私の問題解決の考え方 第15章

第15章 終わりに
  



実は、2010年頃、論文執筆は終わりに近づいていたのですが、この年は、91歳になった母が脳梗塞になり入院するという想定外の事件があったのです。

この問題への対応に全力を尽くし、事態がよい方向へ向かってきたので、この問題も論文に加え、論文をまとめようと考えました。

しかし、今度は、2011年3月に、東北の大震災で、福島の原発事故が起きてしまったのです。大きな衝撃を受けた私は、いろいろと調査し、勉強し、考えました。そして、原発は始めるべきではなかったという結論に達し、反対運動に協力をし、私自身もやるべきと考えたことを行動に移しました。

そこで、この過程も論文に含めようと思い、その章の執筆も始めました。ところが、国は責任を取るどころか、全てを想定外の津波のせいにして、それどころか、事故の収拾もできないのです。

さらに、次の年になり、なんと、母にガンが見つかり、あれよあれよという間に亡くなってしまいました。

それどころか、その年の暮れには、原発推進派の安倍政権が成立してしまい、原発の再稼働を推進するばかりか、原発の輸出までしようとし始めたのです。

つまり、母の問題では問題解決ならず。失敗です。また、原発の問題でも、解決の見通しなしです。

これでは、論文を終わらせることができないではありませんか。

そのとき、不思議な縁で、その年(2012)の後半に、私は栃木に家を建てる決心をしました。しかし、こっちの希望さえきちんと伝えれば私の家ができると思い込んでいたのが誤算でした。契約するまで有能だと思った営業担当者のやる気が契約後著しく低下してしまいました。

このままだったら、私の希望の家ができません。そうしたら、それまで今一つだった私のやる気が急に出てきました。

それから約6ヶ月、この営業のTさんを私は徹底的にしごいて、良い家を建てるために、彼に頑張ってもらいました。その効あって、1日遅れで完成させることができました。

ささやかですが、目標は達成できたので、これを論文の締めにして、一方、全体的には、私の研究生活が不思議な「縁」の連続によるものであったことを説明し、この論文をまとめることにしました。


勿論、上記の三つの新しい問題では、私の考え方を駆使して、できるかぎり頑張りました。私の問題として。しかし、そのうち、一つは失敗、もう一つの解決の見通しは暗いです。


最後に、私の考え方の要点をもう一度まとめて、この論文をお終いにしましょう。


私の問題解決の考え方とは、


1.まず始めることです。「まんずやってみれ!」です。

  始めなければ解決できません。

2.基本は失敗から学ぶことです。 「チェック機能」付き試行錯誤法です。

  ここで、チェック機能とは、

  やっていることの良し悪しを判定できるようになること。

  悪かった場合、その対策を講じられるようになること。

 (なお、良し悪しとは目標に照らし合わせて評価すること。)



それから、問題を解決するきに、私が常に頭においておくことは、

☆世の中には、できないことや分からないことが沢山ある。

☆考えるのは、行動しながら。早い段階では、あまり仮説を立てない。

☆思い込みを最小限に。

☆失敗も目標達成のための「大事な証拠(事実)」の一つ。

☆初めは、思いつくままに、いろいろ試す。遊び心を大切に。面白いことを探す。

☆いろいろなことに興味を持つ。人の話をよく聴く。質問する。

☆自分の研究をいつも話題にする。

☆素直で正直に。

☆感情を素直に表わし、研究に反映させる。喜びも、悔しさも、怒りも、頭の働きを活発にする。

☆今手がけている研究を「自分の問題」にする。

☆解決のため倦まず怠らず頑張る。

☆自分で考えて、判断、行動する。

☆自分の意思と能力だけでは解決できないことがかなりある。

☆自分では制御できない要因、「縁」の影響を無視できない。

☆問題解決には、「縁」の影響を認識した上で、自分の最善を尽くす。

☆驕らない。科学の力を過信しない。

☆足るを知る。

☆人間、死んだらお終い。健康には自分で気を付けましょう。

☆人間の問題は難しい・・・人災

☆人を変えるには、まず自分が変わろう(自分の意思で)!

☆転禍為福・・・駄目だと思うときが発想を変えるいいチャンス!

☆難しい決断は一晩寝てから。

☆自然の流れを無視しない・・・急がば回れ、でも自分を見失わない。

☆自分の研究を長い目で見よう。中断しても、忘れない。




一方、原発事故のような問題では、人間の考え方や行動が大きな要因となっています。国は、一般国民にとって危険な原発を強引に建設し、運転し続けさせたのです。国の経済力と武力を向上させ、世界大国の仲間入りを実現させるためです。

こういう考え方をする人間には、私達庶民が危険な原発を止めてくれと言っても、全く通じないのです。自分達の目的のためには、嘘、ごまかしと隠ぺいも辞さないのです。国民の為だと称し、こういうことをやるのは、正に、文字「偽」そのものです。

彼等に対しては、私達が理屈と証拠を示し、行動を改めさせようとしても、効果がないのです。彼等は力もお金も持っています。国民のお金を自由に使っています。

一方、国民にも、このようなことを甘受するというか、許す体質が埋め込まれてしまっていると言えます。


私達はこのような大変な状況にあるのです。このままの状態がずるずる続いたら、私達の子孫にまで大変な負担をかけることになります。ですから、こういうときには大英断が必要なのです、大原発事故のショックで目覚めて、私は変わらなければなりません。

私の問題解決の中でも沢山あったように、「転禍為福」(禍いを転じて福と為す)です。

そういうチャンスなのですが、国として決断しないのです。原発にしがみつくやり方を続けようとしています。「それしかない」など言っている場合ではありません。

彼等に自らを改めさせるのは難しいですが、彼等の間違った行動を止めるには、「私達が変わる」という手があります。まず、私達が電気の消費を減らし、より慎ましい生活に戻りましょう。原発以外の電気にもっと頼りましょう。原発が不要で、お金がかかり、危険であることを分からせましょう。

私達の社会を、「人間」同士の誠実な付き合いができるようなものにしましょう。そういう人間同士なら、安全な社会を第一に考えるようになるでしょう。互いに理解し合え、相手のことを考えて、意見が言い合えるようにしたいです。相手が不誠実なことをやっているとき、率直に指摘し、それを直させるようにしたいです。嘘、ごまかしと隠ぺいを許さない社会にするのです。

私達庶民が強くそう思うようになり、国のやり方をきちんとチェックし、私達の考えや意思をはっきりと示せば、彼等も改めざるを得なくなるでしょう。(ただ、私のとって残念だと思うのは、わが国民は2012年から2回の選挙で自民党を勝たせてしまったことです。そして、投票率がとても低かったことです(2014年では前より低く約53%)。)

そのためには、まず私達が互いに人間としての付き合いができるようになり、原発事故や今の日本のことを「自分の問題」(実際にそうなのです)として話し合い、考えるようになることです。そして、経済第一の裕福、贅沢で無駄の多い社会ではなく、より慎ましい、安全で安心できる社会を目指しましょう。世界大国の仲間入りではなくて、日本独自のやり方で、より質素で慎ましく、より安全な人間的な暮らしに向かって、必死で頑張ろうではありませんか。

そうするには、初めは、前より苦しい状態になりますが、私達日本人には、それを乗り越える力を持っていると考えます。

それには、まず、原発を止める決心をすることです。まんずやってみれ!です。

それが、上記の新しい方向へ進む駆動力になるのです。これまでのでれでれした、生ぬるい裕福さではなく、思い切った変化に向け、緊張感を持って、日本人の知恵と器用さを100%以上利用して行こうではありませんか。


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