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奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

 「名古屋のトンカツ店 気晴亭」 

  飲食店経営掲載 「名古屋のトンカツ店 気晴亭」  田上康朗 

 トンカツだけで20種類以上のアイテムを揃えながら中華、ステーキ、しゃぶしゃぶ等幅広いメニューで評判のレストランが名古屋市内にある。店名は「気晴亭」と書き「きはるてい」と読む。創業は終戦直後の21年というから飲食店としては老舗である。
 
 「兵隊から復員してきた時にもらった2百円で乳母車を買い、上に戸板を乗せて商売始めました。今で言う移動販売ですよ」
 74歳、今も本店で一日中ウエイターをしながら、夜は新メニューの開発研究に余念がない創業者加藤登一さんは話す。 「雨が降ると商売にならんでしょうが。見かねた近所の商店のおばさんがガード下のバラック貸してくれたんです。気張るでぇという意味と店でお客さんの気が晴れたらええ、という願いを込めて気晴亭ちゅう看板上げたんですわ」
 
 当初は中華料理店だった。
 「中華ちぅたって、その頃は、政令で自由に売るものありゃせんがや。いっぺん焼酎売っといて営業停止十日食ったことがあったきぃ。それで真っ黒けな海草で作ったそば、海草麺を5円で売っとったです」
 
 トンカツの看板を出したのは、食料事情が好転した昭和32年頃からだという。その後「名古屋とんかつ連盟」に加入したが、これを契機として、トンカツ屋専門店としての気晴亭の歴史がはじまる。
 「とにかく名古屋はトンカツ屋が多いとこだがや。で、よそとと同じ物やっとちゃいかんてことで、最初からうちではふつうのトンカツをいろんなふうにアレンジした”変わりトンカツ”をやりだしたんですわ」
 たとえば当店には「むらさきトンカツ」というのがある。以前に「おれ、ソース嫌いだで、醤油くれんかや」と頼むお客がいた。トンカツを醤油で食べておいしいはずがなかろうにと思って、後で試食してみたところ案外にいける。これがヒントになり「むらさきトンカツ」が誕生。醤油トンカツではあまりにも品がないようなので、醤油の別称の紫をとったという。また、今では20種類以上はある変わりトンカツメニューの中でもロングヒットの一つなっているものに「みぞれトンカツ」(ロース1000円、ヒレ1400円)がある。これは、トンカツに大根おろしを乗せ、上からレモン醤油をかけたもの。見た目はお寿司のイカの握りに似ている。
 
 「天ぷら食べとって気付いたんやが。大根おろしがついとって後味がさっぱりする。それならトンカツでも同じやないか、と。”おろし”にはこつがある。キュッと絞りすぎても水気が多すぎてもダメだでから、ちょうどよい案配にすくえるよう細かい穴がいくつも空いた特製のスプーンを使ってます」
 
 さらに変わっているのは、「きはるトンカツ」(2000円)。普通のトンカツは油で揚げるわけだが、これは衣をつけたトンカツを鉄板でサラダオイルをつかって焼き揚げたもの。いくら食べても胃にもたれないため、酒の肴として最高に相性が良い。常連客の宴会の席には必ず注文があるそうである。
 
 ところで当店のトンカツ料理の特徴の一つとして4種類のソースがあることを見逃してはならない。4種類とは普通のトンカツソース、ドミグラスソース、タルタルソースそれに味噌ダレのことである。4種の中からそのメニューに相性のよいソースが2種類セットされ、好みに応じ食べ比べることができる。
 「タレに味噌を使うのは名古屋独特ですわね。第一味噌と豚は相性がいいもんだでね。 その証拠に”ぶたみそ”ってのがあるでしょうがゃ。それに戦前は名古屋ならどこでも豚のモツを八丁味噌で煮込んだ”どて焼き”が売られていました。子供心にも美味しいなあと思ったりしたものですわ」
 そういえば名古屋市内の食堂でトンカツを注文したなら「みそにしやーすか、ソースにしゃーすか」と聞かれる。名古屋では味噌をこってりかけたトンカツを”みそカツ”とよんでいる。

 当店では、鉄板をで焼いたヒレとんかつを特製みそダレをタップリかけて食べる味噌カツ「お手前トンカツ」が30年前からのベストセラーである。手前みそ、という言葉にひっかけての「お手前トンカツ」(ロース1000円、ヒレ1400円)のネーミングになっている。
 「当店のみそダレつくり方ですが、まず豚のスジ肉をオープンで焦がして臭みを抜く。 次にこれをフライパンで炒め、名古屋名物の豆で作った赤味噌「八丁味噌」を入れて、さらに強火で炒める。そして白ザラメを加えて弱火にして、別に牛や豚肉でとったスープを入れて煮込む。最後にそれを濾して味を整えるんです」(本店シェフ岩崎さん)

