650832 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

いずみのほとり

いずみのほとり

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Freepage List

Favorite Blog

インナーセルフ、コ… たんたん4531さん

『33』の扉  tomoko*6*さん
ツタエの宇宙集会 ツタエ2007さん
地球とハネムーン kibi1965さん
「 開かれし扉 」 ルイ ブランさん

Category

2008年12月08日
XML
カテゴリ:気付き・想ひ
ネットワーク『地球村』の会員に送られてくる「地球村通信」の2008年12月号に、
会員の方からの「声」が載っていました。

印象的だったので以下コピペします。


*********************************


『幸せのコツ』
               千葉県  佐藤寛子

ある心理カウンセラーに聞いた話を紹介します。

人は、「自分が認められる」「ほめてもらえる」「評価してもらえる」
というところに焦点を合わせていると、ほめてもらえなかったり、
思うような評価がもらえないと思うたびに、がっかりしたり、
落ち込んだりして、ネガティブな気持ちになってしまうそうです。

ところが、逆に、人のいいところに気づいて伝えたりして、
その相手が喜んでくれると、その様子を見て、自分もうれしくなるのです。

冬の寒い新潟でのワークショップ会場でのこと。

講師が会場にいた参加者に2人ずつ組んでもらい、
「互いに今までの印象で、相手のいいなあと思うところを3つずつ伝え合いましょう」
というワークをやりました。
すると、交代してお互いに伝え合った後には、
会場の熱気で参加者のメガネがくもるほど温度が上がり、
窓を開けるほどの熱気だったというのです。

つまり、「いいところを伝えられた人」が嬉しかったのはもちろんですが、
それを見た「伝えた人」も、相手が喜ぶのを見て嬉しくなり、
体温が一気に上がったのです。
私たちは、相手を喜ばせることが出来ると、幸せを感じ、体温が上がる生き物なのです。

自分がどう思われるのかを考えて過ごすよりも、
相手のいいところを探して伝える方が、幸せを感じられる。
それとは反対に、相手をへこませたり、欠点を指摘したり、悪口を言うことなどが、
どれだけの悪影響を、相手にも自分自身にも与えてしまうかなど、
想像すると怖ろしくなります。

私たちには選択の自由があります。あなたはどちらを選びますか。


***********************************


先日自分が書いた「polite」のことを更に考えていて、
逆に改めて自分の「乱暴さ」を顧みてすごく反省していました。

恥ずかしながら依然として職場でも、トロトロしている新人になかなか寛容になれず
つい内心狂暴な思いを( ̄▽ ̄:) 抱いてしまったり、
そんな私だからこそ逆に、
自分に落ち度がある時など他人から批判されることに極度に脅えてしまったり、
まだまだなかなか不安定なんですよね。

なんか毎年12月くらいには「慈悲」とか「寛容」とかについて考えてる気がするなぁ・・。

やっぱりクリスマスだからでしょうかねぇ。きっとそうですね。

キリスト意識があまねく降り注ぐ季節だからなんでしょうね。







これもまた、自分の中で「polite」と「乱暴さ」のせめぎ合いの話なんですが。

例えば。(ものすごくちっさい話ですが)
電車の中で隣りの他人が寝ちゃって寄りかかってくることってあるでしょ。

そういう時ってどうなんでしょう?


私は、他人の体重を支えるのが物理的にも精神衛生的にも無理なので、
片方の手の平をその人の二の腕辺りに「しっかりと」当てがって、
「よっこらしょう」としっかり押し返します( ̄ー ̄)←非常に狭量な態度

寄りかかってくるたびに、何度でも押し返します。←意固地なまでに狭量
さりげなく、ではなく、しっかりときちんと「誰の目にもわかるように」、押し返します。

そして、私が寝る時は、完全に前に丸まることで、
両側の誰にも迷惑をかけないように寝るという技を習得しています( ̄ー ̄)←独りよがり


世の中にはまったく開けっぴろげに無防備に
寄りかかったり寄りかかられたりを「当然のこと」のごとく受け入れている人達がいますよね。

私にはその開けっぴろげさがありません。
やはり寛容さに欠けるのかもしれません。
でも「なんでもかんでも寄りかかられること」を受け入れられないのです。

Give&Takeの精神はキライです。勝手にそのルールに私を入れないで欲しい。
Give&Giveにしてほしいです。

「私は好きな時に好きなだけGive&Giveするから、
あなた(世界)も好きな時に好きなだけ勝手にGive&Giveしてね。」

そう、世界に言いたいです。


電車の中でのひとコマは象徴で、これは人間関係にも当てはまるかも。

無防備になんでもかんでも開けっぴろげにされて、
寄りかかられることを私は決して受け入れられません。


「こないだ優しくしてあげたでしょ、今日は機嫌悪いから意地悪させてね」

みたいなのは(極端な表現ですが)キライです。←好きな人はいまい。でも受け入れる人はいる。
私は受け入れません。

7才の時のことが尾を引いているのかもしれませんね。

多分、他人の身勝手な心地良さために私の心地良さ(スペース)を侵されるのが
我慢できないのです。

自分の存在を妙にアピール(認めさせようと)してくる人も苦手です。
私には誰にも侵略されない私のスペースが完全に必要なんです。←誰でもそう?
(これこそ「鎖国ハート」?)

でも、そんなことを言ってたら、
「私の」心地よい生活の為に、結果貧しさや過酷な労働を強いられている後進国の人々や、
戦争の為にありとあらゆる心地よさを侵され奪われている何十万という人々に、
顔向けできませんね。

私はほんとーに、ちーさい人間です。



でもこんな私の態度・・それは時に、他人に「polite 」な態度ではないかもしれない。
でも、自分に対して「polite」な態度ではないか?と思ってるフシもあります。

まだはっきりわからない、ホント模索中なんだけど・・・。


模索中だけあって、なんともまとまりのない文章ですが、今日はこれにておしまいっ。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008年12月09日 01時03分23秒
[気付き・想ひ] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.