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奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

連載「日常の中の脳力開発」-基礎編

日常の中の脳力開発-1
                タノウエ脳力経営塾 主宰 田上康朗

2年前に出版した「羊たちの探しもの」という本の中に、次のような話を書きました。羊たちが一生懸命探し物をしている最中に、一頭の羊が突然つぶやくわけです。「俺たちは、いったい何を探しているのだろう」と。おどろいたことにこの問いに誰も答えられない。それで騒然となる。それを長老が注意する。「つべこべいわずに、早く探しなさい」って。それで、また羊たちは、探ししものを探し始めるのです。
 おわかりでしょうか。探しものが何なのかわかっていないのに。ここで置き換えて考えてみて下さい。自分ところの社員は、何が目的で仕事しているかほんとうにわかっているのだろうか。それに手を止めることは「怠けている」ことだが、手を動かしていると「働いていること」といった、思いこみをしていないだろうか、って。このことを羊に喩えて書いたわけです。働くということには、何のためにという目的「的」なものです。ですから、前後左右むやみに動くことは「働く」になりません。しかしそれが、ダイエットのため、という目的が付くと、少しニュアンスが違ってきましょう。
 これが会社ですと、会社の理念、目的、戦略に即していることが前提にあって「働く」という意味合いが出てくるわけですね。こうしたことをリーダーの方は、ぜひご自分の組織なり職場なりを見直していただけたらと思います。ほんとうに戦略を持って動いているだろうか、と自問自答してほしいのです。
 戦略があれば迷いがなくなります。逆に言えば戦略を決断できないところに発生するものが「迷い」ですから、迷いがあることは、戦略が確定されていない、ということになります。そして、上に述べたように戦略が確定され、組織の末端まで浸透していない組織では、「働く」という概念は実は存在しないということになります。組織の生産性は、「働く」ことによって得られますから、これでは少なくとも期する生産性は得られないことになります。戦略が確定していない。組織に浸透していないことが、どんないマイナスなこととか、ご理解いただけましたでしょうか。
 ところで戦術レベルでは、この迷いの間題はどうでしょうか。理論上では一切迷いは生まれません。なぜなら戦略を具現するための方法は、戦略が明確ならいくらでも集まのです。「いや、うちはいくら言っても集まらん」と言われる方が、実に多いのですが、これはそう言われる方の姿勢自体に問題が100%あります。この点の根拠理論はブレーンストーミング関係の本を読まれれば、ご理解いただけると思います。戦術は押さえたり、批評しなかったり、制限を設けなかったらいくらでもある。これが本来です。そして多くあるほどいいわけで、あり過ぎて困ることはまったくないからです。否、多いほど望ましいのです。私はよく講演で、こういうたとえ話をしています。
 「2枚の写真からお嫁(婿)さんを選ぶのと1000枚から選ぶのと、あなたはどちらが望ましいと思いますか。」自分がどこに行くかが明確に決まっている人は、他人がどこに行こうと関係ないし、別の場所に行こうと誘われても、気にすることも迷うことも生じません。しかし目的地へ行く方法はいくら知っていてもいい。(続く)

