J.R.モンテローズはデトロイト出身だがトミフラやバード、チェンバースら
黒人とは出自がだいぶ違い青少年シンフォニー・オーケストラで
クラリネットを演奏した時期もある。
しかし、ほぼ独学で覚えたサックスで職業音楽家となった。
テリトリー・バンドを経て50年頃にニューヨークにやってきて
バディ・リッチ、クロード・ソーンヒルと経る間
テディ・チャールズのバップ・グループで録音を経験し、知り合った
ミンガスのワークショップに参加。
折しもケリー・ドーハムが結成するジャズ・プロフェッツに参加するはずだった
ジャッキー・マクリーンが歯を痛めた為代役で参加。
しかしこれが上々で、おそらくケニー・ドーハムの熱烈推薦で実現したのが本ブルーノート盤だろう。
自作曲「ウィー・ジェイ」はビバップ定番曲だった「アウト・オブ・ノーウェア」のコード進行を
借りた曲だそうで、ビバップ色と新しいフィーリングが加味されたハードバップだ。
次の「ザ・サード」はドナルド・バード作、最後の「ビューティアス」はポール・チェンバース作。
このへんのレパートリー構成は、文献や録音セッション記録から見えてこない
水面下の大きな実相を示唆しているようだ。
J.R.モンテローズ/J.R.モンテローズ
J.R.モンテローズ/J.R.モンテローズ ジャズアルバム紹介 に加筆・修正を加え転載。
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