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ゲミュートリッヒな暮らし~Seit 2005

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トルコ記念館を訪ねて~和歌山県串本町

★サイトマップ&ご案内

  和歌山県串本町~トルコ記念館を訪ねて



★日本・トルコ友好の始まりは「エルトゥールル号遭難事件」から
 平成21年の年の暮れ、大阪の親戚を訪問した帰りに、和歌山県串本町のトルコ記念館を訪問した。和歌山県串本町は、紀伊半島の南端に位置し、天王寺から特急くろしおに揺られて3時間!さらに串本駅から紀伊大島へ渡ると云う長旅であった。タクシーに乗った際「両親が旅行でトルコ行って来ましてん」という話を披露すると、タクシードライバーが「順番が違いまっせ、串本来てからトルコ行ったらええのに」と悔しがるのだ。要は、串本から来ました!とトルコ人のガイドさんなりホテルの人なりに言ったら、ものすごい歓迎されまっせ、とんでもなくサービスしてくれまっせ!と云うことらしい。


 其れほどまでに串本の存在はトルコ国民にとって重いものなのか、是は現地へ行って確かめるしか無い!拙者の心は弾んだ。リアス式海岸の風光明媚な海岸線の先端にある記念館に到着!





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「エルトゥールル号遭難事件」とは?

 1890年、オスマン帝国軍艦エルトゥールル号が日本を訪問した。欧米列強に祖国を蝕まれつつあったオスマン帝国が、極東の新興国日本との友好に期待するところは大きかった。訪日団は横浜港で万歳三唱による盛大な歓迎を受け、さらに皇帝親書を明治天皇に奉呈、無事任務を達成することが出来た。ところが帰路、エルトゥールル号は紀伊半島沖を航行中、折からの強風にあおられ、樫野崎の岩礁に激突してしまったのだ。


 岩礁に激突したエルトゥールル号は沈没、瞬時に六百名近い人が亡くなったが、69名の生存者が樫野崎灯台へ登って助けを求めた。大島村樫野の人々が駆けつけ、村をあげてトルコ人の救援活動を行うことになったのだ。言葉もほとんど通じない異国人同士、それがいかに困難なものであったろう!トルコの人々が、串本や樫野といった地名に特別の感情を抱いているのは、紀伊大島の人々の献身的な行動が、生存者によって広く伝えられたからである。
 また、明治天皇も生存者の救護と援助を迅速に行うよう指示、生存者は戦艦「比叡」「金剛」によってトルコ本国に帰還した。我が国の官民挙げての救援活動は、トルコ国内でも大きな反響を巻き起こしたのである。



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樫野崎灯台や慰霊碑を見学~節目の年には追悼式典なども行われます。

 遭難事件から百年以上経った現在でも、トルコ・串本町の友好関係は続いている。トルコ大使館・海軍関係者の見学や、自衛隊と合同の追悼式典、さらにエルトゥールル号の遺品捜索活動は現在も続けられている。さらに、新潟県のテーマパークで放置されていたケマル・アタチュルク初代大統領像 (申し訳ないことをしてしまいました) を串本町へ移設しよう!というプロジェクトについて、これは平成22年5月無事串本町に移設が完了した(移設前に訪れたので、写真撮れずに残念)。トルコ・串本町の交流活動は、今後ますます発展していくだろうし、そうであってほしい。串本町の皆さん、これからも頑張って下さい!







鹿児島から羽田へ向かう飛行機から串本がよく見えました!


★祝!トルコ海軍晴海寄港→この時の詳しい写真は、こちらから


→次ページ、くじらの町「太地」の写真集もご覧ください!

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管理者は大阪生まれの相模原育ち~地域リポート・旅日記の数々です。

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