 日常の中の脳力開発-2      
          タノウエ脳力経営塾 主宰 田上康朗


脳力開発における「戦略」と言う概念がわかっている経営者は、自分と事業がどこに行くかが明確に決まっているわけですから、他人がどこに行こうと、何を目指そうと関係ない。ですから別の場所に行こうと誘われても気にすることも迷うことありません。しかし目的地へ行く方法についてはどん欲です。沢山知っているほどいいからです。
 「方法だってたくさんあれば、結構悩むことになるのではないですか」という質問をよく受けますが、はたしてそうでしょうか?
 いいえ、その心配はまったくないのです。たとえば今ここで、あなたのいる所から、東京渋谷の名犬ハチ公の銅像前まで行く方法をいくらでも書き出してみて下さい。たくさん書き出したら、なにか困ることが起きましたか。悩むことになりましたか。
 自分の戦略が明確でない人は、人の尻や流行をやたらに追っかける傾向が強いわけです。が、それは言動ですぐ分かります。
 せっかく新潟県十日町市の雪祭りを見に行こうと決めて出発したのに、途中の東京駅で、A先生とばったり会い、「青森の黒石のすてきな露天風呂へ行こうや」と誘われたので付いていった…というのでは、どれだけの無駄が発生するか、考えただけでも理解できることです。無駄だけではありません。こんなことを繰り返していると、肝腎な目的地へは行けないことになります。
 経営者の中には、取り替え取り替えハウツー書を読む人や、いわゆる○○法、経営の神様を夢中で追いかけまわって、それを肝心な自分の経営に生かさないばかりか、極端な場合は生活や経営を返り見ないといった人がいます。こうした人は皆、戦術に引っ張られ、戦略を忘れた典型的な迷える人といえます。
 もちろん関心が広いのはいいことなのですが、それには「戦略に基づいた」という絶対条件があるのを忘れてはなりません。また、いつのまにか戦術を集めるのが目的(戦略)化し、そのおびただしい戦術を他人に誇ることには忙しいけれども、自社の戦略のために使うことはしないといった、戦略と戦術を取り違えている人も結構多いようです。
 戦術は無限にありますから、収集に夢中になってしまうと、それらを実行するタイミングを逸したり、実行するための時間や余命が残っていなかったり、といった笑えない悲劇すら発生しかねません。
 それでは広く、数多く集めた戦術はどう使ったらいいのでしょうか。戦術は、無意識または意識的に優先順位を決めて、ひとつずつ、一口づつ実践します。人は、ひとつずつ、一口づつしか行動できないからです。その場合の基準として、私は、「金がかからず、すぐやれて、リスクの少ない順に」と言っています。これは20年にわたって、多くの方々に協力を頂き、得た結論です。余談ですが、私が開発した問題解決実践手法「MMAP」は、今まで述べてきたことの集約されたものです。
*花を追い、路に迷う冬山かな
*人命は、ないもの追うに短かけり





日常の中の脳力開発-3     
       タノウエ脳力経営塾 主宰 田上康朗

○よくガミガミ怒る人、自他ともに気が短いと認める人は、明確な戦略がないか、自分の戦略に自信がなくなると、俗に言う短気になることがよくあります。その意味では「年を取って短気になった」も、「若いうちは短気だったのに…」も、両方あり得るかなと思うのです。
 戦略は打撃なり流れの方向ですから、始点と終点がある。このことは先に述べました。ですからあくまで一般論ですが、老い先が短くなると終点が見えるため、戦略は立てづらくなる。また始点の付近では先が長すぎ、これまた見通しが立てられない。ということで両者とも戦略を欠くため不安に陥り、短気の兆候を見せるのではないでしょうか。(幼児に戦略を持てと言う方がどだい無理なのです。それを二つか三つの歳で習いごとをさせるわけですが、これは親の戦略を果たすため、子どもが戦術として利用されている典型的な例と見て差し支えないと思います。これは横道)
 経営者が、いらついて社員にガミガミ言っている光景を見て、「おお!この会社はすごく立派で好調なのだなあ」と思う人がいるでしょうか。逆ですね。なぜなら、人が短気になり、怒るのは、自分(会社か家庭)が思い通りに行っていない時なのですから。それに、その小言の内容はまず百パーセント「戦術」に関すること、しかも他人や組織を暗く、苦しくさせる内容なのです。こうした経営者は、おびただしい戦術の中から、会社を駄目にする戦術を選んで行使していることになります。
 そもそも組織の中では、まず戦略レベルの衝突はめったにないことなのです。なぜなら「会社を発展させる」「子どもを幸せにする」といったことで、他人はともかく、仲問や家族で反対する者はいないからです。だからもめる中身はほとんどの場合、戦術です。
 戦術は部下に任せたはずの経営者が、戦術のことで口出ししたり、彼らと争うのはおかしいわけです。おかしいだけでなく、人も組織も暗くなりマイナスになり、おかしくなってしまいます。会社がおかしなことになることを、率先して経営者自身が実践しているのです。ところが本人は、少しもおかしいと感じていないからやり続ける。継続すればやがて、そういった風潮が戦略化し、その戦略がやがて具現化し、会社がおかしくなるのは当然のことです。その意味から、「俺は短気な性格だから」とかねがね口にしている人は、会社を進歩発展させるという戦略を自ら捨て、「俺は、君の一挙一動、戦術についてアラ捜しをするからな」という衰退の戦略を立て、実践している人だということになります。
*無明人、春よ来いよと急き立てて

