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風狂夜話2

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2008年04月14日
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吉本隆明は小林秀雄の「本居宣長」を厳しく批判する。

本居宣長の「源氏物語」論は、

平安時代の儒教公威の宮廷文化の中で、婦女子の慰み物として書かれていた

のであるが、深く人間の心の動きを捉えているのだろうと源氏その人に驚き

とともに称賛されていたを「物のあわれ」説で見事に展開している。

それは当時の貴族や官僚の儒仏の教養主義を排し、源氏物語の文学的達成

を寿ぐものであった。

小林秀雄の追認もよくととのっている。

しかし宣長が師とする賀茂真淵に出会い、「物のあわれ」からすすんで、

「まことの道」を「古事記」に探ろうとするあたりで、小林秀雄の宿阿が

再発したと吉本は言う。

自分の経験に還元できる思想だけが思想だ、伝統生活の是認、体認に回帰

する思想だけが不易の実理だという主張が繰り返しあらわれてくる。

またそれは宣長の「漢意」を排する説と「大和魂」の強調を裏付けるものである。

吉本は宣長の「大和魂」は日本固有ではなく、さらに「万邦無比」などではなく、

ゲルマンの森林にもラテンの海にも、ポリネシアの島にもありうる全て未開の

自然宗教の遺制のあるところ人類が体験した感性と思惟に過ぎないものであると

言う。現実の学問的達成はもはや宣長の知る世界を超えているのである。

小林が天武天皇の修史の必要を感じていたことに触れて書いている。

「天武朝の新政策にしても、基本的には、動乱によって動揺した氏姓の

権威の始末という実際問題の上に立つものだったであろう。天皇は、この

機会に、国家の統治者として、又これと離せなかった氏族宗教の司祭として

皇室の神聖な系譜とこれを廻る諸家の、その氏神にまで遡る出自の物語を、

改めて制定し、その権威の確認を求めた。国民の側に、これを疑わしく思う

理由が存しなかったのは、物語の経緯をなすものが、先ず大体、自分等に

親しい古伝承の上に立つものだったからであろう。」と。

この記述に吉本は苛立ち、烈しくかみつく。

「天武朝の『国民』が、『古事記』に召上げられた形での古伝承などには

ほとんど無関係で無関心であったことなど、ごく普通の常識的な直観さえ

あれば、すぐに判るはずである。」と。

「わたしは宣長にも、それに追従し『訓詁』する小林にも哀しい盲点をみ

つけだす。日本の学問、芸術がついにすわりよく落ち着いた果てにいつも

陥るあの普遍的な迷蒙の場所を感ずる。そこは抽象・論理・原理を確立す

ることのおそろしさに対する無知と軽蔑が眠っている墓地である。」

「宣長のように『空理』を否定するものは、ほんとうは創造を否定する

ことにほかならない。手触り、舌触り、眼触りによって経験される触知の

世界はやがて、老いて肉体の自然が衰えたときはっきりと衰弱してゆく。」

つまり吉本は小林の戦時から、戦後の思想的到達の衰弱を指摘し、その『無化』

をひそかに企図するモチーフについて烈しく抗議する。











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最終更新日  2008年04月15日 06時26分42秒
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