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まつけん7

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2006年08月18日
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テーマ:鬱病(2266)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
自我と言う概念がもたらされたのは、おそらく明治以降であろう。
古くは古代ギリシャ、ローマから始まる概念。
近代以降のヨーロッパ、アメリカの個人という概念を
明治の日本はそのまま輸入してしまった。
そのためこれまであった日本独特の考え方と相容れず、
浮き足だってしまったのである。
夏目漱石も欧米の自我と言う考え方を取り入れようとしたが、
逆にそれが足かせとなってしまい、「この世は生きにくい」と
言わしめることになったのである。

この考え方は今でも通用すると自分は考えている。
自我に目覚め、それを発言しようものならば、
あらゆる方面から袋叩きにあってしまう世の中。
個人の意見が未だまかり通っていない。
恐ろしいほどの連帯意識を感じるのである。
「出る杭は打たれる」のである。
恐ろしいのは、ある為政者でも、ある思想団体でも、ある宗教団体でもない。
そしてある会社でもない。
自分の身近にある組織、近所付き合いなど、そしてもっと極端に言えば、
日本人が無意識に持っている、「排他的意識」なのである。

これは同一民族であるから故に存在するのであろうか。
少なくとも江戸時代くらいからこのような規則があったような気がする。
住んでいる人の情報を隣近所でお互いに管理し、何か問題があれば、為政者に伝える。
横並びの意識。飛びぬけてはいけないと言う暗黙のルール。
このような考え方が、今でも世間(ダーザイン)の無意識の中に潜んでいる。

自分は思う。生きづらい世の中だと。
世の中は自由だ。平和だ。と人は言う。
本当にそうなのか。
何でも言ってもいいわけが無い。
暗黙のルールがそこにあるのだ。
自分が自分の中に見出したことを話してしまったら最後、
黙殺されてしまう。そこには言論の自由がない。
阿呆でいることが、一番の安全なのだろう。

今、自分は英会話教室に通っている。
そこで話しているといろいろな話題が出る。
映画、音楽、欧米の食事などは大して問題ではない。
しかし、政治、宗教、思想の話になると慎重にならざるを得ないのだ。
言論の自由なのではあるが、日本の和(輪)にいる以上、
極論が話せないし、それで口論すると言うことは結構危険な話なのだ。
人と人のコミュニケーションというのは難しい。
時と場所、そして話しても良いきっかけを見極めなければいけない。
そして日本の中では、「付き合いの長さ」も重要な要因となるのである。
たとえ英会話という仮面をつけていても、その人は日本人。
お互い日本人であると言うこと。和(輪)を大事にしなければいけないと言うこと。
そこに争論やディベートと言う難しさがある。

だから日本人は出来るだけ顔をつき合わせた形で自分の意思は言わない。
お互い「察して」コミュニケートするのである。
逆に欧米では、言葉を積み重ねることで、理解を深めるように努力する。
相手にわかってもらうために、言葉で、絵で、ジェスチャーでと、いろいろな形で表す。
そしてその言動に責任(respontibility)を負う。
(決して日本の人が責任を負わないとは言えないのだが)

そのあたりを考えると、電子掲示板のあり方と言うのが欧米と日本では顕著に現れる。
欧米は名前や顔を明かしたりする。しかし、日本の掲示板は匿名(アノニマス)が多い。
素性が分かると困るから、匿名で意見を述べた方が気分が楽だという理屈である。
それはそれで、良い点もあり、悪い点もあるので一概になんとも言いがたいが、
そういう背景があるのは確かであり、それは「どんぐりの背比べ」「みんな横並び」「出る杭は打たれる」的な思考に基づくものであると思う。

そう、ここは日本なのだ。郷に入れば郷に従え。
ここが嫌だからと言って、他に移っても結局は同じこと。
外国に逃げても、きっと違う民族と言うことで苦労するので
やはり変わりがない。だから、ここで何とかして生きなければいけないのだ。
帰国子女の大変さというのは最近になって思うようになった。
受け入れ態勢がどうのこうのではなく、普通の学校ではきっと子供が周りから浮いてしまい、いじめにあったり疎外されたりするからなのだろう。

日本は和の国家。良い意味でも、悪い意味でも、「一体化」する民族。
それを「世間」が認識しておかなければ、最近、政府の動きがどうだの、
経済がどうだの、東アジア問題がどうだのと言っても、
それは表層的なところでの話しであり、ちっとも解決しないであろうと思うのだが。
最終的に受け入れるかどうかというのは、国民それぞれの意識に基づいているのではなかろうか。国がどうこうの前に自分たちはどうなのか、どう考えているのかを、深く考える必要があると思っている。

またこんなことを書いてしまった。
また「出る杭は打たれる」かも知れないな。
哲学研究者の中島義道氏ではないが、本当に「生きにくい世の中」。。。。
そう感じてしまい、鬱々となるのである。
いっそのこと阿呆になったほうが、楽なのになぁ。
知らないほうが良いこともあるなぁ。
しばらく、鬱々とおとなしく考えてみます。





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最終更新日  2006年08月18日 16時40分53秒
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