日常の中の脳力開発-4     
     タノウエ脳力経営塾 主宰 田上康朗

谷の絵を描いてみて下さい。たぶんVのような形になるでしょう。ではそれ
を逆に向けたら谷に見えますか。見えませんね。
 「どうしてできないの」と叱るお母さん、「俺の言うことがまだ分からないのか」と怒鳴る社長。このケースから、「そうか、自分の立場が相手に伝わらない理由はここにあったのか」と納得していただけたでしょうか。
 今度は山を描いてみましょう。でも反対から見たら谷に見えますね。「相手の立場立って…」と口でいくら言っても分からないということを理解されましたか。実際に動いて反対の位置に立ち、そこから見る以外に出来ないことを口先で済ませるから、口だけの人と言われるのです。
 それでは次に大きい山を描いて下さい。ハと描いただけでは大きいことが分かりませんから・大きい山を表現するには・そばに小さい山が必要ですね。そこでへのように描くことになります。
 この絵で「山が大きいのは小さい山のおかげだ」と気づき、また「大きいと胸を張っても・もっと大きいのが現われたら、小さいと言われる。だから他と比較して威張ることなどないぞ」と理解できればいつも謙虚でいられます。元たのきんトリオの一人が「俺はビッグだ」と公言し、以来ほとんど仕事が入らなくなったそうですが、自分の大きさを自分一人で決める人は、他人との係わりに気付かない人ですから、人間関係で孤立してしまうのです。また「私は忙しいのだ」と言っている経営者にお目にかかりますが、それは「あなたみたいに、暇ではないんだ」と言っていることと同じで、相手の自尊心をいたく傷つけている。そのことに気づいていないわけですね。
 さて今度は大きい山を二つ連ねたものと、先ほどの大小二つの山と比べたら、どんなことに気づくでしょうか。「谷が深くなっている」と分かれば、脳力開発でいう両面思考は身についたことになります。
 今度は低い山も二つ並べ、谷を比べて見たらどうでしょう。山が大きければ大きい谷小さければ小さい谷になりますね。「当然じゃないか」と言われるでしょうが、この当り前のことが分かっていないから、多くの不幸や悲劇が生まれることになるのです。
「この株は絶対儲かるから、十万なんてハシタ金ではなく百万円出しなさいよ。倍になるんだから」といってくるセールスマンに多くの方々が被害に遭う、といった事件が後を絶ちません。倍の儲けを反対側から見たら、倍の損になるのは〈山と谷の絵〉とまったく同じことなのですがね。

ところが大抵の人は示された方向からしか見ないから、百万円儲かることだけを考えてしまう。仮に百万円儲かったとしたら、その反対側にはそれだけ損をした人がおり、自分が百万円損をすれば反対側には儲かった人がいる。そのことが見えずに「私はだまされた」と嘆くことになります。そこで「なぜだまされたんですか」と尋ねると、「だってとっても立派な身なりしていて親切だった」などといっている。どこの世界に人をだますのに・身なりが悪く不親切な態度で迫る人がいるでしょうか。それが分かっていても、こうした商売が成り立つのは、実はだまされる方も協力しているからなのです。
人様のいうことをアタマから疑ってかかれ、と言っているのではありません。利益が大きければ反面、リスクも大きいことを承知しておいたうえで判断すべきですよ、と申し上げているのです。
 健康を思う時はたいてい不健康の時。〈心の時代〉と言い始めるのは心が枯渇している時。交通事故ゼロ運動の垂れ幕がかかる町では交通事故が多いのです。
 このように、反対面や様々な角度から見る習慣をつけることを、「多角度から考える」と言い、この習慣づくりによって、「頭がやわらかい」と言われるようになります。
 多角的に見る習慣づくりにより、だれでも当然起こり得る災いやリスクを事前に読めるようになります。予測できたら、通常の人は本能的にそれを回避する対策を考え、身の安全を保つ方向に動きます。反面リスクの方ばかり見て、それを恐れてその場を動かなければ、何の変化もないばかりか「死」へ向かうことになります。飯を食べなければ人は死にますが、食べるということはそれだけ経費というリスクがかかる。それを拒否すれば食事を取れなくなる。こう置き換えたらどなたにも理解できますね。
 生きていれば大なり小なりリスクはある。リスクがあるから利もある。こうした変化があってこそ人生は楽しいものではないでしょうか。晴れたり曇ったり、雨が降ったり、また泣いたり笑ったり、こうした変化こそが人生の醍醐味、愉快さだと思います。それを私は晴れが好き、雨は嫌い、楽は好き、苦は嫌いと片面だけを望む人生は、望んでも絶対に得られないのです。(このことは今まで述べた〈山と谷〉でご理解下さい)望んでも得られないものを望むことは結局、不幸で嘆きの人生を、あなた自身が戦略として選んだことに他なりません。
 幸せを得るのも事業が繁栄するのも、全く同じ脳の使い方です。ですから、日常生活で上手に脳力開発を使って過ごせる人は、事業をやっても成功する人に違いありません。

