしまいました。結局、チェルノブイリ並みのレベル7になってしまいました。


現在(2014年)は、注水により冷やしていればなんとか安定な状態になっていますが、それにより作られる大量の汚染水に悩まされ、原子炉の中の状態や原子炉の破損状態もよく分からないのです。

振り返ってみると、これは起きるべくして起きてしまったことで、全部ご破算にし、過去は忘れて、やり直せればいいのですが、もはや、それはできません。大変でも、事故の収拾に立ち向かっていかなければいけません。


これも縁なのです。

疚(やま)しい意向を持った推進派の人達が進めてしまったことで、このままでは、血迷った彼等は原発を再稼働させ、輸出までしようとしています。

私達国民はこれまで彼等に騙され続けてきましたが、今回の事故で、この国の実状がずい分分かってきました。私達ではどうすることもできないと思い、諦めてはいけません。

大変な状態にあるというのは、ある意味ではチャンスなのです。今、どういう状態にあるのかをまず認識して下さい。

一見、安倍首相のお蔭で景気は回復してきたように見えますが、実際は心配だらけです。賃上げだなど浮かれていますが、一般庶民の生活はむしろ苦しくなっているのです。消費税を上げても、名目通り福祉に使われるお金は少ないのです。国は必要なところへ行かないお金をばらまいて、ゼネコンを喜ばせているのです。国の借金は増えています。株価が上がっても、外国人投機家が儲ける分が多いのです。彼等は株価が上がっても下がっても儲けているのです。

原発事故を収束させることができるのかどうかも心配です。国が原発にしがみつこうとしているのも許せません。廃棄物処理や保管法も分かっていません。それなのに、再稼働させ、輸出までしようとしています。

私達も大変です。リストラで職を探している人が沢山います。各種値上げで生活は大変です。しかし、給料が増える人は少数派だと思います。保育所や特別養護老人ホームの空きを待つ人も増えています。

ですから、国が状況を変えてくれると思い込むのは危険です。この国は、国民の安全と安心を第一に考えていないのです。ですから、受け身になっていてはいけません。

上で述べたように、大変な時期はいいチャンスでもあるのです。「転禍為福」のために、私達自身がまず変わっていきましょう。まんずやってみれ!です。

変わる決心が必要なのです。国を変えるために、私達も変わらなければならないのです。

国のやることにもっと関心を持ちましょう。もっと疑いましょう。私達の意見をもっと言いましょう。悪いことには、もっと怒りましょう。もっと投票しましょう。議員さん達にもっと働いてもらいましょう。無駄遣いをしないように、よく監視しましょう。

手始めとして、原発を減らしていきたい、という意思をまずはっきりと示しましょう。それを言うだけでなく、私達も原発の電気を少しでも使わないようにしましょう。(原発事故以来、私達の家庭と企業で、原発が発電するはずの電気の半分を既に節約していたのです!なお、これ(節約)には、実際に電気の使用量を減らすのではなく、電気を使って作った製品の購入を減らしてもいいのです。つまり、生活をより質素にしてもいいのです。勿論、テレビを見ないとか、大型テレビを買わないというのもOKです。)

原発が経済的に成り立たないことをもっと認識して下さい。発電するために使うエネルギーの2/3は海水や空気を温めているのです。また、原発が発電しすぎて余った電力を揚水発電に使い、消費して、 さらに30%のエネルギーを損しているのです。この発電所は本当なら原発の一部なのに、水力発電に「分類」されているのです。そして、稼働率も低いのです。原発は、発電そのもの以外に大変なお金がかかっているのです。国の税金の助けなしではやっていけないのです。そして、この事業に沢山の企業、政治家、役人、「学者?」、団体、マスコミ、広告代理店などがお金のためにぶら下がっているのです。

とにかく、原発の謳い文句の、「石油がなくなったときのために」も、「安くて安全」というのも、真っ赤な嘘です。

原発から離れたいという兆しは、私達国民だけでなく、かなりの企業でももう見られています。石油会社を含む、多くの会社が再生可能エネルギー関連の事業に参入しています。

太陽光だけでなく、風力、地熱、バイオマスなど、やる気になれば、新しい事業にできます。火力発電でもやることは沢山あります。

また、「原発を止める」というところにも、新しい事業の可能性が沢山あります。原発を止めるということは、原子力の研究を止めるということではないのです。むしろ、増やさなければなりません。つまり、原子力(放射能)の制御技術がまだ大いに不足しているのです。事故の収拾、廃炉作業や廃棄物処理や保管法など、研究すべきことは山積みされています。こういうところにお金を沢山つぎ込む必要があります。

遠い将来になるかもしれませんが、もっと安心して原発が使える時代が来るかもしれません。

約15000字2011-2014年記


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