 これが見た目や作る手間から想像するより意外にあっさりして、実に食べやすい。
 数々のかわりトンカツはすべて、登一さんのアイデアからうまれたオリジナル商品で、商標登録済である。
 「新商品開発のヒントを得るため、それこそフランス料理やイタリア料理、その他いろんな料理を食べ歩きました」

 実にネーミングがユニークである。食べ歩きから「柳川鍋」からヒントを得た「玉子とじとんかつ」や「お寿司とんかつ」「アラブとんかつ」。最近の傑作では「黒茶わんぴんころ」がある。何かおわかりだろうか。ほっこりしたもち米に香ばしいピーナッと肉が入った味付き御飯のことである。
 「スワンゴー」というのもある。これは松阪牛ロースを中国風のタレで味あうしゃぶしゃぶ料理につけられた名前である。
 トンカツの本場名古屋だけあって、この奇抜つさに対して、邪道ではないか、と厳しいことを言う人もいるときく。
 「何といわれようがとにかく美味しくて、見た目が美しく、楽しくて、お客様が喜び、満足していただければそれで良い、というのが私の信念です」
 63年の大改装から、それまでトンカツを主にした食事の店であったのを「お酒の飲めるトンカツ中心のレストラン」へ変身。

 その店舗だが、入口を入るとすぐ右手には木製のワインクラー、そして正面には金属性のボトルキーブラックが目にいる。
 トンカツ店と呼ぶにはあまりにおしゃれな店づくりで、まさにお洒落をして出掛けたくなるカジュアルレストランといってよい。

 登一さんは、つい最近息子の勝彦さんに社長を譲った。「引退ではねー。好きな商品開発に専心したため」と、笑う。
 新社長の勝彦さんは、名古屋高校から南山大学の経済学部を卒業後、東京銀座三笠会館でフランス料理のウエイターとして4年ほど勤めた。その後名古屋に帰り28歳まで洋食の調理場、32歳まで中華料理の修業し、さらについ最近までコックをしていた。並みの二代目ではないことが窺い知れる。

 「父はまさに発明狂。かって両方から履けるぞうりを発明して名古屋市長から表彰受けたこともあります。当店の風変わりメニューはすべて父によって編み出されました。そのコツを一言でいうと”出会い”なのです。 つまり今まで縁のなかった素材と素材の出会いが思いがけない美味しさを生んでいるということです。それで新しいメニューが生まれるたび、美味さが付加されていること気付きました。我が父ながらこれは凄いことだと思います。父はますます味の追求には厳しくなっていますが、その分儲けには無頓着になる一方です。母が昔からもう少し商売を考えてくれたら、と愚痴っていた気持ちがよくわかります」

 45年間素材と素材の出会いからアイデアを出し続けることによってより高度な美味さを追求し続けてきたのが、当店の人気の秘密であろう。

 とんかつは家庭でも作れ、出来不出来の差があまりない料理である。それだけにプロとしての際立った味等の違いを出す必要があるわけである。それにはまず材料のこだわりか不可欠。当店では、とんかつの美味しさの3大要素である肉、パン粉、油に関して特にごだわりって、吟味に吟味を重ねたものを特注している。
 特に肉については「ほんとうにおいしい、安全な豚肉を新鮮なもの」をひたすら追求下結果、現在は「和豚もちぶた」のブランドで知られるシービーラボラトリーズから一頭単位で仕入れている。

 当社は12人の一貫経営農家達によって昭和53年に設立された会社で、集団育種学採用による育種、正しき安全な飼料だけによる養豚、そして小売店等への配送まで、すべて自社の手で管理するという流通システムを作り上げている会社ときく。

 パン粉は特注の生パン粉、それもいろんなものを試みより良いものを求め続けている。揚げる植物油は東京の某社から30年以来特注。さらにまた当店では料理に使う水は全てアルカリイオン水を使用するといった徹底ぶりである。

 「豚肉は牛肉や鶏肉よりも脂肪分が少ないことか意外に知られていないのです。ですからトンカツはヘルシーな料理としてもっと評価されるべきと思っています」
 そういえば、店内を見回すと3分の1近くは女性客である。それも最近、若い女性とカップルが増えてきたという。そうした若い女性達を対象に、フランス料理風トンカツのフルコースをいっそう充実させたい、と勝彦さんは目を輝かす。
 「メニューの開発は会長に任せて、私は店舗とソフト面に力を入れ、もっともっとお客様に喜んで戴けることを実行して行きたい。 そうすれば結果として毎年3割アップの目標達成は難しくはないと思うのです」
  1992年9月号掲載 (当時会長の登さんは、すでに故人となられた)  


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