日常の中の脳力開発」-5          
   タノウエ脳力経営塾 主宰 田上康朗

これまでの4回、「戦略と戦術」についてお話をしてきました。これまでの戦略・戦術の話も、これからお話しすることも、師匠の城野 宏先生が提唱した「脳力開発」というものがベースになっています。本号では、この「脳力開発」について、簡単にお話をしておきたいと思います。
                 *
誰しも本音は、楽しく遊んで欲しいものを得たいと思っているのに、そのことが正しい道だとは考えません。そんな虫のよい話があるかって信じないか、遠慮してしまうのですね。
 ではウンウンうなって苦しみもがけば、その結果から幸せや素晴らしい人生が得られるのでしょうか。また「努力は報われる」といいますが、ほんとうでしょうか。
 私の答えは、簡単です。前者は「得られることもあるが、得られない場合もある」。後者の答えは、「報いられることあるが、報われないこともある」です。では何によってその相反する結論がでるか、その回答が、実はこれからお話しする脳力開発にあります。
 人生の目的は、人それぞれ異なるのですが、これを一言に集約して、「楽しく幸せな人生」ということにしましよう。脳力開発の目的は、白分の脳を目在に活用して、この「楽しく幸せな人生」という目的を達成させることにある、ということになります。
 ここでいう「目的」は、これまで4回、ご一緒に学んできました「戦略」と同意義に使っています。そしてその戦略を具現するための無数の可能性も含めた手段が「戦術」ということです。これで前号とつながったことになりますね。
 人間の喜・怒、哀・楽、幸・不幸、成功と失敗(皆、相対語であることに注目。これについては、アクセルとブレーキ、山と谷のたとえで既にお話しています。)、こうしたものの決め手になるのが脳の使い方、つまりおよそ百五十億の脳細胞をいかに使うかによることになります。

 「戦略は二者択一、スイッチのオン・オフだから簡単じゃないか。そんなたくさんの細胞は不必要じゃないか」と思われるかもしれませんが、その択一の決断を導き出すために、おびただしい脳細胞とエネルギーが必要になるのです。ところが大天才のアインシュタインですら、7%ちょっと。普通の人で3%程度しか使っていないと言われています。私たちが、ちょっと考えすぎると、頭が痛くなるということがよくありますよね。これは100のうち3の狭い範囲の脳細胞だけを使い、いわばオーバーヒートしたためと考えられます。

 自分に快適な状況をつくるには、刻々変化する情勢を的確に捉えるという情報力と、その変化に対して、ドウすれば最適かを判断力と、その判断に従って自ら動く行動力の3つが不可欠。この3点がセットになって対応力ということになります。そうした対応力を自在に発揮できるための基礎となる脳の回線づくり、これが脳力開発の目的です、
 よく能力(こちらの方が一般的に使われていますが)と脳力(師の城野宏が初めて使い、広がりました)は、どう違うのか、といった質問をいただきますが、これは脳力開発によって脳の力が最大に発揮されるようになり、その結果として、一定の分野に関して能力が発揮されると、といったニュアンスの使い方でご理解くださって、とにかく脳力と能力は違う、ということだけをここでは抑えておいてください。
 脳力は、人の主体性や具体的な動きを決定づけるものですから、脳力開発を学ぶことで、自分の脳を自在に使いこなすことができるようになり、その結果,今までの何十倍も能力を発揮し、大きな成果をあげることができます。

