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テーマ:私の読書(24)
カテゴリ:本
ドクター・ハック 中田整一 2015年
日本の運命を二度握った男 引き込まれるノンフィクションでした。敗戦史の裏側で、終戦を目指して懸命に働いた第一線の武官、諜報員、民間人がいたこと、それを親日のドイツ人スパイが日本人のために支えたことに心うたれます。 副題がついていますが、読んでみると、「日本に二度外交チャンスを造った男」と「二度のチャンスが解らなかった将軍達」と言う印象です。一線の将校兵卒は優秀で、参謀や高級将校はそうでもなかったと言う例にもれない話になります。 満鉄顧問の秘書に就職するも、第一次大戦で青島で日本の捕虜となり、武人の信義に基づく5年に及ぶ日本での捕虜生活、終戦後の日本海軍との商取引、日独協会の役員就任、日本陸軍独断によるナチスとの日独防共協定推進の支援、原節子主演となる日独合作映画のプロデュース、ヒトラー直属の諜報組織アップヴェーアに所属、日本が欧州の騒乱に巻き込まれるのを水面下で危惧し反対、人種差別のナチに離反してゲシュタポによる逮捕、駐独日本海軍武官等による救出、逃亡、亡命、終戦に向けた日米交渉の画策、米国国防長官ダレスの弟のOSS(後のCIA)ダレス機関との折衝、駐独日本海軍藤村少尉による本国説得工作を誘導・支援、日本上層部によるソ連仲介斡旋依頼策により儚くも日米交渉の頓挫と続きます。 吉村昭の「深海の使者」がドイツの技術供与と南方資源提供の軍事協力活動の記録ならば、本書はナチスによる欧州騒乱に巻き込まれてしまった日本の外交の失策の記録となるでしょうか。U511潜水艦での帰国に成功した野村直邦海軍大将がいたはずですが、日米終戦交渉のチャンスが生かされなかったものかと迷います。 後に、ハックとともに日米終戦交渉開始に画策したケヴェールニッツと言うハックの恩師の息子は、米国のスパイであったのですが、日米接触が成功していれば原子爆弾投下などの惨劇は変わっていた可能性もあったと述べているようです。 今も昔も、目を開き、話を聞き、思考し、大局から決断する指導層が待望されます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 19, 2015 11:51:48 AM
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