フェラーリ開発のDino 246GTの2.4リッターV6エンジンを搭載した、唯一Dinoの名の付かない兄弟がランチア・ストラトスです。フェラーリはこのエンジンをランチアに提供したくなかったとか、ランチアはこのエンジンはランチアのチューニングにより、もはや別物であるといった話は幾つもありますが、自分としては夭折したDinoが魂を吹き込んだV6エンジンがランチアのラリー専用車に組み込まれ、ストラトスの栄光を勝ち得たと思っております。
ストラトスはランチアがラリーに勝つことを目的に作られた市販車であり、WRCの歴史の中で個性の際立つ車の一つです。全盛期は1975-1976年の2年間であり、ランチアはWRCのコンストラクターズチャンピオンをストラトスで取りました。特に最も歴史のあるモンテカルロ・ラリーでは圧倒的に強く、1976年は1-3位を独占し、エースドライバーのサンドロ・ムナーリは1975-1977年に3連覇を果たしました。ストラトス開発の背景にはそれまでフランスのアルピーヌ・ルノーA110に席巻されていたモンテ奪取が大きな目的の一つであったと言われるのにも納得できます。もちろんアルピーヌA110も素晴らしく魅力的な車です。
WRCの年間約10戦の中で雪と氷/ターマックのモンテカルロと対極にあるのが、灼熱と悪路/ダートのサファリ・ラリーです。もちろんストラトスも参戦しました。しかし、最高位は1975年の2-3位で優勝はプジョー504の名手O.アンダーソンに輝きました。速さよりは耐久性の要求されるサファリではDinoの2.4リッターV6エンジンのアドバンテージは少なく、最終ステージで逆転されてしまいました。それでも、ムナーリのストラトスがドリフトのまま横向きで鉄道の線路を横切ったなどの逸話が残るほど、アグレッシブな走りを展開しました。
日本ではちょうどスーパーカーブームの時代と重なり、ストラトスもその中の一台として並列的に人気が有りました。しかし、私の中ではDinoのV6エンジンをミッドシップに積み、職人ムナーリやB.ワルデガルドの操るアリタリアカラーのラリー車のみがランチア・ストラトスであり続けております。
にほんブログ村