『人間には,凡人も秀才も天才も変わりなく百五十億の脳細胞があり、それを結びつける脳神経の伝導速度もまた、凡人、秀才、天才ともに違いはない』これは師、城野宏先生の口ぐせでした。
 では現実に、どうして凡才,秀才、天才といった違いが見られるのでしょうか。
 その理由は「組み合わせのやり方」にあります。脳細胞は百五十億あるのですから.これを2つずつ組み合わせて(ネズミ算をイメージしてください)、2のn乗ということで無限に近い組み合わせが出来ることになります。
 しかし現実には、さきほども申し上げたとおり、ほとんどの人がその一部、三バーセントないし五パーセントしか使わず、一生を終わる事になります。「なんともったいない」ことではありませんか
 このことを天気予報や経済予測にたとえたら、全体像のわずか三パーセント程度を見て、結論を出したのと同じことになります。これでは当たるも八卦、はずれるのも八卦になるのは当然です。
 
 それでもそんなに差し障りのない生活を送り,仕事をしています.だからこそ脳力開発によって、広げたら新聞紙二面分の細胞を2のn乗的に自在に使えるようになったら、すごいことになるわけです。事実師は、多くの企を何百倍にも発展させましたし、個人的には詩人、二科展の絵描き、柔道師範、オペラ歌手、作家、などなど様々な分野で活躍しました。
 少し固い話が続きますので、いったんここで切り、今回はここまで。

「日常の中の脳力開発」-7
  ~無意識の行動を意識的に~  タノウエ脳力経営塾 主宰 田上康朗
 
 脳力開発と聞くと、机に向かってうんうんうなって考え込むことを意味する人が少なくないかもしれません。でもそうではないのです。。端的に言えば、戦略を明確にし行動を変えて、新しいことに挑戦し続けることで必然的に脳の力が10倍なり20倍なり働いてくれる、といったごく簡単なこと。
実践行動学です。 現状維持の生活を何年続けても、脳の活性化は計れません。惰性的な習慣で過ごす現状維持の毎日は、脳を使わなくても維持できるからです。そこで脳の活性化を図り、進歩発展をするために、日常生活の中で「意識して行動すること」を戦略とし、それを具現するための戦術として、日常の具体的な行動を変え続けることが不可欠です。
 ところで「変える」ということは、1に無意識にやっている行動です。もう一つは意識してやっている行動、という二面性があります。行動は脳の指令に基づきますから 1に、「意識してやっていることを無意識にやれるようにすること」、2に、「無意識にやっていることを意識してやること」。
この2つを実践することで、脳は驚くほど活性化するのです。前者はなにか新しいことへの挑戦です。自転車や車の運転。初めての仕事を覚える、全く初めての土地を旅する、などなど。簡単なことで十分です。なんでも新しいことへ挑戦する習慣を作ってください。
 後者の「無意識に行っていることを意識的に」の方は、車の運転や歯を磨くとか、ほとんどの人が、いわゆる慣れや何げなくこなしていること、これを意識してやってみてください。たとえば、右足を先に上げてパンツをはいている人は、これを左足から先にすることで、パンツをはくことを意識してすることになるでしょう。
「馬鹿馬鹿しい。そんなつまんないことやれるか」って?それ、それ。こうしたことが実は大人、ベテラン社員には欠けていて、毎日が沈滞、ボケが早まるわけです。
 先に述べたように、特に大人は新しく学んだりチャレンジする。意識に乏しく、今までの経験だけで、何事もこなそうとして脳は従来の回線以下の使用で十分ということになります。また新しいことにぶつかっても、従来の回線各項経験閉じ括弧で処理してしまう。その慣れて、時代という。道が大きく変わり始めても、うまくハンドルが切れず、思わぬ事故を起こすなどといったことは枚挙にいとまがないのです。企業経営で言えば、これが倒産ということです。

 そこで、無意識に行っていることを意識的に行うことで、脳の回線のバランスを保て、マンネリや慣れに陥った脳を活性化させることができるのです。 腹式で深呼吸などもいいですね。身体を動かすことで言えば、真向法やストレッチなどをやって日頃あまり使わない筋肉を動かし、体のバランスを整える、といったこともいい。
なにか2つ、実践してみてくださいね。 学びはこの前者と後者をバランスよく行い続けることで、成果があがるのです。
 繰り返しますが、行動は脳の指令に基づきますが、その脳の指令を正しく保つためには、行動でもって修正する以外にないのです。つまり、脳の活性化は行動の活性化でやる。同様、経営の活性化は、組織内の人たちの行動の活性化を図る、これ以外に方法がないと理解しておいてください。
 それではさっそく、皆さんは上に述べた2つにそって、なにか行動を変えることを宣言してください。「通勤の途を変える」、いいですね。「オーイと呼んでいたのを(奥様の)名前を呼ぶ」、これもいいですが、でも簡単でプレッシャーのないものでないと続きませんよ。(笑)。 今月はここまで。次回をお楽しみ

