ヤルダバオトの誕生
父神への憧れからソフィアが処女懐胎的に造り出した存在である。女性原理のみからの創造ということに注目されたい。
その本態を認識無能な父を、自らの憧憬のみで再現しようとした結果が不完全な造物主ヤルダバオトである。しばしばデミウルゴスとも呼ばれるが、これはギリシア語で職人といういみでありただ「つくりだしたこと」を意味している。旧約聖書冒頭のアダムの誕生がこの「つくりだす」と対比させられる。――「神は霊、心魂、肉体においてアダムを創造した」(アダム三重の創造)
ヤルダバオトの外観と本性
かれは本来の神からは全くかけ離れており、その属性や性質に何ら同義性を視ることは出来ない。「人間(神)」が非物質で構成され知的能力によっても認識不可能であるのに対し、ヤルダバオトは火と霊を本性とし(この時点でギリシア的コスモス観の逆転がみられる)、その姿は獅子と毒蛇である。(ズルヴァンの姿)
しかしながら、ヤルダバオトは物質世界の秩序とは異なる摂理の存在でもある。
ソフィアとの両義性
いささか奇妙な副題と感じ取れるだろうが、グノーシスの世界観では怪物は二面性があり毒蛇と処女の肉体を持つという。グノーシスに於いてもエロスとプシケの挿話がみられ、エロス(=ここでは神)を一目見たプシケ(=ここではソフィア)は自らの力で己の半身としてのエロスを造り出す(=処女懐胎)。半分のエロスは不完全ではあるが非常に魅力的でソフィア自身どころが神々さえも魅了してしまう。このエロスは気紛れで悪戯な性格であるという。
ヤルダバオトと七
物質世界を取り巻く天球の数とも呼応するように、ヤルダバオトは七と言う数字と関連が深い。(例えばヘプマドスという呼称もそうである)天球を支配するアルコーンたちは一般的にはユダヤの神の諸々の別称で呼ばれるが、そのモデルはバビロニアの天の神アヌが造り出した七柱の荒ぶる神で個々の名はなく動物的であり、まとめてシビットゥ(七の意)と呼ばれる。
また怪物との共通点を先項で指摘したが、この点で迷宮との共通点がみられる。迷宮とは天井が無く(だかろこそダイダロスは空から脱出したのだ)必ず中心があり、通路は一本道でその行程は七たび中心に近付きまた離れるということを繰り返す。そして迷宮の中心には怪物が棲む……と、いうわけである。
原人との闘い
さてヤルダバオトが創造された頃、彼に対抗する力として神の側が独自につくりだしたのが原人(原人アダム)あるいはキリストである。ただ、キリスト教的なイメージにとらわれた後者よりもより判りやすい前者をここでは採用したい。
傲り高ぶったヤルダバオトは神の棲むプレーローマー(充足)を侵略し、神になりかわらんとして神に闘いを挑む。神の勢力はヤルダバオトと彼の七人のアルコーンたちと闘い続けたが、その戦果は思わしくなく、決定打として造り出されたのが神の似姿である原人である。
原人とヤルダバオトは激しく闘うが結局原人は敗北し、五体を切り裂かれそれを物質世界に撒く。(これが人間の内部に神の霊性が宿る根拠でもある)
ソフィアの堕落
プレーローマーを蹂躙したヤルダバオトは神々を駆逐し(しかしその霊性は皮肉にもかれの手による人類に散逸してしまっているのだ)、自らを造り出したソフィアを人間の肉体に押し込め(アカモート或いは下なるソフィア)彼女を姦淫の業に就かせた。この下のソフィアは黙示録の緋色の女とも同一視される。
炎の天使と死の誕生
ソフィアの娘ゾエーが造り出した「炎の天使」がヤルダバオトを縛り、監視している。(存在に先立つ女性原理が、ここで暗に示唆されている) ヤルダバオトの造り出したアルコーンの一柱であるサバオトはこの天使の存在に気がつき、更にソフィアとゾエーに気がつく。彼は改悛してコスモスを忌み嫌ったので、ソフィアはサバオトを七つの天球の上の玉座に据える。 これを見たヤルダバオトは嫉妬し、そのとき「死」が生まれた。「死」は瞬く間に増えコスモスに満ちあふれた。
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