ジョーダンはチャーリー・パーカーのレギュラー
ピアニストをつとめ、スタン・ゲッツにしばしば付き合い
自作「ジョードゥ」がブラウン=ローチの演奏で人気が出たし
58年、59年はケニー・ドーハム、ドン・バイアスらと
共にフランス在住のケニー・ドーハムのツアーにも付き合い
その間バルネ・ウィランのRCA録音にも付き合った。
スタジオ録音の量で言うと不遇時代だったようにも見える。
それを言い出せばもっと不遇な黒人ジャズマンは多々いた。
フランス映画『危険な関係』のために作曲したテーマ曲も
ザ・ジャズ・メッセンジャーズが演奏して好評だったしレコードも出た。
しかしジョーダンの名がクレジットされていなかった。
曲名は「ノー・プロブレム」だが、問題だ。
本アルバム収録「シ・ジョヤ」は実は「ノー・プロブレム」と同曲。
作曲の才能にスポットを当てたのが本アルバムの企画だったのだろう。
しかしライナーノートでレナード・フェザーは「シ・ジョヤ」の件を触れていない。
また問題だという事なのか、ジョーダンは後に「ノー・プロブレム」の演奏を
3バージョン入れたアルバム『危険な関係のブルース』を作った。
フライト・トゥ・ジョーダン/デューク・ジョーダン
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