「日常の中の脳力開発」-8
  ~行動パターンを変えてみよう~タノウエ脳力経営塾 主宰 田上康朗

 よく、「現状打破が不可欠だ」とか、「経営革新を計らねば」といったいい方をしますよね。これは一言でいうと、「行動パターンを変える」ことです。現状打破にしろ、革新にしろ、突き詰めれば行動を変えることです。行動は、「動く」と「行く」の2つの動詞の組合せで出来ています。
「動く」とは人や動物が生きることの本質です。動いていれば生きている、動かないと死んでいる、ということです。
 諸行無常(万物は常に変化しており、一時も止まっていない)という言葉がありますが、これは反面、自分の最適空間を確保するために自分が対応して動くことが、生きることの本質である、といっているのです。
 子どもを見ているとそれがよくわかる。よく動くから関心も変化する。また関心の変化という心の動きに応じて、身体をとても動かしています。まさに心身一如そのものです。またこれこそ、学びの基本なのです。
 次に「行く」を、見てみます。
「行く」とは、”大辞泉”によると、以下のとおりです。

ゆく 【行く・逝く・往く】
[動カ五(四)]1 向こうへ移動する。「はやく―・け」2 目的地へ向かって進む。「学校へ―・く」3 歩く。

歩いて進む。「悪路を―・く」4 通り過ぎる。「沖を―・く船」5 年月が経過する。「―・く秋を惜しむ」6

流れる。「―・く水のごとく」7 (逝く)死ぬ。「君―・きて三年」8 物事がはかどる。「うまく―・かない」9

物事をする。「前の方法で―・くことにする」

 これでわかるとおり、「目的」的です。方向性があります。戦略性があるということになります。つまり「動き」そのものは無目的性ですが、行動になると目的性、戦略が加わるということになります。
 ところが成長(成長といっていいのでしょうか。少し疑問に思いますが)、変化を嫌い、身体は徐々に硬く心は頑迷化、血液は淀み、時には滞留。脳は硬化し、働きはどんどん低下していきます。大人になるにつれ、そして知識や経験が多くなればなるほど、考えが保守的になり行動は鈍化。まさに死に体になってしまうのはなぜでしょう。
 答えは、既に述べてきたことでわか頂けたと思いますが、1に動かないこと。2に目的・戦略が希薄になっていること、この2つです。
 理由は、はしょっていいますと、マンネリズムです。脳が、何も新しいことを学ばずとも、これまでの蓄積を償却することで十分と考えるようになってしまう。先が短くなると、先に目標を置いて動くことが煩わしいというか、恐くなる。その結果、新しい経験・体験を厭うようになり、悪魔のサイクルに入ってしまいます。
 だからこそ今までの行動パターンを変えることがあえて必要なのです。前号で「無意識にやっていることを意識して」と、書きました。
 さて、なにかおやりになりましたか。
「意識していることを無意識に」ともいいました。なにか新しいことに挑戦しましたか。
 私は、新しいHP作成、学会での論文発表、映画を23本、事務所のレイアウト変更、菅原洋一の唄1曲覚えて、腹筋運動1日百回。
 「なんだそんなことなら、、、、。」、そう、なんでもまずは、すぐやれること、リスクの少ないこと。日常生活の簡単なことから、一口ずつ一歩ずつ、やればよいのです。なにか難しいこと、大きいことを考えてしまうから、なかなかやれない。実行し始めても続かない。 そしていつのまにか、変化するという戦略が「やらない」に変わっている。いくら「現状打破」、「習慣を変えよう、「経営革新を計ろう」と、口で唱えても行動を変えていないのですから脳の回線が変わるわけはない。動かない脳はますます固くなるのは当然です。
 なんども繰り返していますが、一歩ずつ、一口ずつ、意識して行なうこと、これが新しい習慣づくりのコツです。たとえば右利きの人であれば、左手の時計を右手にはめてみる。あるいは通勤している道を変えてみる。右足から靴をはく習慣のある人は、左足からはいてみる。なんでもいいから、日常の中から一つ選び、行動を変えてみることで脳は著しく開発され、活性化されるのです。
 
次回から応用編となります。お楽しみに。






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