チェット・ベイカーはジェリー・マリガンのカルテットで
ウェスト・コースト・ジャズの代表選手として世に出たが
1950年代当時の彼が考えるジャズとは、ふんわりと優しい
ウェスト・コーストのアンサンブルよりも硬派なプレイを
志向していたことがパシフィック盤の諸作で検証できる。
(名盤「チェット・ベイカー・シングス」はレコード会社の戦略商品だった)
親分のジェリー・マリガンがウェスト・コースト・ジャズが満開になろうと
する1954年には早々にニューヨークへ帰ったのと同様
チェット・ベイカーも2年遅れて西海岸に見切りをつけた。
ヨーロッパ巡業を終えてニューヨークで活動を始めた彼は、リヴァーサイドで
多くの吹込みを行ったが、以前売れ線軟派作品が多かった。
本作は、1950年代チェット・ベイカーの硬派バップ作品として最右翼に挙げられる名盤で
ジャズ・プロデューサーの良心を自認するオリン・キープニューズが、この手の作品を
何故もっと多く制作しなかったのか残念に思うことしきりである。
ジョニー・グリフィンを加えたクインテットの素晴らしさは言うに及ばずマイルス・ディヴィスを
露骨に意識して対抗した「Solar」 「When Lights Are Low」のワン・ホーンで垣間見せる内に
燃える闘志がすごい。
チェット・ベイカー・イン・ニューヨーク
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