カテゴリ:美術
蒸し暑い・・・。
一体ここの空調は何度の設定になっているのか。 今でさえこんなに暑いのだから、7月8月はいかばかりかと憂鬱になる。 4月に更新して以来の更新である。 5月には奈良に行った時のことなども書きたかったのだが、 いつのまにか月が変わってしまった。 が、書いておきたいので書くことにする。 奈良へは「国宝鑑真和上展」を見に行ったのだった。 小学生の頃に訪れた唐招提寺で、 国宝の鑑真和上座像は公開していないという話を聞いて以来、 死ぬまでに絶対に見たい彫刻となっていた為である。 高校生になって井上靖の「天平の甍」を読んだり、 仏教の授業で和上の日本の仏教に残した功績などを学ぶにつれ、 見たいという欲求は益々膨れ上がっていった。 私の住んでいるところから奈良へは同じ近畿圏と雖もかなり離れている。 いつもの私ならばこの距離を考えただけで挫けそうなものだが、 今回ばかりは積年の望みがかなうとあって、 自分でも考えられない様な行動力を発揮することとなった。 他の地域で開催された時はどうだったのか知らないが、 奈良国立博物館は雨のせいもあってか、 ゴールデンウィーク真っ最中の割にはマシな混雑ぶりであった。 のっけから国宝の四天王像が国宝っぽくなく無防備に (本当はそんなことないのだろうが)展示されていて、 友人と「頭のおかしい人が走ってきて突然抱きついてもしゃーないよな」 などと云いながら、我々もかなり近づいてつらつらと観察させて頂いた。 とても堀辰雄の様に抒情的に表現出来ないのがもどかしいが、 大陸の影響を受けた丸みのある姿は怖い顔ですら優美である。 面白かったのはその梵天立像の台座裏に描かれた工人の落書きである。 男根、女陰、人物、動物などが描かれている。 神聖であるべき像を穢すかのごとく描かれた下品な落書きは、 やってはいけないことをあえてやりたいという、 今も昔も変わらない普遍的な事実を表している様で、 古代の人と現代人が同じ人であることを現実的に認識させてくれる。 これらの像の衣服は乾漆で作られている。 乾漆というのは当時とても高価であった漆をふんだんに使う技法であり、 よほどの権力や財力のある人物にしか作ることの出来ない像であったらしい。 名もない工人が己の作品に署名の如く残した落書きは、 ちょっとした意趣返しの様なものなのかも知れない、などと想像してみる。 工人は、何も知らずに男根や女陰を戴いた梵天を受け取った注文主、 ありがたそうに手を合わせる人々を見て多少の溜飲を下げたのではないだろうか。 鑑真和上座像のある部屋の入り口まで来た時、 生きている、尊敬する人物に初めてお目にかかるのと同じような動悸を感じた。 ここにいらっしゃる、そう思うと緊張さえする様である。 なんだかすぐにお会いするのが勿体無い様な気分になりながら一歩を踏みいれた。 像はガラスケースに納められていた。 --- なんと美しい人なんだろう。 それが最初の印象であった。 薄暗い照明の中、力みの無い姿勢で端然と佇まれている姿は、 すべての物事が鑑真和上の中ですっきりと腑に落ちている感じがして非の打ち所がない。 今思い出しても涙が出そうになる程美しく、 私は像の前で思わず手を合わせずにはいられなかった。 例えば、ローマにあるミケランジェロのモーセ像は、モーセを表現しながらも、 実際そこに表れているのはミケランジェロ自身の姿であると私は思う。 対して、この坐像の中には和上の為人が具現化されている。 弟子が生きているうちに作られたから、という理由だけではなく、 この像が、和上の人柄や功績を偲びその姿をこの世に永続的に留めておきたいという人々の、 強い思いの結実であるが故であろう。 どんな書物を読むよりも、この像にお会いする方が余程、 和上を知る手がかりになるのではないだろうかと強く感じた。 博物館を出ると折からの雨はいよいよ強くなり、奈良公園の鹿達も、 木陰にうずくまりじっと雨に耐えている様であった。 併し、差した傘をものともせず襲いかかる雨粒も、 私の満ち足りた気分に水を差すことは出来なかった様である。 雨に打たれながらも私は、 奈良漬と母の好きな煎餅を買って意気揚々と帰路についたのだった。 *** ※先日「鑑真和上が盲いたのは晩年であり、渡来した時は見えていた。」という説が報道された。 確かに「渡日途中に盲目となった」ということが小説などに描かれ、 我々もそれを鑑真を語る上で欠かせないエピソードの様に認識してきた。 が、いつ盲目になったか、ということは実際のところたいした問題では無い。 日本へ渡ることを決断した54歳と云う年齢は現代の54歳とはまるで意味が違う。 いつ死んでもおかしくない様な老人が、日本へ正しい戒律を伝えたいという利他の一念でもって、 幾多の艱難辛苦を乗り越え10年もの歳月をかけて渡日したのである。 しかも彼は玄宗皇帝が才能を惜しんで出国を禁じた程の高僧なのだ。 中国にいれば安泰の人生を捨てて、未開の日本へ渡るなど、 なまじの人間に出来ることでは無い。 先日バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したピアニストの場合も同じである。 盲目である、ということはその人を構成する一部分でしか無く、(髪が長いとか背が高いと同じ) 彼の演奏が素晴らしいことと、盲目であることは関係が無い。 本来は「盲目のピアニスト辻井伸行さん」ではなく、 「ピアニストの辻井伸行さん」と紹介するべきだと私は思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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