当時のザ・ジャズ・メッセンジャーズ・プラス1と
言うべき顔ぶれだ。プラス1はジョー・ゴードンの方で
ドナルド・バードはケニー・ドーハムのあとをついで
新レギュラーになりたての頃。
ドナルド・バードは
ニューヨーク・ハードバップ・シーンにとって
豊かな人材供給源となったデトロイトでジャズセンスを
育み、51年から53年にかけて兵役を務めたのち55年の夏に
ニューヨークに進出したばかり。
音大で学びながら、ジョージ・ウォーリントンコンボやケニー・クラークの
コンボで当時最先端のヒップ・ジャズが聴けるスペースとして話題の
「カフェ・ボヘミア」に出演して一躍脚光を浴びた。
23歳まじかのドナルド・バードは艶やかな音色で
落ち着いてクリフォード・ブラウン系のフレージングを紡ぎ
成熟見さえ感じさせながら「ダグス・ブルース」他の
先発ソリストを見事にこなしている。
後年濃厚となるファンキー・フィーリングはここでは稀薄だ。
翌年初夏にクリフォード・ブラウンが交通事故で急逝し、リー・モーガンともども
ポスト・ブラウニーの代表格として一気に引っ張りだこの存在となり、
ザ・ジャズ・メッセンジャーズのレギュラーも辞することになる。
バーズ・アイ・ヴュー/ドナルド・バード
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